プロローグ(2)
それでも走ることだけは諦めない。
人影に飛び込む行為が、まるで自分の身に安全をもたらすような感覚を抱いていたのだから。
何かに気づき、手招きするような人影へ着実に近づいていく。
姿が鮮明になるにつれ、彼女の骨は軋む。
人影を数え、骨が軋む。
顔を確認し、骨が軋む。
骨が軋み、骨が軋んで軋んで軋んで軋んで軋んで軋んで軋んで軋んで軋んで軋んで軋軋軋軋軋軋軋軋軋軋軋軋軋軋軋軋軋軋―――――――歪んだ。
まるで、糸を断ち切られた傀儡のように。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……ッ!」
彼女の視界を埋め尽くすのは相も変わらぬ無尽蔵の濃霧だが、背中に伝わる刺々しい冷たさが自分は地面に横たわっているのだと認識させる。
とうに限界を迎えていた足の骨は、彼女の意志に背き責務を放棄したらしい。
しかし、責務を全うしたところで横転する結果は同じだったのだろうと少女は笑った。
彼女にとって単純明快だった解答をあえて無視していたのかもしれない理由は、どこかしらで希望を抱いていたかったからだろう。
しかし、希望というものはそうたやすく求められるものではないから希望なのだと。
「ハァ、ハァ、ハァ――――ハ、ハハ、アハハハ、アーッハッハッハッ!」
視界の濃霧が切り取られ、かわりに人影――もとい人間のようなモノたちが少女の顔を覗き込む。
くっきりとした双眸に淡い唇、筋の通った鼻と、寸分違わぬ女性の顔をしていながら、それらには総じて命を感じることができなかった。
ならば今、少女が対峙するものは一体何なのか。
度を超した恐怖は彼女の理性を貪り、思考を啄み、僅かな活路までも蝕む。
故に――少女にできるのはただ、笑うことだけだったのだ。
感情を宿さぬ人間の贋作たちは、今にも言葉を発しそうな表情を見せながら、しかし、頬の肉一つ動かすことはない。
まさに人形のような印象を受けたものの、彼女はたちまち否定してしまう。
何故なら――人形は、人の手で操らなければ動くことなどできるはずがないからだ。
人の形を真似た模造品に命や感情など宿りはしない。
それは人の嗜好と愛玩によって生み出された、人に似て非なるモノであり。
決して、本物になることなど叶わない。
仮にも、その常識が音を立てて崩れ去ったとして。
それはさながら禁忌のようで――少女はふと、己の愚かさを身にしみて笑った。
既に手足の動かない状態で贋作たちを見上げている自分は、何を根拠に本物を名乗れるのか。
人の意思がなければ動けぬものが人形だとするならば、既に少女は人でありながら自分の意思で動けぬものとなっている。
もし、視界を埋め尽くす贋作と本物であるはずの彼女に境界線が存在するのだとしたら――
ここまで恐ろしく美しい贋作がこの世に存在する時点で、それはただ、魂を宿す器があるか否かの程度なのだろうと。