赤翼は歌う、世界の破滅を
――これは、二十年近く前に起きた地獄の話だ。
世界『シンフォルン』に生える世界樹が突如として黒く染まった。この年は花の蕾が膨らんでいる時だった。毎年、淡い桃色の花を咲かせる世界樹はとても美しいと、太陽を取り囲むドラクマを研究する陽の民の一人である学者は言っていた。
しかし、陽の民の長と側近が世界樹にやって来た時に世界に異変が起きようとしていたのに気付く。
おぞましく黒く色付いた葉は、元々は翠玉の光を放つ美しい葉をつけていた。しかし、今となっては黒ずんだ木炭のようだ。太い幹からは根本から異臭を放ち、大地を腐らせる。漏れ出ているのは邪悪な瘴気だ。心臓を圧迫させるような瘴気の重たい空気に陽の民は顔を顰めた。
天にあるドラクマにも異変が起きた。誰にも解読されていない古代文字はバラバラに砕けたかと思えば大地に降り注ぐ。まるで流星群の美しさでありながら、隕石のような破壊力をもたらしていた。
これはなんの天災だ。陽の民の長・ルバールは恐れた。握り締めた杖が震える。側近の男達は世界樹の異変に嘆きに嘆く。
ゆらりゆらりと一枚の赤い羽が落ちてきた。魔物の羽毛だろうか。炎のように燃え盛る赤き羽は目映い輝きを放つ。それは、まるで爆薬を撒き散らしたようだ。
「……人々は死に絶え、我等に力をもたらす」
赤い翼を広げる人間が、世界樹の後ろから現れる。黒く淀んだ水をぱしゃりぱしゃりと踏みながら、一人の赤子を抱いていた。
女性のように長く、燃えるような赤い髪を腰まで伸ばした男だ。細身でありながら引き締まった肉体をしている。象牙色の美しい肌をした美形だ。瞳はアクアマリンとアメジストのオッドアイ。息をするのも忘れてしまう男性の美貌に、側近の女性は顔を赤らめて鯉のように口を開閉させた。
「世界樹は望んでいる」
「貴公は何者じゃ?」
「世界樹は人間を恨んでいる」
「質問に答えぬかっ!」
長の怒声が響いた。それを気にすることもない男性は、背中に翼のような模様がある赤ん坊を世界樹の根本をベッドにするように置いた。
「我等は世界樹を守護する者。そして、世界樹の破滅を望む者だ」
赤い翼を広げた男性は、冷めた目をして唱える。それは世界を呪う言葉。世界を破滅へと導く終末のカンタービレ。
「世界の破滅を望む。世界はドラクナールフォンによって作られた。しかし、それはただの神の遊戯。我らは世界崩壊と世界再生を望む。ドラクナールは言っているのだ。空宮と月輪を会わせよ。さすれば、世界は滅ぶ」
「なっ! 貴様、何を言っているのか分かっているのか!? 呪われし夜月の寵愛を受けた月輪を、空神の加護を受けた空宮と会わせてしまえば、預言が……」
腰に差していた儀礼剣を抜いた側近の男は、剣を男性に向けた。
「……そんなものに縋るか。脆弱な人間よ、貴様達は間違いを犯している。貴様達がドラクマと呼んでいるドラクナールは、元より貴様達を導かんとする存在ではない。あの文字を読めぬのであろう? 人間は知識欲を満たす為に学ぶ存在だが、我らには興味関心はないのだ」
男性は嘲るようにそう言ったかと思えば、踵を返して飛び立った。赤ん坊を寝かせたまま、男性は赤ん坊に目もくれることさえしなかった。側近の女性ははっとしたように赤ん坊に近付き、抱き上げた。背中に色濃くついた赤い羽の模様が、色鮮やかで美しい。無垢なる輝きを放つ赤ん坊は、先程飛び立った男性とは似ても似つかなかった……――。