空は青かった
20191005改稿。
空は青かった。
鼻をくすぐる草木の匂い。
そして頭は柔らかなものの上にある。
「お目覚めになりましたか」
「葵か……えーと、また膝枕してもらってる?」
「はい」
ふんわりと葵は微笑んでいた。
その表情に何故だかほっとする。
帰るべきところに帰れたかのような安心感があった。
「あの、あのあの、ごめんね、うちの子がまさかあんなことするなんて思ってなくて、いきなりのことだったけど、でもでもさっきはキヨマサ君も悪かったと思うっていうか、あんな顔して近づいたら誰だって危ない人だと思うだろうし、私もあんな顔されたら身の危険を感じちゃうし、実際、うわぁって思ってたし、そりゃいきなり蹴ったりするのはよくないことだけど、しかもそのなんていうか男の子の大事なところを思い切り蹴ってたし、そしたらキヨマサ君が泡吹いて気絶しちゃうし、急いで〈手当〉は使ったからきっと大丈夫だと思うよ、大丈夫だといいな、もし使えなくなっていたらなんて謝ったらいいのか……だから、あの、ごめんなさい!」
葵の隣から僕の顔を覗き込んだ澪はものすごい早口で謝ってくれた。
「いや、こっちこそ、その……ごめん。あんまりに彼女がかわいかったから我を忘れちゃって」
既に痛みはない。さすがは癒しの技能だ。きっと大丈夫だろう。
さっきの澪の謝罪のセリフの中にいくつか気になる単語があったけど、全面的に僕に非があったのだから甘んじて受け入れるべきだ。
上体を起こす。うん、めまいとかもしないし大丈夫そうだ。
身体の動きを確かめるように、ゆっくりと立ち上がる。
「……大丈夫?」
心配そうに澪が問いかけてくるけど、まずは確認をしよう。
ぴょんぴょんとその場でジャンプしてみた。
痛みなし、違和感なし。
うん、大丈夫だろう。
「大丈夫みたいだ」
……まだ実戦経験もないのに使用不能になってないといいなあ。
心なしか僕を見ている葵の表情が余所余所しいようにも感じる。
あれだよね、いきなりあんな態度を主人がとっていたら、この人についていっていいか疑問に思うよね。
……ごめんなさい。
「改めて、さっきはごめん。別に危害を加えるつもりはなかったんだ」
「……」
澪のすぐ後ろに立って様子を伺っている犬耳娘に頭を下げる。
彼女の尻尾は高く上がり、うねうねと蛇行していた。
警戒されているっていうか、むしろいつ襲い掛かられてもおかしくない状態だ。
「コウジュ、キヨマサ君も謝ってるでしょ。あなたも謝りなさい」
紅寿と呼ばれた犬耳娘は不満そうに澪を見上げている。
尻尾の動きも変わらない。
「コウジュ」
表情は全く変わらない。
けれど、尻尾が垂れて、ゆっくりと左右に揺れている。
「本当にごめん。ちょっと調子に乗ってた。許してほしい」
両手を合わせて拝むようにする。
ここは澪みたいに土下座の方がいいのだろうか。
あんなに綺麗な土下座にはならないけど、誠意は見せられるかもしれない。
「コウジュ」
三度言われると、ペコリと僕に向かって頭を下げてくれた。
けれど警戒は続いているようで、澪の後ろに隠れてしまう。
「……」
そして相変わらず伺うように僕を見ている。
しまった。完全に嫌われてしまった。
「この子、もともと人付き合いが上手じゃなくて……でもいきなり人に手をあげ――足蹴にすることなんてないの。私の知る限りあれが初めてで……それは信じてくださいっ」
がばりと澪が頭を下げる。
まるで立位体前屈をするかのような下げっぷりだった。
これって土下座の一歩前ぐらいの謝罪なんだろうか。
「そんなに頭を下げないでって。さっきのは僕が悪かったから。彼女――紅寿だっけ? 紅寿は何も悪くないんだからさ。気にしないで欲しい。むしろごめんな。僕も悪気はなかったんだ」
本当にすまないと思っている。
ちょっとモフモフしたかっただけで、悪気とか一切なかったから。
「そういえばまだ澪に治療をしてもらったお礼を言ってなかったな。治してくれてありがとう」
「ううん。それはこの子の主人として当たり前のことだから」
部下の失敗は上司の責任というのをよく心得ているらしい。
さすがは知行持ちの領主様だ。
「この子、忍びとしてもとっても優秀なの。私の目や耳となって、いつもいろいろな情報を集めてきてくれて。今回も三桜に機巧武者が侵入しているっていう報告をしてくれたし、キヨマサ君の戦いを目撃して教えてくれたしね」
「え、見てたの? 僕の戦ってるところを?」
視線を紅寿に向けると、さっと澪の背後に隠れられてしまった。
あう、これはまともに話をできるようになるまで時間がかかりそうだ。
「……」
「へぇ、そうなんだ」
「……」
「そんなに強かったの?」
「……」
「うわー、私も見て見たかったなあ」
聞こえてくるのは澪の声ばかりだ。
紅寿は僕に話し声すら聞かれたくないのだろうか。
悲しい。
どんな鳴き声――声をしているか聞かせてくれてもいいじゃないか。
「あの忍びは声を発してはいませんよ」
「そうなの?」
「はい、先ほどから喉が動いていませんから」
僕の場所からだと澪の体の陰で見えないけど、葵が言うのならそうなんだろう。
もしかしてこの世界の犬耳娘は通常の会話ではなく独自の会話術を持っているのだろうか。だとしたら澪はどうやって会話をしているんだ。
「紅寿は声を出してないみたいだけど、どうやって会話してるの?」
「それは普通に……あ、そうか。うん、この子、ほとんどしゃべれなくって。でも私は〈友愛の声〉が使えるからこの子が何を考えているかはわかるの。この子だけじゃなくて、動物や植物の考えていることもある程度は理解できるんだけどね」
なかなか便利そうな技能だ。僕も身に着けられないだろうか。
「犬耳ついてる子はみんなこんな感じなの?」
「ううん。この子以外は普通にお話することができるわよ。ただこの子はちょっとあって……あと、この子の一族は人狼よ。犬じゃないからね。犬って呼ばれると怒る人もいるから気を付けて」
それが彼女みたいな犬耳――いや、狼耳を持つ種族の名称なのか。
人狼といえばウェアウルフ。またはライカンスロープ。狼男が有名だよな。
普段は人間の姿だけど満月の夜になると狼の姿になるというあれだ。
方向性としてはそういうものに近いのかもしれない。
ただし、この世界では人間の姿でも耳や尻尾が出ていると。
「……」
「うん、わかった。〈門〉までは安全なんだね」
どうやら会話は終わったらしい。
近くで聞いていると独り言にしか見えなかったけど。
「この先は〈門〉まで安全みたいだから急いで移動しようか」
「その〈門〉っていうのが転移できるやつなのかな」
「うん。改めて言っておくけど誰にも言ったらダメだからね。これは私たちだけしか使えないものだから」
「わかった。僕は何も見ないし、何も聞かないし、何も言わないよ」
そう答えると、澪はにこっと笑ってくれた。




