第2回 奇妙のはじまり
4月になって、大学の近所においしいと評判の焼肉屋ができた。金曜日、俺は友達と一緒に食べに行くことにした。
「こないだの南ちゃんとはどうなった?」
案の定、酔いの回り始めた友達、進藤にからまれる。酔っていた俺は露骨に嫌そうな表情になる。
「べっつにー。メールはしてるよ」
「なんでー・・・告られたんだろー?つきあわねーのかよ」
「つか、進藤飲みすぎだっつの」
人の話を聞いているのか、進藤はよろよろと頭を動かしながら、虚ろな目で俺を見てくる。なんとなく軽く目つぶしをしてみても「くすぐってーよー」とか言って嫌がっているだけだった。そろそろやばいかもしれない。
合コンで知り合った女の子、中田南。彼女になりたいみたいなことを言われたが、俺はその度にはぐらかしている。彼女には悪いが、たぶん好きになることはない、と言ってみたが、逆にそれでも傍にいたいと言われてしまった。
俺には気になる人がいる。『つばめ荘』でエレベーターから降りてきたかわいい女性。いまだにその人が誰なのかわからない。
ふと、つばめ荘のことを思い出すのと同時に、1つの用事を思い出した。
「やっべ!悪い、進藤。俺もう帰るわ」
「マジかよー」
他のみんなにも一言言ってから、俺は下宿先に猛スピードで駆けていった。
最初に言っておくが、俺の通う大学は県内トップと言われる国立のN大学だった。別に天才的な頭脳を持っていたわけではない。純粋に憧れていた先生がこの大学出身で、E判定から地道に努力した結果、見事に合格したのだ。
俺がN大学の学生だと知った菅原と立花が勉強を教えてほしいと言ってきた。今日がその日だった。
1階の大広間に行くと、待ちくたびれたかのように待っていたスポーツマンと赤いゴーグル男が俺に手招きをする。ちらりと傍の管理人室を覗いたが、電気は点いているようだがやっぱり無人のようだった。
「わっ!省吾さん、酒臭いですよ!飲んできましたね」
「悪い・・・そんなに酔ってないから大丈夫だと思うけど・・・・・なぁ、今日も管理人さんいないんだ?」
「管理人さん?さっき見ましたよ?ちょうど出かけていくところを」
初めて聞いた目撃情報に、俺はがばっと身を乗り出す。なんでもないことのように菅原は目をぱちくりとしている。
「マジかー・・・俺、ここに越してきてから1度も管理人さんに会ったことないんだよ。挨拶しなきゃなー」
「俺も3年間ここに住んでるけど、管理人さんに会ったことないッスよ?」
「俺もだよ。後姿とか遠くからなら見たことあるんだけど」
「そうッスよね。広瀬たちも見たことないって言ってたッス」
なんだ、ソレ。俺は高校生2人の会話を信じられない思いで見ていた。昔、小さな寮の管理人さんとそこの住人たちのコメディー漫画があったが、ここではそんなことはかけらも起こらないらしい。
「なんかすごいな、ここって。俺なんかまだ1度も会ったことない住人いるし。会わないのばっかだな」
「そんなことないですよ。いるはずもない住人・・・7人目・・省吾さんが入ったので8人目かな?とにかく8人目の住人を見かけたって話も聞きますよ。実際に俺も見ましたし」
俺は口の端が痙攣するのを感じた。掘れば芋づる式にいろいろなことが出てくるのかもしれない。
勉強を教えている間に管理人さんが帰ってこないかと期待していたが、結局10時を過ぎても帰ることはなかった。
翌朝、1階の大広間にケータイを忘れてきたことに気づいて、朝一番に取りに行って部屋に戻ってくると、ちょうどごみを出そうとしていたジャージ姿の夏川に出くわした。
歓迎パーティのときからまともに会話した覚えがない。
「よう。朝からすげー寝癖だな」
ただ挨拶をしようと思っただけなのに、出た言葉は考えていたものとは違った。
「そちらこそ、朝帰りご苦労様です」
「ご苦労はお互い様じゃない?寝癖は直すの大変だよ?」
「そうですね。ハゲは寝癖なんてつかなくて楽そうです」
この子相手だとやっぱり口ゲンカになる。なんか苦手なんだよ、夏川って。
何気なくケータイを見ると、未読のメールが何件か届いていた。全て中田南からのメールで俺は無意識にウンザリしてしまった。
「彼女に浮気でもバレたんですか?」
後ろからザマーミロというような顔の夏川。俺はべっと舌を出した。
「俺、超モッテモテだから」
「へー。みんな見る目ないですね」
かわいくない。答える代わりにドアを閉めて、そのままもたれかかる。
イライラしているのは、夏川の言葉になのか。それとも、俺自身になのかわからなかった。
今日のバイトは午後からだった。俺はすることもなく家でごろごろとしていると、突然外でがんっと何かがぶつかる大きな音がした。
怪訝に思って、玄関のドアを開けると見覚えのない後姿を見た。ちょうどエレベーターの中に入っていく。
「待っ・・・・・!」
思わず声をあげたが、エレベーターはそのまま下に降りていった。
今の誰だ?ここには確か6人の高校生がいるはずだ。まだ俺が会ったことのない人かもしれない。だけど―・・・なんとなくだけど、昨日菅原たちが言っていた8人目の人のような気がする。いや、誰も顔を知らない管理人さんかもしれない。根拠はないけど・・・
しばらくエレベーターの前でぼーっと突っ立っていると、今度はエレベーターが登ってきた。一瞬、さっきの人かと思ったが、3階で停まったエレベーターから降りてきたのは菅原だった。
「どうかしました?」
呆然として見てしまったのか、不思議そうな顔で夏川が睨んでくる。俺はふるふると首を振って何もないことを伝える。
「あのさ、エレベーターに乗るとき、誰か乗ってなかった?」
「誰も乗ってなかったですけど・・・」
「じゃぁ、こないだの歓迎パーティのときに来なかった他の高校生ってどんな人たち?」
「矢吹と香坂のことですか?矢吹が男子で、香坂が女子です。2人とも今は実家に帰ってるみたいなんですよ」
「実家?」
俺はきょとんとして聞き返す。
「はい。つばめ荘って、すごく家の遠い人か、事情があって1人暮らしをする人しか住んでないんですよ。それに、来年から寮が変わるので、今は3年生しかいないんです」
「変わんの?そんな話聞いてないよ!」
「あっ、取り壊すわけじゃないみたいですよ?ここはたぶん一般の人専用のアパートにするんだと思います」
菅原がそう言ったとき、俺のケータイが鳴った。また中田だろうとウンザリしながら見ると、今アパートの前まで来ているとのメールが届いていた。さすがにどきっとしてしまった。
「あ・・・俺、ちょっと用事できたわ。じゃーな」
「はい。また今度勉強教えてください」
菅原の言葉を背中で聞きながら、俺はエレベーターのほうに走っていった。なにか別の言葉が聞こえた気がしたが、俺は立ち止まらなかった。
しかし、エレベーターは5階で停まったっきり動かなかった。5階で誰か乗っているのだろうか。
いや、そのとき思い出した。前に菅原に聞いたことがある。
2階に住んでいるのが立花と俺の会ったことのない人。3階が菅原と俺と夏川。4階が広瀬ともう1人の俺の会ったことのない人。5階が最上階だが、誰も住んでいないと言っていた。
エレベーターは5階でまだ停まっているので、俺は階段で下に下りることにした。
だが、階段を一歩踏み出したときだ。背後でチンとエレベーターの箱が停まる音がした。ボタンを押していたからだ。
急いで見てみると、エレベーターの扉が開くと同時にすぐに閉まってしまった。
機械的な閉まり方ではない。明らかに人為的な閉め方。箱が動き出す。
俺は無意識に猛スピードで階段を下りた。
しかし、1階に到着したときには、すでにエレベーターは到着していて、扉が開いていた。乗っていたと思われる誰かはもう降りた後のようだった。
「省吾君」
気づくと、隣に中田の姿があった。俺は一瞬彼女のことを忘れてしまったので、見つけたとき少し驚いてしまった。
「突然来ちゃってごめんね。あのね・・・・・家に、今いづらいの・・・・・だから」
「あぁ、うん。ちょっと話変わるんだけど、今エレベーターから誰か降りてこなかった?」
たぶん俺はものすごく場違いな質問をしたのだろう。中田の決死の告白を俺は遮ってしまったのだ。彼女は戸惑ったような顔をした。
「・・・・・女の人が1人降りてきたけど・・・」
女の人?思いつくのは2人だけ。それとも、俺が1度だけ見たことがあるお嬢様のような人だろうか。再度質問しようと思ったとき、今度は中田に遮られた。首に手を回されて、無理やりキスをされる。
そのとき、俺は視界の隅に誰かの姿を見た。背格好から見て夏川だろう。彼女が驚いた顔で俺たちを見ている。それを認めた瞬間、無意識に彼女の体を離した。
「省吾君・・・?」
「俺の部屋に来いよ」
有無を言わさず、手を握ってエレベーターに向かっていく。彼女もそれが目的だったためか、おとなしくついてきている。
なぜか夏川の姿が脳裏に焼きついて離れなかった。やっぱり苦手なんだよ、夏川は。
なんだか怪奇現象ですね・・・
次回は開かずの間が出てくる予定です。
開かずの間・・?開くのかもしれませんが。
で、この小説の題名のようにこれは初恋の話だから、
並行して恋愛も進んでいく予定です。
まだ話は続いていきますが、どうかもう少しお付き合いいただけたらなと思います・・・・・