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戦場は霧雨に煙っていた

20191001改稿。


少し先のおはなしです。

 戦場は霧雨に煙っていた。

 細かな雨が視界を遮り、遠くのものは薄ぼんやりとしか認識できない。

 眼下に滲んで見える影がじりじりとにじり寄ってくる気配を感じ取る。


「構え!」


 この場を指揮する広幡(ひろはた)宗玄(そうげん)の掛け声に応じ、大きく伸びるように弓を持ち上げて打起す。

 胸を開きながらゆっくりと降ろしてくるように弓を引くとキリリと鋭い音がした。

 雨が(やじり)を濡らし、ぽたりぽたりと先端から雫が滴る。


「放てぇ!」


 引き絞られた弓から次々に矢が放たれる。

 ヒィョゥと風を切った四(メートル)を超える大矢が敵陣に居並ぶ機巧武者に次々と命中した。


「オオオオオオオ――ッ!」


 背後に控える兵たちの歓声があがる。


「さすがは関谷(せきや)の機巧武者よ」「愚か者どもめ! 数が少ないと我らを侮ったな」「伊達に青の国と言われておらんわ」といった声も聞こえてきた。


 囃し立てる声が聞こえたわけではないだろうが相手も弓を構え応射する。

 しかし矢に勢いはなく、こちらの陣まで到達することはなかった。


「どうやら、あちらには強弓の使い手がいないとみえる」「どうせ腰に梓の弓を張っているのだろうて」「緑と赤の国など何するものぞ!」

 相手を見下す笑い声があちらこちらから聞こえてきた。


 (さね)を薄く明るい青色で結び合わせた水縹(みずはなだ)(おどし)の機巧武者の中で、淡渕(あわぶち)(みお)もようやく唇を笑いの形に曲げることができた。


 緊張から口の中はカラカラで喉がひり付きそうだったが、それでも心の余裕を持つことはできている。

 過度の緊張は疲労に繋がる。

 だからそういうときは無理にでもいいから笑ったほうがいいと教えてくれたのは果たして誰だっただろうか。


「続けて放てぇ!」


 弓構え、打起し、引分、会、離れ、残心。


 双方の距離がある状態で少しでも相手の戦力を削っておかなければ澪たちに勝ち目はない。

 事前に打ち合わせた作戦でもこの段階で可能な限り相手を倒すことになっていた。


 澪は無心で矢を放つ。

 命中した大矢が敵の胸部を貫き、勢いでひっくり返る。

 そのままぬかるんだ地面を滑り落ちていった。

 違い山形の文様が描かれた指物旗(さしものはた)が泥まみれになる。

 だが行動不能には至らなかったのだろう。泥に汚れながらも立ち上がろうとしている。

 そこに再び矢が降り注ぎ、一本の大矢に頭を射抜かれてようやく擱座した。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 口を開けて荒い呼吸をなだめようとするものの思うようにいかない。

 心を落ち着けようとするが、気ばかり急いてしまう。


『――今日の食事はお魚がいいですね』


 唐突に澪の心に話しかけてくるものがある。


「いきなりなんの話?」

『祝勝会の献立について私なりの希望を述べてみました。ミオ、私はお魚がよいと思うのです』

「戦の真っ只中なのに、そんなことを急に言われても困るんだけど……」


 澪は連れ合いの唐突な話題についていけなかった。


『いえ、今だからこそ伝えておかなければならないと思ったのです。なにしろ、美味しい食事を準備するには多くの時間が必要だと聞いています』

「それはそうだけど……」

『だから早めに要望は伝えておくべきだと考えたのです。ミオ、お魚にしましょう』

「……わかった。でもね、水縹が心配しなくても関谷はおいしいお魚がたくさんとれるから心配はいらないと思うよ。お城の食事っていったら私も一度しか食べたことないけど、一見したところお椀にご飯が盛ってあるだけなのに、実はその下にいろんなおかずが隠されている狸食っていうのが目にも面白くて美味しかったよ。そのおかずの中に白身のお魚も入ってたはずだけど……」

『それは素晴らしい。実に素晴らしいことです。そんなご褒美が待っているのなら、この戦は負ける道理がありません』


 そうだった。

 連れ合いである水縹の君は澪が漠然と思い描いていた性格とはやや――いや、かなり異なっていたのだ。

 それは一言で表すことができる。


「くいしんぼ……」

『――ミオ、よくわかりませんでした。なんと言ったのですか?』


 水縹が反応するまでに少し間があった。


「あー、ううん。なんでもないよ。でもまだ戦は始まったばかりなんだから。まずは目の前の敵をなんとかしないと」

『大丈夫です。この程度は問題ありません。貴方は必ずやこの戦を生き延びることができますし、勝利します。何故ならば――』


 会話をしているうちに、少しずつ澪の呼吸が落ち着いてくる。


『この私――水縹がいるのですから』


 自信満々に言い切る連れ合いの言葉に、思わず澪の口元が綻んだ。


「ありがと、水縹。あなたって思っていた以上に自信家なのね」

『自信家という評価はいささか不満です。私はありのまま、事実を口にしているだけです』


 拗ねて、ぷぅっと頬を膨らませている様が見えるようでおかしかった。

 彼女は作り物であるはずなのに存外表情が豊かだ。下手をすると少し前の澪よりも。


「すぅ……はぁぁぁぁ。すぅぅ……はぁぁぁぁ」

『落ち着きましたか?』

「うん、ありがと。でもあともう少しかな」


 正しく矢を放つには呼吸を整えなければいけない。

 先ほどの会話が澪の緊張をほぐすための戯れ言だったのだとようやく思い至る。

 いや、水縹ならばあれが本心であったとしてもおかしくないのだが。

 しかし結果的にとはいえ澪の気持ちが落ち着いたのだから助言であったと思うことにしておいた。

 その方がなんというか心が穏やかでいられそうだ。


「すぅ……はぁぁぁ。すぅぅ……はぁぁぁ……」


 再び深呼吸をして、己の気持ちを丹田に収める。

 落ち着いた。問題はない。

 そう自分に言い聞かせる。


『大丈夫のようですね』

「うん。次――」


 再び弓をつがえる。

 初めて実戦で操る機巧武者だが、まるで自分の身体のように動く。

 水縹も澪を受け入れてくれている。大丈夫。やれている。


 視界はいつもよりかなり高くなっているためにその調整は必要だが、今のところ大きな問題はなかった。


 射る――命中。

 再び味方から歓声が上がった。


「やった!」

『この程度で喜んでいられては困りますよ、ミオ』

「はいはい、いっぱい手柄を立てておいしいお魚を食べないといけないもんね」

『その通りです。ミオにはたくさん活躍をしてもらうのでそのつもりでいてください』


 この戦が始まる前、敵の機巧武者はこちらの五倍以上と斥候からの報告があった。

 事実、眼下にはかなりの数の機巧武者がいる。小国を攻め落とすにはいささか大げさに過ぎる数だった。


 兵法に五倍の兵力があればこれを攻めよという言葉がある。

 澪たちは簡易的な陣を丘の上に構築して迎え撃っているとはいえ、このままでは数に任せて押し切られるのは必定だった。

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