ミオ
彼女の名前は、秋内ミオという。
行動的で、家には中々帰らない、ちょっと問題点のある女である。
彼女は、人とはあまり喋らない。
地べたに座って、道行く人々を見上げて、一日を過ごしている。彼女は仕事といえる仕事はしていないし、学校にも行っていない。家族が出してくれる御飯を食べて、自分の寝台で眠るのが、家ですることの全てである。
そんな彼女は、近頃よく見かけるようになった二十五歳くらいの青年が気になり始めていた。
誠実そうな顔立ち、意志を持った強い瞳、そして何よりも―――――。
「また居るんだね。よく会うなぁ……あれ?もう行くのかい?なんだ、まぁ仕方ないか……また会えるといいね」
見ず知らずの自分に話し掛けてきてくれることだ。
彼女は恥ずかしくて、直ぐに彼の前から居なくなってしまうのだが、それでも会いたいので、毎日、やはり同じ場所で、地べたに座って、人々の顔を見上げている。
そして、今日もまた、彼女はそこに居た。
時刻は、夜の十時。
夜のイルミネーションに、恋人達が歓声をあげる時間帯だ。
そこに、あの待ち人の青年がやって来た。
寒いのだろうか。厚着して、手には珈琲の缶が握られていた。
彼が、此方に気付いた。
「ああ、やっぱり居たんだね。今日は寒いねぇ。君はいいなぁ、毛皮なんて持ってるんだから」
ミオは何も言わず、彼を見上げている。
「冬は厳しいね、君、こんなトコに居て寒くないのか?お家があるんだろう」
彼はそう言って、ミオに手を差し伸べた。
しかし、ミオは、手を出さず、クルリ、と背を向けた。
「ありゃ、行っちゃった……」
呟きが聞える。
ミオは、出来るだけ急いで歩いた。
確かに冷える。
しかし、あの青年に会うまでは、あの場所を離れられないのである。
会えない日は不安だ。寂しくて仕方ない。この気持ちはなんなのだろう。今まで生きてきて、こんなに切ない思いを持ったのは初めてだ。
家に着いた。
家族の一人、明菜が扉を開けて、遅かったわねぇ、と呑気に言った。
「あー、暖かい。御飯、御飯」
御飯はちゃんと用意してある。
テーブルには、新聞を広げた弘志がいて、食べ始めたミオの方を見て、お帰り、と声をかけた。
ミオは好物のミルクを舐めながら、あの青年が差し伸べてくれた手を思い出した。
(手を出したら、どうなったのかしら?)
かじかんで、指先が一寸赤くなっていた、大きな手。少しでも早く帰りたいだろうに。
青年の呆然とした最後の呟きを思い出し、クスクス笑いながら、ミオは食器も片付けずに自分の寝台に潜った。
大きな欠伸を一つして、彼女は目をゆっくりと閉じたのだった。
次の日。今日もまた、夜の十時だった。
あの青年は自分を見るや否や、通り過ぎかけていた所を引き返し、ミオの前に立った。
「やぁ、どうしたんだい?今日は何時もより、一歩後ろだね。居ないのかと思ったよ」
「今日は人通りが多いのよ。週末だからかしら」
ミオは、勇気を出して、返事を返した。しかし、青年は、その言葉よりも、ミオが逃げない事に驚いたようだった。
「あれ?今日は逃げないんだね。僕にも慣れてくれたってことかな?ほら、寒いだろう。いつまでも座ってないで、早く家にお帰り」
「待って。今日は逃げないわ。連れてって」
ミオは、そう言って、青年の出した手に、自分の手を乗せた。
「……一緒に来る?」
「行く。行くわ」
青年が歩きながら、時々振り返る。
まるで、ミオが本当に付いて来るか見ているように。
ミオは、その様子を見ながら、うきうきと彼の後ろを付いて行った。
家には、もう帰るつもりはない。
―――――その、一週間後の事だ。
この町に不似合いな、張り紙が 彼方此方 で見られるようになった。そして、ある噂が囁かれるようになった。
「ねぇ、聞いた?あの人、動物愛護団体に訴えられたらしいわよ」
「あ、知ってるぅ!なんか、家に近付いてきた鳥をエアガンで撃ったとかでしょ!」
「違うの違うの。ほら、あそこの張り紙の奴さぁ、あの人が連れてって、尻尾ちょんぎっちゃったんだって!」
「うっそ、マジぃ?」
囁かれる噂の中、町のいたる所に張られている張り紙の一つが、大きな風に吹かれて、ばさばさと揺れた。
この猫を探しています。
名前 ミオ
灰色と黒色の縞模様の猫で、金色の目をしています。紺色の首輪に「MIO」と名前が書いてあります。あまり鳴かない子です。もし見かけたら、此方にお電話ください。
×××-××××
秋内 弘志・明菜
「やっだぁ……何よ、あの猫!尻尾が無いわよぉ。気持ちわるーい!」
「どこの猫かしら?保健所に連絡しておきましょう。こんなとこウロウロされたら、たまんないわ」
ある親子が、一匹の猫を見てそう言った。
「あら、まだ若そうな猫ねぇ。4歳くらいかしら」
「盛りって感じ。かわいそー」
その猫は、短くなった尻尾を隠すように道の隅に座り、観察するかのように、虚ろな金色の瞳で、道を行く人々を眺めていた。
「……にゃー」
か細い声が、サクラがちらほらと咲き始めた町の一角に響いて、消えた。
(誰か、私に手を差し伸べて……)
空を見上げた猫は、ただただ、そう思い、伝わる事のない声をあげ続けた。
「ミオ」読了ありがとうございます。風野です。この話は私が中学生の時、小説を書いてみよう、という課題のときに考えたものです。いわゆるショートショートを書こうという試み。どんでん返しなんかがあると楽しいよね、という先生の言葉を馬鹿正直に受けて考えたもの。
あ、そうだったんだ?って思ってもらえたら嬉しいです。
感想などありましたら、是非……!!
よろしくお願いします。
ありがとうございました☆