北斗署での稽古
北斗署の稽古場は、広くてクーラーが程良く効いている。
暑さで熱中症にならないようにという配慮だ。
早川の言うように、ここで稽古するのは良い考えだった。
坂本くん柔道が得意なんだから、まず柔道からしよう、ワタシのは、ちょっと変わってるらしいんだけど、元々いろんな流派があったんだから、気にしなくて良いだろ、じゃあ始めようか。
そう言うと、早川は、山県巡査部長から柔道着を借りた坂本と対戦した。
鳴海と加藤は、ハラハラした。
早川が強いのは、剣道だ。
柔道なんかできるのか。
もし、できたとしても、それは、剣道ほどの腕ではないはずだ。
県大会優勝の坂本にかなうはずがない。
運動神経も体格も全然違う。
この競技は、体格で全然違うのだ。
しかし、北斗署の皆さんは、気楽に見物している。
長瀬と森田が、その真ん中に陣取って、お茶までよばれているのだ。
三十分ほど戦って、坂本は倒れた。
一本も取れなかった。
山県巡査部長が、「君、大したものだ。セイちゃん相手に三十分も戦うなんて。普通は、十五分もすればバテる」と、屈託なく笑った。
次、お願いします。と、北斗署の人たちが順番に早川の相手をして、十本ぐらいずつ戦うが、誰も、早川に勝てない。
こうなると、鳴海と加藤も俄然やる気になった。
一体誰が、あの華奢な体にこれだけの力があると思うだろう。
対戦してみて驚いた。
フットワークが普通じゃない。
手や足だけじゃなく体の使い方が尋常ではないのだ。
振り回しても投げることができない。体をするりと入れ替えて、全く動じない。
たまに運良く投げをうっても、次の瞬間、ふりほどかれている。
身長がこちらより小さいのだから投げられるはずなのだが、襟を掴んで投げに行くと、体を反転させて、こちらの力を利用して逆に投げ飛ばされる。
手も足も出ないことを知った。
早川は、さすがに疲れたのだろう。息を弾ませている。
ここまで、坂本以外に北斗署の警官十人と加藤と鳴海だ。
鳴海も加藤も、信じられない面もちで早川を見つめた。
先ほどの山県巡査部長が柔道着を着て現れた。
「セイちゃん、今日は、雪辱させてもらおう」
ニヤリと笑う。
「返り討ちだよ、山県さん」
早川も譲らない。
たちまちものすごい戦いになった。
よくある光景なんだろう。
北斗署の警官達は、「セイちゃん、ガンバレ」「山県、行け」と大騒ぎだ。
山県巡査部長は、身長180センチ、体重76キロの体格を利用して、早川を押しつぶそうとする。
寝技に持ち込めば有利だ。対する早川は、牛若丸よろしく跳び回り、山県巡査部長の投げを柳に風と受け流す。
十五分戦って、山県巡査部長が投げに行くところを、反動でよろめかせ、その隙に早川が投げに行く。
これが見事に決まって、山県が落ちた。その上に、早川が多々良を踏んで倒れ込む。
「一本!」と、言った人を見ると、小牧師範、そう早川のお祖父ちゃんだった。
「山県、惜しかったのう。狙いは良い」と、微笑む。
早川は、珍しく息を切らしている。
「セイ、ようやった」
「はい」
眼がギラギラ輝いて、視線を合わすだけで火傷しそうなほどだ。
北斗署では、お客が多いので、昼ご飯に弁当を取ってくれた。
ただし、「予算の関係で実費は頂きます」と、経理の人が集めて回る。
食べながら、鳴海が尋ねた。
「セイが柔道も強いとは知らなかった。やっぱり、小さい頃からやってるのか?」
「俺も、知りたい」と、加藤も聞いた。
「柔道は、ついでだ。師範が、剣道のついでに教えていたので遊んでいたんだ。
いろんな警察署にいろんな人がいて教えてくれた。
県警本部に、吉川さんって婦警さんがいるだろ。あの人は合気道の達人なんだ。
それと、伯井署の川崎さんは少林寺。
行く度にいろいろ教えてくれた。
ワタシは非力だから、まともに勝負したら勝ち目がないだろ?
だから、教えてくれる人はありがたい」
「それ、いつ頃だ?」
鳴海が訊いた。
「ヨシといろいろ試したから、小学校の頃かな」
「おかげで、こっちは、年中怪我だらけだ。セイの竹馬の友って、大変なんだぜ」
側にいた長瀬が平然と言った。
全く気にもしていない。
森田は、セイが尋常でないのはよく分かったけど、一番尋常じゃないのは、こいつだ、と、しみじみ思った。
午後からは、剣道をした。
加藤は、竹刀だけは持ってきたが、防具などを借りて対戦した。
鳴海は、早川の強さに寒気がした。
加藤と山県巡査部長がやっと三本に一本と取れれば良いほうだ。
加藤は、山県巡査部長と互角に戦った。
早川は、息も乱さない。
これじゃ、長瀬が「見物に行く」と、言う道理だ。
早川は、いつもと様子が違っていた。
眼を爛々と輝かせて、喜々として戦う。
好戦的なヤツだったのだ。
こんなヤツの心配をした自分が馬鹿だった。
夕方、練習が終わった。坂本組の一同も鳴海も加藤もグッタリしている。
山県巡査部長が、「坂本くん。あの子を女だと思っているウチは勝てないよ」と、笑っていた。
坂本組の皆さんは、体中が綿のように疲れて、北斗駅に無事にたどり着けるか心配なほどだ。
一人早川だけが元気で、扇風機で髪を乾かしている。
波打つ癖毛が風にたなびいて、眼を輝かせている様子は一枚の絵のようだ。
鳴海は、柔道をした時、早川の胸が意外と大きくてそそられたのだが、防具を取って風に吹かれる様を見ていると、襟元から下が気になった。
こんなことを考えていることが知れたら殺されると、慌ててうち消したが、横を見ると、加藤も森田も長瀬までもが、同じことを考えているようだった。
坂本一家が帰るとき、長瀬が『惚れ薬』の試作品を一瓶渡したので、坂本は喜んでいた。
案外良いヤツなのかも知れない。
加藤は、早川の強さに愕然として、恋情を抱いたことさえ、身の程知らずだったと反省したようで、黙って帰って行った。
8月5日(金)北斗署にて
桜川高校の坂本生徒会長が子分三〇人を引き連れ、『北斗署のレオ』に果たし合いに来た。早川が、北斗署での武道の練習にしてしまって、全員くたくたになって帰っていった。帰りに、長瀬が『惚れ薬』の試作品を一瓶渡した。鳴海が呼んだのだろう。小杉高の加藤が助っ人に来ていた。しかし、早川一人でけりが付いた。
(裏のクラブ日誌より)
早川は非常識に強いのです。何しろ、歩く非常識ですから。




