そろそろ出て二階に行こうか
「そろそろ出て二階に行こうか。そっちは不動持ちだからな」
頭の上から湯気をホクホクさせながら二階へ上がる。
「兄貴、窓際が空いてるぜ」
「先に行って場所を確保しておいて」
小銭を出してお菓子を確保する。葵から話を聞いた時から食べてみたいと思っていたんだ。
黒くて四角いので羊羹だろうか。
「お茶をもらってきたよ。あとお菓子も」
「ありがたい」
並んで腰かける。窓から入る風が湯上りの体に気持ちいい。
二階はほどよい混み具合だった。
横になったり娯楽に興じたりしている人たちをこうやって眺めているだけでこっちまで楽しい気分になる。
お茶で口の中を湿らせてからお菓子を口に入れる。
「あんまり甘くないんだな」
羊羹は控えめの甘味加減で、これはこれで悪くない。
「もぐもぐ……ほうはな。ごくん。すごく甘いだろ。甘いものは好きだけどさ」
不動はまさに鬼一口だった。
口の端についた餡を頭の上に乗せた手ぬぐいの端で拭う。
「それ、いいの?」
不動はお風呂場でも前を隠さずに手ぬぐいをずっと頭の上にのせていた。
「気にしないでくれ。ここで騒ぎを起こしたくないからさ。それよりもあそこ行こうぜ、あそこ」
興奮気味に不動が指差す先には階下を見下ろせる窓がある。
「湯気のせいでよく見えないらしいよ」
前にあそこで身を乗り出すようにしていた人がそんなことを……あれ?
「懲りない人だなあ」
蓬髪を撫でつけた男の人が窓の一角を占めていた。
そして以前と同じように体を乗り出して下を見ている。
微妙に鼻の下が伸びている……気がしないでもない。
「いいからいいから。行こうぜ、兄貴」
そこまで誘われて断るのも空気が読めないというものだ。付き合うとするか。
別に下心があったわけではない。友人の誘いを無下にしたくなかっただけだ。いや、本当に。
枠の一角を確保して二人並んで一階を見下ろす。
「なんだ、意外に見えるじゃないか」
確かに湯気が立ち上っているので見えにくいもののスタイルの判別ぐらいはつく。
「おおお、すげぇ。すげぇな、兄貴っ」
不動はすごく前のめりだった。
このまま転げ落ちても悔いなしと言わんばかりの食いつきぶりだ。
「もう少し湯気がないといいんですがねェ。これじゃァ顔もわかりゃしない」
蓬髪の男性の呟きに不動が無言で頷いている。
そこまで真剣になって見るようなものなのだろうか疑問だ。
だって体を洗ったりしているだけなんだし。
「不動が思い切り息を吹きかけたら湯気を飛ばせたりして」
取るに足らない冗談のつもりだった。
鬼の不動の肺活量ならそういうこともできたら面白いよね、ぐらいの。
「兄さん、できるんですかい?」
食いついてきたのは蓬髪の男だった。
期待に満ちた目をしてこちらを見る。その視線を不動が捕まえた。
「あんた、いい体してるな」
いや、別に変な意味ではない。
不動の視線は男の首回りや腕、足に向けられている。
確かにこの人は町人に見えない。
腕や足にはしっかりと筋肉がついていて、鍛えられたボクサーのような体つきをしている。
「鬼のあんたに比べたらたいしたことはないでしょうや」
さっと不動の顔が朱に染まる。
そして手を頭巾の上に置いた。
ああ、そうか。
不動は角を隠すために頭巾を被っていたのか。
「……すいやせんね。こういうところで口にすべきじゃありやせんでした。今のは忘れてくだせェ。だが、あんたが本物なら期待させてもらってもいいでしょ?」
男の声には期待の色がある。
口をへの字にして男性を睨みつけてから不動は大きなため息をついた。
活動報告にキャラクターデザインや書籍版冒頭をRPGツクールで再現するゲーム企画の開発状況をアップしていますので、よろしければそちらも合わせてご覧ください。




