ある程度の距離を取って立ち会う
20191017改稿。
ある程度の距離を取って立ち会う。
「それでは――はじめ!」
相手はどう動くかなと思うより前に突進してきた。
本当に猪じゃないだろうな。
全高が五メートルにもなる機巧武者が走れば地面も揺れる。
迫力だってかなりのものだ。トラックが迫ってくるのとはわけが違う。
深藍が右手を引いて拳を握る。
素人丸出しの完全なテレフォンパンチだ。
上体を下げ、ダッキングで拳をかい潜って前に出る。
素早く背後を取ってがっちりと首を決める。
こうなっては文字通り手も足も出ない。
何しろ鎧を纏っているのだ。手足の自由度は低い。
「勝負あり!」
澪の宣言に僕は首に回していた手を離して距離を取る。
「くっ、今のはこれから反撃するところだったんだ!」
情けないことを口にすると男を下げるぞ、梅園君。
「今のは勝負ありでしょう。あそこから拘束を解くのは無理でしょうからね」
意外な人の声に全員がそちらを見た。
「ヒロハタ館長……」
「大きな音がしてきましたからね。気になって出てきてみたわけです。さっそく模擬戦とは感心感心。私も間近で拝見させていただきます。ウメゾノさん、フブキ殿に胸を借りるつもりで挑みなさい」
「い、いや、俺は……その……」
「三回勝負なのでしょう。負けるのは大いに結構。負けて得られることもあるのですから」
館長のお墨付きをいただいているのなら問題はない。
改めて距離を取って立つ。
「それでは。二本目、はじめ!」
今度は簡単に距離を詰めてはこず、ジリジリと間合いを伺っているようだった。
時間をかけるつもりはないので無造作に足を進める。
「ちぃっ、間合いの取り方も知らんのか!」
深藍は一定の距離を保とうと円を描きながら移動をする。
僕はその意図を斟酌せず、空間を削り取るように動く。
「それならばっ」
逃げ回れないと判断をしたのか、逆に距離を詰めてきた。
今度は両手を軽く握って顎の位置を守るような形でガードしている。
打撃を警戒しているのだろう――と見せかけて右の出足払いの攻撃を、狙われた足をひょいと上げてかわす。
「くそっ」
蹴りの勢いを殺さないまま回転して体勢を立て直そうとするところを追いかける。
「ちぃ」
さらに回転しながら深藍は左手の裏拳。
距離を見極め、鼻先スレスレで回避する。
通り過ぎていく相手の左手を逃さずに捕えようとするが、深藍は素早く左肘を曲げて腕を取らせない。
逆に捕えようとするこちらの手をめがけて手刀が放たれる。
それを下がって空振りさせ、距離を取った。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
相手の息が荒くなるのがわかる。
僅かな時間の攻防だったが、どちらが優位なのかは明らかだ。
「迷ったら……前へ出る!」
深藍は体を揺らしながら突進してくる。
すっと上体を伸ばしたかと思うと、瞬時に膝を曲げてフェイントを入れてからの頭突き。
相手の頭頂部に手を置きながら、進む先を誘導するようにいなす。
離れていく深藍の足を引っ掛けるが、たたらを踏んでこらえた。あの右足でよく耐えた。
相手の態勢が整うのを待ってから再び距離を詰める。
徹底して近接戦闘を仕掛ける。
それを嫌って深藍は距離を取ろうとするが、僕が前へ出る速度が常に上回るために後手に回らざるを得ない。
苦し紛れに放つ攻撃はすべて余裕をもって回避する。
その攻撃もすぐに手打ちになり、下半身がついてこなくなる。
これでは当たってもダメージはほとんどない。
そんな状態でもなお、深藍は攻撃の意思を失わなかった。
フラフラになりながらも拳を放つ。蹴りを出す。
だがそのすべてを僕はいなし続けた。
やがて限界が来たのか深藍の機巧武者が両膝をつき、さらに両手をついて四つん這いになった。
「はあひぃ、ひぃぃ、はぁぁ、はっ、はぁぁぁぁ……」
完全に息が上がっている。
無様な姿だ。
見ようによっては土下座にも見える。
それでも。
膝に手を当て、立ち上がろうとする。
力が入らないのか、ガクガク足が震えている。
ようやく立ち上がるが、背筋を伸ばすことすらできない。
だというのに。
足を前へ出す。
「ひぃ、はあ、ひぃぃ、はああ……ふっ、ふぅぅ、はああ……」
息の仕方も忘れたかのような荒い呼吸音が調練場に木霊する。
「ま、負けない……俺は、まけ、ない……」
体を引きずるようにして前へ出ようとしている。
もう足が上がらないのだろう。
「お、俺は侍だ……負ける、わけには、いか、ない……」
膝から崩れ落ちた。
もう立ち上がれないだろう。
この場にいる誰もがそう思うような姿。
だがそれでも。
深藍の機巧武者は立とうとする。
力が入らない体に鞭を打つように。
「ぜはぁぁ、はっ、ふっ、ふぅぅ、ふぅぅぅ……はぁぁ。はっ、はっ」
呼吸を乱れさせながら。
「ごほっ、ごほ、ごほっ。うっ、ふぅぅ。はああ、はああああ!」
気合を入れ直して立とうとする。
「負け、ない……俺は、負けない……」
膝は地面から離れない。
もう立てないのだ。
それでも立とうとする。
そこまでする理由はなんなのだろうか。
僕に負けたくないからだけとは思えなかった。
そんな小さなことに対してなら、とっくに心が折れていたとしてもおかしくはない。
何かが彼を支えているのだけはわかる。
立ち上れない深藍の正面に立つ。
もう顔すら上げられない。
頭を垂れている。
正面に僕がいることもわかっていないのではないだろうか。
「くっ、くぅぅ。なめるなぁ。俺は、もう誰にも、負け、られない……」
手がジリジリと伸びてくる。
それはとても殴っているとはいえない姿だ。
だが、震える指先が葵色で縅た鎧に触れた。
「……負け、ないんだ……」
己の意志に反して、ついに力尽きる。
手が垂れ下がり、両膝から力が抜け、体が崩れ落ちる。
地面に倒れ込もうとするところを僕が受け止めた。
「……勝負あり」
そう澪が宣言をした。
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