待ってる人
鳴海は、グラウンドに満ちた歌声を背中で聞きながら、早川を捜した。
グラウンドにいないと言うことは、校舎内か。
にぎやかなグラウンドに比べ、校舎は森閑としている。
ひんやりとした気配は迷子になったような気分にさせる。
グラウンドのにぎやかさが、校舎の静寂を際だたせるのだ。
教室にも、生徒会室にも、どこにも人はいない。
部室か……。AZの部室へ行ってみた。
部室で声がした。
長瀬の声だ。
長瀬もいなかったことに、気が付いた。
長瀬は、早川の背中に話しかけている。
「……そんな顔するな。光太郎が困るだろうが」
「お前ぇが、自分でやらせたんだろう。嫌なら、させなきゃよかったんだ。お前ぇが嫌なことを誰も無理強いしない」
「馬鹿なヤツだぜ。そうだ。理屈では、あれで良い。
効果的で、文化祭に向けての宣伝効果もバッチリだ」
「まあ、気持ちは分かるがな。お前、昔から、やいやい言われるの、あんまり好きじゃないから」
長瀬が、早川の肩を掴んで振り向かせる。
「泣くなよ。惚れそうになるだろうが」
長瀬が言うと、早川の頬を涙が一筋走のが見えた。
鳴海の目が点になる。
早川は、長瀬の胸に顔を埋めて呟いた。
「でもな、みんな、あそこまで笑わなくても良いと思わないか?」
「可哀そうなのは、お前ぇじゃない。光太郎だ。
お前ぇが泣いてどうする」
長瀬が早川の背中を軽く叩いた。
「仕方がないだろ。お前ぇが美しすぎるんだ。誰も彼も、お前ぇに惹かれるんだ」
早川が甘えるように見上げる。
長瀬が早川の頬に両手を添えて言った。
「でもな、理屈は、理屈として、自分の気持ちを置いてきぼりにしてどうするんだ?
自分の気持ちを持て余すくらいなら、最初からするんじゃねえ」
「ヨシは優しいなぁ」
早川が長瀬の胸に顔を埋める。
「当たり前だ。俺とお前ぇは、一緒に大池に落っこちた仲だ」
「何時のことだ?」
「幼稚園の年少の時。
遠足で二人して落っこちたんだ。
長谷川先生が飛んできて、助けてくれた後で、『お池にはまって、さあ大変』って歌ってくれたじゃねえか」
「お前、よく覚えてるな」
「そうさ。そしたら、お前ぇは、すぐに泣き止んだんだ。俺がしつこく泣いてたのに」
長瀬が笑うと、早川も喉の奥で笑った。
鳴海は、早川のこんな笑い声を初めて聞いた。
不意に腕を捕まれて、声を上げそうになる。
隣りに久保がいた。
久保も早川を心配して来たようだ。
鳴海に目で問いかける。
鳴海は首を横に振った。
「『惚れ薬』飲んでくれねえか?」
「人体実験は嫌なんだ」
「もともと、お前に飲ませるために作った薬だ」
とんでもない台詞に、久保と鳴海が目を点にして顔を見合わせた。
「ヨシ、お前、告ってるのか?告る時は、薬なんか使うもんじゃないぞ」
「仕方がねえ。お前がすごすぎるんだ。
昔も、今も。
俺は、薬でも使わなきゃ告ることもできゃしねえ」
「ワタシは、育ってない。
お前が言ったんだぞ」
「言ったぜ。
だから健気に待ってるんじゃねえか」
鳴海と久保が、思わず眼を見張り一瞬互いの手を握る。
次の瞬間、驚いて見つめ合い、慌ててその手を引っ込めた。
「でも、待ってる間に良い女がいたら、乗り換えるとも言ったぞ」
早川が、悪戯っぽく眼をきらめかせる。
「当たり前だ。何時までも待たせるじゃじゃ馬より、気立ての良い女がいたら、誰でもそうするぜ」
長瀬が言うと、早川は長瀬の胸に寄りかかって息を吐いた。
長瀬が、早川を伴ってグラウンドに戻る。
「顔洗って来い」と、長瀬に言われて、早川が素直に、グラウンドの隅にある水道で顔を洗い、着ている体操服で拭く。
何やってんだ。女はタオルで顔拭くもんだ。腹が見えるだろうが。
タオルがないから仕方がない。それに、誰も見ていない。
無邪気に笑う。
二人の後から鳴海と久保が続いた。
鳴海も久保も、早川があんな声で話すのを聞いたことがなかった。
再び顔を見合わせた。
炭坑節が続いていた。
森田が気が付くと、早川と久保が炭坑節を踊っていた。
長瀬と鳴海は、音響担当と代わって、放送席に座っていた。
長瀬は早川が育つのを待ってる健気な男です。




