18 道中にはほとんど明かりがない
道中にはほとんど明かりがなく、城下町と比べると閑散とした印象だった。
「本当に出歩いている人がいないんだ」
「お侍様からも暗くなってからの外出は控えるように言われていますから。もっとも、そんなことを気にしない人もいますけどね」
浜田屋は船坂町の中心からやや北にあった。
大きな通りに面していて、なかなか立派な建物だ。一見すると旅籠というよりはお店のようにも見える。
「クンクンクン……なんだか変わった匂いがするなあ」
僕の言葉に翠寿が鼻をつまんでいた手を離して匂いを嗅ごうとしてまた涙目になる。
「なんもにおいわからへん……」
「もとは油問屋だったのですが旅籠もするようになったのだと聞いています。今でも油を扱っているのでそのにおいでしょうね」
八鶴さんが敷居をまたぐ。
「旦那様。お客様がお越しです。こちらでしばしお待ちください。ただ今、体を拭くものと足を洗う桶を用意してきます」
そう言い置くと八鶴さんは店の奥へ入っていく。
土間の隅には大きな甕がいくつも並んでいる。あそこに油が入っているのだろうか。
「ちょっと体が冷えるね」
城下町なら銭湯でひとっ風呂というところだけど、ここでは贅沢な話か。
「はいはい、ようこそお越しくださいました。お泊りは五人様でしょうか」
丸顔の恰幅のいい男性がにこやかに話しかけてくる。八鶴さんと同じ紺地の上着を着ているから、やはりあれはこの宿の制服なのだろう。
「はい。とりあえず素泊まりで一泊お願いします」
「それでしたらお一人様二千圓となります。部屋を貸し切るのでしたら二万圓になりますが――」
主人の視線は軒下で頭巾を取り、体を震わせて水を切る翠寿へ向けられている。
「――じ、人狼!?」
その言葉に翠寿がぱっと頭巾を被り直す。それから恐る恐るといった風に顔を上げた。
「こ、困りますねえ。うちではそういう人たちはちょっと……」
不機嫌そうな声。申し訳なさそうな翠寿と紅寿、そして澪の表情。
なんだこれは。
こんなことがこの世界では許されるのか。
「清正君。私たちは別に宿に泊まらなくてもいいから……」
一瞬、世界が赤く染まったのかと思った。カッとなっているのを自覚する。
「部屋は借り切りでお願いします! これだけあれば十分でしょう!」
懐から財布を出して、床に十万圓を叩きつける。
「桶の用意ができました。こちらで足をお拭きください」
奥から戻ってきた八鶴さんに声をかける。
「部屋を一つ借り切りました。案内してください。桶はそこで使わせてもらいます」
八鶴さんが出てきた奥へと続く狭い土間をズンズン進んでいく。
「え? あの……お客様!?」
悔しくて悲しくて堪らなかった。
旅籠は入口から奥へ向かって土間が続く縦に細長い構造をしている。その一番奥まった場所が僕らの部屋だった。
「外で頭巾はとっちゃだめっていわれとったのに約束やぶったもんで……」
土間に立ったままの翠寿から滴り落ちる水で足元が色濃く染まっていく。
「だから、その……ご、ごめんなさい……」
目に涙を浮かべ、震える声でそれだけ言って翠寿が頭を下げる。
「翠寿が謝ることじゃないよ。風邪をひかないようにちゃんと体は拭いておくんだよ」
「けんど……」
「葵。お願い」
「承りました」
上り框に座り、八鶴さんの持ってきてくれた水の入った桶で足を洗ってから部屋に上がる。衝立の向こうに回って濡れた服を脱いだ。
「八鶴さん。着替えって借りられますか?」
「はい。ご用意してあります。こちらをお使いください」
衝立に浴衣が架けられる。
体を拭き終えてからそれに袖を通し、布に包まれた大事な荷物を改めて懐に入れる。
「そっちはどう? みんな着替えた?」
「大丈夫だよ」
衝立からそっと顔を出す。
葵はまだ濡れている翠寿の髪を拭いてあげており、着替え終えた澪と紅寿は濡れた服を長押にかけているところだった。
「先ほどは申し訳ございませんでした」
「八鶴さんも謝る必要はないですよ」
「……はい」
「ごめんね、清正君」
「だからもういいんだって。むしろ一部屋しかなくてごめんね。寝る時は衝立で部屋をわけるからそれで勘弁して」
部屋は八畳一間の畳敷きだ。
「清正さまはあたしがちゃんとおまもりするだらぁ!」
「それは心強い。よろしくね」
「う――はい!」
翠寿がにっこり笑う。
すっかりいつもの翠寿に戻っていた。やはりこうでないと。




