第3回 開かずの間―前編―
月曜日、新聞を取りに1階の郵便受けまで行くと、広瀬と夏川に出くわした。ちょうど2人も新聞を取りに来たらしい。
「おはようございます」
広瀬がにこやかな笑顔を浮かべてくる。俺は彼女のこういう愛想の良いところがいいと思う。きっと学校でモテるだろうなと考えていたら、明らかに視線をそらしている夏川が目に入った。
「なんだよ?」
3階の廊下で2人きりになったとき、俺は先を歩く夏川に声をかけた。
「俺に言いたいことがあるんだったら、はっきり言えばいいだろ」
「じゃぁ言わせてもらいますけど、あなたの彼女に壁蹴るなって言っておいてください。これでも受験生なんです。気が散って集中できない」
夏川の言いたいことがなんとなくわかった。彼女ではないが、中田は結局日曜日の朝まで俺の部屋にいたのだ。
ばつが悪くなって俺は新聞を開きながら歩く。世間では、どうやら殺人事件というものが起こっているらしい。高校3年生の男が受験ノイローゼで人殺しだとか。
そういえば、ここにいるみんなは受験生だ。菅原と立花の様子だと、どうやら大学受験を希望していそうだが、広瀬と夏川はどうなのだろうか。4人の通う高校がどのくらいの偏差値の学校なのか俺は知らなかった。
そうしているうちに、夏川は自分の部屋に無言で入っていってしまった。
出かけていくとき、無意識にエレベーターを避けるようになった。
はっきり言って、この『つばめ荘』はおかしなことだらけで、俺に言わせれば、立花がなぜ赤いゴーグルをいつも身につけているのかも気になるところである。何か深い事情があるのかもしれないとあえて聞くことはしないが。
女の悲鳴が聞こえたのは、4限が終わってまっすぐ帰宅したときのことだった。
つばめ荘の1階大広間に響き渡る大きな声が聞こえた。俺はその場で立ち止まって、どうすることもできずに情けなくおろおろとしてしまった。しかし、すぐにエレベーターが5階に停まっていることに気づく。
と、背後から菅原、立花、広瀬の3人が寮に帰ってきた。
「どうしたんスか?」
立花がコンビニの袋をぶらさげて尋ねる。
「今・・・女の悲鳴が・・・・」
「あぁ。たまに聞こえるんスよ」
なんでもないことのように言うが、俺は内心で焦っていた。今のは女の声だ。ここにいる女は広瀬の他に夏川だけ。違うのかもしれないが、彼女ではないと言い切れない。
俺はダッシュで階段を駆け上った。階段を2個飛ばしで上がり、今まで来たことのない5階に初めて立った。
5階は他の階の造りとは多少違っていた。
まず、屋上がないためなのか上への階段がない。それから、廊下の1番奥にはバルコニーがある。そして、なにより・・・・・いくつかあるドアの1つがごつい南京錠と鎖で封鎖されていた。
俺はその部屋の前で立ち止まった。
なぜだろう。すごく気味が悪い。たかがドアに南京錠をつける必要があるのだろうか。
「省吾さん!どうしたんですか!?」
俺の後を追いかけてきたらしい。ばたばたとさっきの3人が駆け寄ってきた。俺は彼らのほうを見ずに、ドアを見て呟いた。
「ここ、なんかあったの?」
「あー・・・開かずの間ですね。俺たちもよく知らないんですよ。初めてこれを見たときはさすがに怖かったですけど」
「そうだよね。なんかお化けとか出てきそうで・・・」
広瀬も顔をしかめる。
俺は試しにドアをコンコンと叩いてみた。3人が驚いているのが気配でわかったが、それでも構わなかった。返事はない。代わりに、風が正面から吹きつけてきたような錯覚を覚えた。
夏川は大丈夫だろうか。今度は3階に下りて、303号室の呼び鈴を押してみた。
「どうしたの?みんなして」
彼女は心底意外そうな顔で出迎えた。
「いや、今変な悲鳴が聞こえてきたじゃない?」
代表して広瀬が答えると、夏川はへーとまた意外そうな顔になる。
「部屋にいたから聞こえなかったよ」
「ちょうど私たち下にいたの。私と省吾さんは学校帰りで、菅原と立花はコンビニに行ってたみたいで。だから、その悲鳴が瑠璃の悲鳴かもしれないから省吾さんが血相変えちゃって」
なんだかちょっと違う気もしたが、俺はつっこむことはしなかった。今さらだが、夏川の下の名前は瑠璃というのか。
それにしても、さっきの悲鳴は何だったのだろうか。普通、5階に用がなかったら誰も行かないはずだ。
「なぁ・・・ここに屋上ってあるのか?」
「え?階段がないからないんじゃないんですか?」
広瀬の言葉に俺は黙って頷く。今このとき、俺の中で何かを決意した。
午後11時。3階の廊下に誰もいないことを確認して、俺は音を立てずに歩き出す。
「どこ行くんですか?」
女の声が背後にかかったときにはさすがに驚いた。慌てて振り返ると、ドアを少し開けて顔だけ覗かしている夏川の姿があった。抜き足差し足で歩いていたため、変な格好なまま目が合った。
「謎の悲鳴の正体を突き止めに行くんなら、私も付き合います」
「いや、違うから。今からデートなの」
「こんな時間に、ジャージでですか?」
お互いにジャージ姿で向かい合った。何を言ってもついてくるつもりらしいので、俺は折れた。無言で5階に向かうと、てとてとと彼女がついてくる。
「もしかして、開かずの間に行くんですか?」
「そうだよ。俺は気になるととことん調べちゃう性質なんだよ」
「執念深い性格ですね」
だったらついてくんなよ。
5階はやっぱり人気がなかったが、誰もいないことを確認してから例の部屋の前に立つ。すると、妙な違和感を覚えた。
隣に立った夏川もそれを理解したらしい。
「南京錠が・・・開いてる」
それに、銀の鎖も床に落ちている。誰かがなんらかの目的で開けたんだ。
俺はゆっくりとドアノブに手をかける。ドアに抵抗があるのかと思ったが、すんなりと開いてしまった。一瞬、風が顔に吹きつける。
「夏川・・・先に行けよ」
「はぁ?男だったら先に行ってくださいよ」
「怖いだろ!」
「いくじなし!」
そう言われて、どんっと背中を押される。勢いあまって前のめりに倒れるのと同時に夏川も倒れこんでくる。もろに体当たりをくらって、しばらく息ができなかったが、なんとか起き上がる。
少し中を見渡してみた。とは言っても、中はダンボール箱が山積みにされているだけで、ぱっと見ただけだと物置に見える。死体でも隠されていたらどうしようかと今さらになってから思った。
「ねぇ、あれ」
袖を引っ張られて、彼女に示された方向を見る。階段だった。上へと続く階段がそこにはあった。
「どこに出るんだろ」
「屋根裏部屋とか。屋上っていう手もあるか」
俺がその階段へ足を踏み出した瞬間だった。遠くの方でチンとエレベーター特有の音が聞こえた。誰かが5階に来たようだ。
「隠れるぞ」
小声で彼女の手を引いて、傍の大きなダンボール箱の陰に隠れる。なるべく息遣いが聞こえないようにじっと待つ。足音が聞こえた。こつこつこつ。ハイヒールでも履いているのだろうか。それなら、女?
足音はドアの前で止まった。音がしない。
怖い。振り返ったら背後に何か立っていそうだ。
時間だけが過ぎていく。
やがて、がちゃんと場違いな音がしてはっとした。
何の音だ?俺は無意識に振り返ると、さっきまで見えていたものが見えなくなっていた。それは、5階の廊下。今はドアが閉まっている。
嫌な予感がした。俺は急いでドアへと向かう・・・・・・やっぱりだ。鍵が閉まっている。正確には、南京錠が閉められているのだろう。
「閉じ込められた」
夏川の方を向くと、彼女はなんと放心していた。
絶体絶命とはこういうことを言うのだろうか。
開かずの間・・・開いたし。
なんてつっこまないでください、どうか。
次回、開かずの間解決(?)編です。
いや、別に解決も何も・・・さわりだけですけど。
あまり長編にするつもりはないので、
これから少しずつ解明されていくと思います。
では・・・・・・