ケイタイ依存症の女 (ショートショート58)
ここは警察署の取調室。
ひとつの机をはさみ、刑事と若い男が向き合って座っている。
「あの時間に出かけると、一時間ぐらい帰ってこないの、オレ知ってたんですよ。それがあの女、今日にかぎって、五分もしないうちにもどってきやがって」
男は顔をしかめ、供述を続けた。
「オレもまだ玄関に入ったばかりで……。いや、あわてましたよ。まさか帰ってくるなんて思いもしなかったもんで」
「はち合わせか?」
「はい」
「それで逃げるとき、彼女を突き飛ばしたんだな?」
刑事が確認するように聴く。
「突き飛ばしただなんて。肩がちょっと触れただけですよ」
「ウソをつくんじゃないよ。被害者はな、ドアの前で気を失ってたんだ。こいつはもう、立派な強盗傷害罪だな」
「そんなあ」
男の顔がまさかという表情になる。
被害者が入院している病室。
「どうして今日は、出てすぐにもどられたんですか?」
刑事は手帳とペンを手に、加害者の男の供述のウラをとっていた。
「忘れ物をしたからですわ」
ベッドの上の女性が答える。
「なにをお忘れに?」
「ケイタイよ。ケイタイが手元にないと、とっても不安でして」
「そうでしたか」
「なにかあったとき、すぐに連絡できますでしょ」
先ほどから女性は、手の中のケイタイをいじりながらしゃべっていた。ゴチャゴチャと、いくつもの飾りものがついている。
「ですが……今回はそのケイタイがもとで、このような被害に」
「あら、そうなのよね」
「それで、玄関に忘れてたんですか?」
「ええ、靴箱の上。玄関に入って、ちょうど手にしたとき、男がぶつかってきましたの」
男の供述どおりである。
「そのケイタイ、残念ながら今回はお役に立ちませんでしたね」
刑事は少し皮肉をこめて言った。
「いきなりだったんですもの。メールだってできませんでしたわ」
女性の指がせわしなく文字を追っている。
「あの……」
「まだなにか?」
「メール、少しの間やめてくれませんか? 話していて、どうも落ち着かないもので」
「あら、ごめんなさいね。今日のこと、さっそく友だちに送ってたの」
女性はケイタイからやっと顔を上げた。
刑事が首を振って手帳を閉じる。
「ところで年齢は?」
「わたし、先月で九十六歳になりましたのよ」