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1:蠢動

 その都市はまるで、一つの生命のように蠢めいていた。縦横に張り巡らされた道路は無数の血管群、それを走る鉄の塊はさながら血球細胞。夜の暗闇を照らし出すネオンの光は、生態反応のように明滅している。


 空には星どころか月も見えず、晃々と光る都市は闇の中に傲然と浮かんでいた。


 そんな都の中心近く、天高く聳える塔の頂上に、地上を睥睨する青年の姿があった。艶やかな黒い前髪を垂らし、白磁の肌に浮かぶ形の良い唇に笑みを作るその佇まいは、女性と見粉うかのように美しい。だが、白いスーツに包まれた細い体躯のシルエットが、彼が男性だと教えていた。


 下界を望む青年の眼には、一欠片の感情も宿っておらず、ただただ深い漆黒が妖しく光っている。それは彼の浮かべる微笑と合埃って、奇妙な異質さを生み出していた。その眼に見入られたなら、どんな要求も拒むことはできないかもしれない。


「お呼びですか、王」


 青年の背後から低い声が響き、若い女性を伴った壮年らしい男がルーフへと出てきた。背中まである長い白髪と黒いレザーコートが特徴的な男と、腰まで伸ばした髪に黒のタイトスーツ、顔に掛かる縁無しの眼鏡が目立つ女性。町を歩いていたら目を引きそうな二人組である。二人が二人、相当に魅力的であることも要因の一つだが。


「やぁ、α、θ。わざわざ悪いね」


「いえ、仕事ですから」


 振り返りながら笑いかける青年に、αと呼ばれた男は無表情で返す。その切長の眼には、青年の物とは質の異なる無感情が宿っていた。


「“Ω”の件なんだけど、あと少しで完成らしくてね。最後の仕上げに協力してやってほしいんだよ」


「……わかりました」


「詳しくは研究室に行ってくれればいいらしい。時間は取らせないってさ」


 青年の言葉を聞き終わると同時に、αは踵を返して歩き始めた。一刻も早くこの場から立ち去りたいという意志が、その所作に表れていた。主従という立場にも関わらず、αは青年に嫌悪感を抱いているように見える。


「それと、もう一つ」


 青年の声に、αの足が止まる。


「君の息子にも、兆しが現れたらしい」


 場の空気が変わる。それは青年が発したものでも、αが発したものでもない。θと呼ばれた女性が漏らした、ほんの小さな息を飲む音だった。波紋のように渡るソレが闇に溶けると同時に、αが静かに口を開く。


「それが私に何の関係があると?」


「別に。只の報告、さ」


 青年からはαの背中しか見えない。その背中は何の動揺も見せずに、毅然としている。だが、その内面がどんなに揺れ動いているのか。それを想像して、青年は微かにほくそ笑んだ。


「どうかな? 護柱騎士の候補にでも」


「…………」


「ま、力量次第だけど」


 青年の言葉の一つ一つが、αを挑発するかのような音を含む。それにも、αは動じた様子は見せず、無表情を通している。


「ねぇ、α」


 青年が笑みを深くし、目を細める。それは呼びかけというより、独り言に近い響きの言葉だった。


「僕を殺したい?」


 試すように言葉尻を上げながら、笑みを色濃くしていく。αからは見えないとわかっていながら、その顔は飽くまでも挑発的だった。


「……何を、今更」


 呟くように吐き捨て、αはエレベーターホールへと消えていった。θもそれに続く。一人残った青年の顔は、満足げに歪んで、より深い闇を作り上げた。

「なに、殺すなんてことは簡単さ。君が思っている程、重いことじゃない」


 もはや向ける対象のいない言葉を、青年は紡ぐ。狂気と狂喜によって作られた言葉をそして、言葉はいつしか笑いに変わっていた。嘲笑と悪意の入り混じった笑い声が、深夜近い町の上空に響いていく。


 笑う彼の瞳の漆黒に宿るのは、ただただ、無感情な鈍い光だけだった。






 主都に張り巡らされた幾つもの小さな路地。それらは、立ち並ぶビル群の陰にのみ蔓延るように、巨大になりすぎた都市の暗部として広がっていた。そこを知っているのは、“そういう”人間だけという空間。


 ここでは何が起ころうとも関与しないという、暗黙の了解。


 現に、恐喝、暴力、盗み、売春、強姦、裏取引、傷害、果ては殺人に至るまで、この世の害悪とされているような行為が、取り沙汰さえされずに、此処では毎日のように繰り返されていた。


 国はそれを黙認している。いや、真の意味での無視と言える。国の頂点に君臨する青年にとって、それらは何の興味も抱かれない些事だろうから。


 そもそも、都市設計の蟲喰い穴として生まれたこれら裏の空間は、――物によっては相当の広さがあるというのに――人々に認識されることは無い。結果として残るのは、年に百数十の行方不明者だけである。


 そんな都市の暗がりに、一人の少年が佇んでいた。


 表通りの電灯に透かされて黄金色にも見える、色素の薄い琥珀色の短髪。細くはないが切長な目を始めとして、顔を構成するパーツの全てから、鋭さを感じるような印象を受ける。


 少年は小さく息を吐くと、頬に飛んだ血の飛沫を気にも止めずに、自分の周りを見回した。


 少年のすぐ足下に転がる五人の男達と、少し離れた所に倒れている、やや服の乱れた女性。この状況を見れば、少なくとも少年に起きたこと以外は予想がつく。意外なのは、世辞にも逞しいとはいえない少年が、体つきの良い成人男性五人を返り打ちにした、という事実である。


「また随分とやらかしたな、砌」


 少年が倒れた男を爪先でつついていると、背後から軽い雰囲気の呼び声が聞こえた。その中の“砌”という自分の名に、少年は反応して振り向く。そこに立っていたのは、砌と同年代らしい長身の少年だった。


 やや垂れ気味の大きな目と、ウェーブがかった長めの髪。口調も合埃って、異性に好かれそうな少年である。


「なんだ、神継か」


 神継の姿を見止めた砌は、興味も無さげに返事を返す。一方の神継は、人当たりの良さそうな笑みを浮かべたままである。


「何で此処に?」


「巫女に頼まれてね。あんまり人の妹を心配さすなよ」


 神継は小さく笑いを溢しながら、砌の隣に並ぶ。そして、さっき砌がしていたように周りを見渡した。


「流石、強いな。正義の味方も当分は安泰って訳だ」


「何度も言わすな。これは手段だ、目的じゃない。正義だなんて言葉で形容するな」


 苛立ち混じりにやや上にある神継の目を睨みつけた砌は、踵を返して路地の出口に歩を進め始めた。


「おい、あの人は助けないでいいのか?」


 神継が指差すのは、路地のやや奥まった所で倒れている、OL風の女性。砌は大した反応も見せずにそれを一瞥する。


「別に。お前が助けたことにしていいぜ、何か礼ぐらいは貰えるかもな」


「何言ってんだよ、砌君。俺が欲しいのは愛であって、体じゃないんだよなぁ」


 誰も体とは言っていないが、と言いたげに溜め息をつくと、砌は再度歩きだした。後ろから、神継の声が追ってくる


「お前これからどうすんだ?」


「帰る」


「なら気を付けろよ、もう十二時近いんだから」


「誰に言ってるんだか」


 呆れたように呟くと、砌は表通りを進み始めた。視界には、夜中とは思えない程の、人、人、人。


「正義……か」


 誰にともなく呟く。その呟きは何に気付かれることもなく、ただネオンと足音の渦に紛れていった。










 声が、聞こえる。


 誰?


 誰が呼ぶの?


 ――私ハ、記録。


 記録?


 ――ソウ。始マリカラ終ワリマデ、ソノ全テヲ綴ジシ記録。


 何でワタシを呼ぶの?


 ――私ト貴女ハ、イズレ一ツトナル。


 ……わからない。


 ――理解ハ必要デハナイ。あかしっくニ従エバ、ソレガ終末ダ。


 眠く……なってきた。


 ――今ハソレデイイ。時ハ、イズレ……。







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