ビィンと弦が鳴る
20191002改稿。
ビィンと弦が鳴る。
「ちっ、浅いか」
梅園景虎は苛立たしげに舌を鳴らす。
澪の隣に並ぶ濃く暗い黒に近い青色をした深藍縅の機巧武者が改めて矢をつがえ、放つ。
糸を引くように敵の機巧武者に矢が吸い込まれた。
「おおぉぉおおおおおおおおお!」
腹の底から声を絞り出した景虎の声に魂が奮い立つ。
怖いなどとは言っていられない。
澪たちの背後には守るべき幾千の民がいるのだから。
「流石です」
「ふん、この程度は当然だ。雨は狙いが付けにくいし、鬱陶しいが、正直に言って助かるな。相手の動きが鈍くなっている」
「彼らとの交渉には苦労しましたけどね」
水蛟の一族は澪たちとの約束を守ってくれた。
強い力を持つ水蛟は天候すら操るという。
そしてこの戦いが始まる数時間前から激しい雨が降り始めた。
突然崩れた天気にうろたえる敵方に対し、関谷の兵は周到に準備を整えていた。雨が移動中の音を消してくれる。視界を悪くしてくれる。
今は雨脚が弱くなり霧雨になっていたが、すでに足元はすっかりぬかるんでいる。
弓を射るときは足元に気を付ける必要はあるが、今のところはその程度で澪たちの戦闘行動に大きな支障は出ていない。
一方、敵がいる丘の麓は足場がかなり悪くなっていた。
雨水が集まり流れを作り、この丘への道を遮る形で川のようになっている。
その泥川を渡り切らなければ澪たちのいる陣にはたどり着けない状況だ。
当然、渡河中は水流に足を取られて思うように動けないので弓で狙いやすい。
数を頼みに一気に押しつぶそうという相手の策を見切り、それと気が付かれないように誘導し、この場に陣を敷くことをできたが故の状況である。
「おかげでこうして一方的に奴らを射抜ける」
ビィンと弦が鳴ると彼方で鈍い音がする。
手ごたえがあったのだろう、深藍の機巧武者の馬手がぐっと握りしめられた。
「お見事です」
「この程度は当然だと言った。機巧武者として初陣のお前には負けられんからな。いいか、一番手柄は俺がもらう!」
いつもと変わらない景虎の威勢の良さに、澪は思わず微笑ましい気持ちになった。
景虎とは過去にいろいろとあったが、彼は間違いなく優秀な侍だ。
戦場で安心して背中を預けられるぐらい頼りになる。
「そうはいきません。弓の技量なら私の方が上なのですから」
『そうです。なによりミオには私がついています。ミオがこの水縹の連れ合いである以上、他の者に後れを取るはずがありません』
顎を軽く反らして、ふふんとでも言いたげな水縹の姿が思い浮かぶ。
彼女の何事につけても自信ありげなところを澪は嫌いではなかった。
泥濘に足を取られながらも敵の機巧武者が坂道を駆け上がろうとしている。
「近寄らせるなぁ! 放てぇ、放てぇぃ!」
指揮官の広幡の声はこの雨の中でもよく通る。
成果を確認する間もなく次々と矢を放つ。
「あらあら、無駄の多いことですね。仕方がありません。皆様に弓の神髄をお見せいたしましょう。弓とは必中をもってよしとしなければ」
放たれた矢がスバンと小気味いい音を立てて敵に命中する。
「ほら、この通りに。無駄な矢を放つだけの余裕はありませんよ。そもそも弓術師範であるわたくしが皆様に後れを取るはずがないのですけれど。うふふふ」
まるで雨を弾いているかのような冴えた青色をした孔雀青縅の機巧武者が二人の後方から再び矢を放つ。
ヒョウという音を残すと敵の額を射抜いていた。
頭から矢を生やした機巧武者はその場で両膝をついて身動きしなくなる。
この視界の悪い中、小さな的を狙える技量に味方から感嘆のため息がもれる。
「これで四つ。この分ですと一番手柄はわたくしではないかしら?」
孔雀青の機巧武者を駆る明見笑が余裕たっぷりに言い放つ。
『ミオ、いけません。もっとたくさん弓を射るのです。これではご褒美が……ご馳走が!』
「お、落ち着いて、水縹。大丈夫、ご馳走は逃げたりなんかしないから」
もっとも自分たちにまでご馳走が振舞われる可能性は低いだろうなと澪は思っているのだが。
一度食べたときの記憶をもとに食堂で美味しい食事をいつも出してくれる中伊紀美野に頼んで狸食の再現をしてもらおうか。
「ふ、ふふふ……」
『どうしたのですか、ミオ』
「ううん、なんでもない」
戦場にありながらこんな調子でいいのだろうかと澪は首をかしげたくなる。
まるで操心館でのいつもの一コマのようなやりとり。
だがそのおかげで肩の力はすっかり抜けていた。
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