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終わりのとき

作者: コメタニ

 男は庭に置いたソファーに深々と身を沈め陽の光を浴びていた。冬の昼過ぎの日差しは穏やかに全身を温め、彼は心地よさにうつらうつらとしながら、浮かんでは消えていく様々な思いをまるで色褪せた卒業アルバムをめくるかのように眺めていた。

 いよいよ終わりのときを実感するようになった今では、恐れや嘆きの感情は薄れてしまい、どこか傍観者の気持ちになっていることに男は気付いていた。こんな事になってしまったのは誰の責任かなんて、もはやどうでもいい。未知の可能性が、新たなテクノロジーが目の前にあれば、それに手を伸ばしてしまいたくなるのが我々人類だったではないか。そうして我々は文化を築き発展を続けてきたのだから。人々をあらゆる病から救うと期待され開発された極めて微小な生命体が、皮肉なことに地球上の全ての生物の命を奪うことになってしまったのは運命のいたずらに過ぎず、潔く受け入れるしかないではないか。

 それに自分はまだついている、と男は考えていた。天寿を全うするまでには半分にも達していない年齢だが、それでも、ささやかだったとはいえ人並みの幸せを経験することができたのだ。幼い日々には親の愛情を注がれ、少年時代は友人たちと楽しい日々を過ごし、青春時代には恋愛も経験した。結婚はしなかったが、情熱を持って仕事に打ち込むことができた。それなりに充実した人生だったといえるだろう。

 そして、この人類最後の一大イベントを目撃者の一人として迎えることができたのだ。悲劇とはいえ、特等席のチケットを与えられた幸運を素直に喜ぶべきだろう。

 男は閉じていた目を開くと庭を眺めた。変わり果てたその姿は冬の寒さのせいだけではなかった。草花はすっかりと枯れてしまい、その先端は崩れ落ちてしまっていた。樹木は灰色に石化し石像のようだ。耳をすませても物音ひとつせず、ときおり吹く風も、硬化した草花を揺らすことはなかった。動くものは何もない、静寂の世界がそこにあった。

 そのとき、ふとなにかを忘れているような、やり残しているような感覚が男を襲った。この期に及んで、やらなければならない事などあるわけがなかったが、しかし、突然沸き上がった衝動に抗うことが出来ず、言うことを聞かなくなりつつある身体で億劫そうに立ち上がると、ゆっくりとガレージの方へ歩いて行った。

 

 ガレージの隅には作業台があり、その上にはロボット犬が置いてあった。かなり昔に大流行したもので、彼は古道具屋でそれを見つけた。全身が痛んでおり、作動もしなかったロボット犬を彼は購入し、このガレージで長い時間をかけて修理を行っていたのだ。もう少しで完成というところで今回の騒ぎになり、そのまま放置されていたのだった。ロボット犬の外見は完全に修復が行われ、見た目は新品そのものだった。

 男は工具を手に取ると、ロボット犬の内部をいじりだした。ひたすら作業に没頭し、頭の中の様々な思いを追い出して、かつての生活を取り戻すかのようにつかの間のひとときを過ごした。


 数時間が過ぎた。男は工具を置くと、ロボット犬のスイッチを入れ作業台の上に置いた。ロボット犬は目を発光させ、お座りの姿勢で尻尾を勢いよく振りながら、くぅーんとひと鳴きした。

 その出来に満足した男は、いよいよ自由が利かなくなった身体に鞭を入れ、ロボット犬を両腕で優しく抱きかかえると、庭のソファーへと戻った。日は沈みかけ、死に支配された庭は夕焼けに照らされていた。灰色の木々や草花が、その半身を橙色に輝かせていた。その美しい光景に男は胸を打たれた。終わりを知ったときも流すことはなかった涙が頬を伝っていることに気がつき、驚いていた。

 男は、ソファーの前にそっとロボット犬を置き、再びソファーに身を沈めた。夕暮れの空気は冷え込んでいたのだろうが、すでに彼の身体はその冷たさを感じることが出来なくなっていた。目を閉じ、ふうと短く息を吐くと、男はそれきり動かなくなった。

 ロボット犬はソファーの前でお座りの姿勢を保ちながら、次のコマンドを待っていた。尻尾を振り、ときおり首をかしげながら、主人を見上げていた。だが主人が命令を発することはなかった。ロボット犬は、前脚で主人のすねをかりかりと掻き、くぅーんとひと鳴きすると、体の向きを変えてとぼとぼと歩き始めた。少し進んでは立ち止まって振り返りを繰り返しながら表通りまで歩いて行くと、なにも動くものがない街を進んで行って、やがて見えなくなってしまった。頭上では白銀に輝く月が、静かに庭を照らしていた。

マックス・エルンスト『石化せる森』にインスピレーションを受けて書きました

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