08 お風呂のよーいができただらぁ
「お風呂のよーいができただらぁ」
「ありがとう」
ほの香姫に掴まれていない左手で翠寿の頭を撫でてあげる。
サラサラと音を立てるような髪の手触りは相変わらずよい。嬉しいのか特徴的な耳がピクピクと反応している。
ほの香姫が無言で僕の右腕をかき抱くと肘のあたりに柔らかなものに挟まれた。
今のわざとやっていませんかね?
「そういうわけで、お風呂でもいかがですか。さっぱりすると思いますよ」
「……?」
一瞬の間。それからほの香姫の頬が赤く染まった。
抱えていた手を離し、ジリジリと後退していく。
背後に立っていた天色の君の所まで下がってようやく止まる。
「お、お心遣い感謝いたします。それでは、ほの香はこれにて……」
さっと踵を返すと建物へ小走りで向かう。
天色の君は僕たちへ向けて頭を下げてから後を追いかけた。
「ふう、助かった」
「ここまで計算の上で風呂の用意をさせていたのですかな」
「まあ、そうですね」
「ははは。不吹殿は策士でもあるのですなぁ。ますます頼もしい。姫様を危険にさらしたくないというお気持ちはわかります。それは俺も同じですから」
「思っていた以上にほの香姫がお強いのもあって悩むんですよね」
「わかります。道場剣術ではありますがそれなりに動け、下手に自信を持っているのもありますしな。ああいうのは一度痛い目を見なければわからないでしょう」
戦場ではその痛い目が致命的なことにならない保証はない。だから難しいのだ。
「比較的安全な形で実戦を一度経験してもらえるのが理想なんですけど、なかなかそういうのはなさそうですし……悩ましいです」
「清正さまはなにかこまっとるの? ほんなら、あたしがお力になるだらぁ」
「翠寿にはいつも助けてもらってるよ。ありがとう」
「えへへー」
実際、翠寿にはフル回転で働いてもらっている。
僕の世話をする付き人としても、操心館で働く小者としても、情報収集をする忍びとしても。
「翠寿は疲れてない?」
「へいちゃらです!」
にっこりと笑って今まで以上に尻尾を振る。
「碧寿から連絡はまだないのかな?」
僕の問いかけに尻尾が止まる。それから目を潤ませて俯いてしまった。
「碧おねーちゃん、ちゃんとさがしとるもんで、もうちょびっとまっとってください」
「勿論だよ。連絡があったらすぐに知らせてね」
「う――はい!」
「あいつ、もう関谷にはいないんじゃないかなぁ。碧寿が捜し出すのにこんなにかかるなんて考えにくいんだよね」
三桜村から姿を消した日影を翠寿たちの姉、碧寿が追っている。
人狼は追跡の名手だ。
その人狼において手練れ中の手練れと名高い碧寿が見つけられていない。
隻腕の男が関所に姿を見せたという報告もないので、もしも関谷から逃げ出しているのなら道なき道をいく山越えか海上ルートを選んだことになる。
前者は遭難や滑落に加え大型の獣や魔物に襲われる可能性があり、後者は海流によって漂流ということもありえる。
むーと唸りながら、澪は眉根を寄せている。
「どうかした?」
「あのね、清正君は私の村を機巧武者が襲ったことと砦への攻撃って関係してると思う?」
「そう考えた方が自然だろうと思うよ」
「不吹殿が久納砦にいた時は敵の機巧武者と戦っておらんのでしたか」
「ええ。聞いた限りでは三桜村で最初に倒した機巧武者と似た装備だったようですね」
足軽のような簡単な鎧と素槍の機巧武者。
それはこの世界へ僕がやってきた時に倒した機巧武者と同じ姿だ。
右も左もわからなかったにも関わらず、ゲーム開始後のチュートリアル戦闘のように圧倒できたほど弱かった。
「戦力の逐次投入ほど愚かなことはありますまい。霧峰もそれはわかっているはず。故に散発的な攻撃には裏がありそうですな」
「あの機巧武者は人形雛みたいなのを使っているんじゃないかって清正君は言ってたけど……」
人形雛は機巧姫を真似て作られたものだ。
でも使われている勾玉が小さいこともあり、機巧武者の姿をとることはできない――本来ならば。




