1 おはようございます
「おはようございます」
涼やかな葵の声に目が覚める。
衝立の向こうからはまだ複数の寝息が聞こえてくる。
「おはよう。みんなはまだ寝てるのかな」
「はい。翠寿には主様のお世話もあるというのに困ったことですね」
「そう言わないであげてよ。このところ頑張りすぎていたのは知ってるし、今日ぐらいは好きなだけ寝させてあげてもいいんじゃないかな」
一晩干してすっかり乾いた制服に着替える。
「失礼いたします」
障子が開くのとほぼ同時だった。
「――っ」
「清正さま!」
紅寿と翠寿が布団から飛び起き低い姿勢をとる。
僅かな音も聞き漏らすまいと耳は前方に傾き、八鶴さんを睨みつけている。
「あ、あの……?」
「二人とも構えを解いて。八鶴さんだよ。昨夜のことは覚えてない?」
「……ぅ」
「あたまいたぃ……」
二人は顔を顰めて布団の上に力なく伏せる。見事に二日酔いのようだ。
「不吹様に言われた通りシジミの味噌汁をお持ちいたしました」
お酒が残った翌日の朝はこれに限る。
「それを飲んだら少しは楽になるよ」
二人は湯気の出るお椀を受け取って、ふーふーと冷ましてから飲む。
「……!」
「これ、うまいだらぁ」
ご機嫌のようで、ゆっくりとふさふさの尻尾が揺れている。
「ん……いい匂い……お腹すいた……」
布団から起きだした澪の頭はボサボサだった。浴衣は肩から半分ずり落ちている。
「起きたのなら澪も味噌汁を飲むといいよ」
「ありがと。……ずず。あー、これおいしー。はー、生気がみなぎってくるみたい……」
「動けるようになったら朝ご飯を食べに行こうか」
「よろしければおむすびもご用意してありますので召し上がってください」
お盆の上には小さな三角形のおむすびがのっている。
「わー、おいしそう。いただきまーす。紅寿たちもいただきなさい」
「いっぱい食べてくださいね。足りなければおかわりもご用意しますから声をかけてください。それでは失礼いたします」
しばし無言で朝食をいただいた。
「はー、おいしかったー。ごちそうさまでした」
「ごちそーさまでした!」
「みんな、体調は大丈夫そう?」
「うん。今日はなんかいい感じかも」
そりゃ、澪は火酒を一口しか飲んでないしね。
「じゃあ、代官所で挨拶をしてから須玉匠の所へ向かおうか」
「わかった。支度しちゃうね」
立ち上がった澪が帯をほどいて浴衣を脱ぐ。
「ちょ……」
慌てて後ろを向いて衝立の奥へ駆け込んだ。
「清正君。どうしたの?」
「あ、いや、なんでもないよ。そっちの準備ができたら教えて」
「わかった。紅寿、お願い」
ぎゅっと目を瞑って焼き付いてしまった光景を懸命にかき消す。
「ん? あれ? あれれ?」
「どうしたの」
「えっと、私、清正君に返したっけ?」
「何を?」
「……水縹の勾玉」
「澪が持ってるんじゃないの」
「……だよね。あれ? あれれ? どこ? どこにしまったっけ?」
「布団の中は」
掛布団を澪が剥ぎ取る。だけどそこには皺の寄った敷布団しかない。
「あれ? あれー?」
次々と掛布団をめくり、それでも見つからないと今度は敷布団までひっくり返す。
「ない! ないないない! 勾玉がない! そっちは?」
僕が使っていた布団もめくってみたけど勾玉はなかった。
「ど、どうしよう……どうしよう清正君!」
「とりあえず落ち着いて思い出してみよう。僕が勾玉を渡した後、どうしたっけ」
「えっと……たしか火酒が来たからしまった……んじゃないかな」
「どこに」
「……懐?」
「今の疑問形だよね」
「ちゃんと覚えてない……」
澪の顔が水縹色もかくやとばかりに青くなっている。
「たぶん昨日のお店に置き忘れてきたんだと思う。行ってくるね!」
上着の裾を翻して澪が部屋から出ていった。それを紅寿が無言で追いかける。
残された葵と翠寿は無言で僕を見た。
「仕方ないね。僕もお店に行ってくるよ。悪いけど葵はまた留守番をしてもらっていいかな」
「かしこまりました。くれぐれもお気を付けください」
宿の外に出るとさっと日が陰る。
「なんだろう」
雨でも降りだすのかと空を見上げると北西の方角に黒い雲が集まりつつある。
カッと一面が白くなったかと思うと、ドーンというお腹に響く音と共に一条の光が落ちた。
「ひゃ!?」
翠寿が抱き着いてくる。
小刻みに震えているので頭巾を被った頭を撫でてあげる。
そうしているうちに黒い雲はかき消えてしまった。雨は降らないらしい。
よほど怖かったとみえ、翠寿の指先はまだ震えている。
「翠寿。手をつないでもらってもいいかな」
「……うん、いいよ!」
小さな手を握り締める。
「さて、僕たちも澪たちを追いかけようか」
「はい!」




