prologue
寥々たる荒野が広がっていた。
かつては世界有数の大都市として栄えた東の地は、今や何の光も無い平地として夜に蔓延っている。所々に残るビル郡の残骸が、ここが以前に輝かしい都だったことを教えていた。だが、広がる星空に照らされる東都の骸からは、昔の姿など想像のできようもない。
そんな荒野の中心付近。まるでミサイルが着弾したかのようなクレーターが、地面に大きく穿たれていた。擂鉢状に広がるクレーターは、荒野の痛々しさを際立たせている。
そんなクレーターの縁に、一人の男が倒れていた。
息は弱々しく、心臓は僅かに拍動を続けるのみで、生命の力を感じることはできない。要するに男は、今正に死にかけているのである。黒い装束をより濃い黒に染め、長い白髪を朱に濡らす程の出血は、男の残り少ない命をも削り続けていた。
男は、人々に英雄と呼ばれた存在だった。世界という強大な相手に剣を向け、虐げられた人々を背に戦った姿は、祭り上げられて然るべきものだったのかもしれない。少なくとも、人々に希望を、敵に畏怖の感情を与えるくらいには。
頭上に燦然と輝く星空を見上げ、男は小さく溜め息をついた。都市の機能が麻痺した中で、都市の灯りに追いやられていた星明かりが、細々とした人々の希望を繋いでいるのかと思うと、皮肉に思えて仕方なかったのだ。
男は再度、より大きく息を吐いた。それはやり遂げたという満足感の表れ。世をこんな姿にした元凶は、つい今しがた消滅した。同時に己の身も砕けたが、そこに何の憂いがあろうか。後悔も無い。自分は約束を果たせたという満足感が、他の感情に勝っていた。
頭に巡る、友らの姿。最後まで共に、駆け抜けた親友がいた。自分の信念に重きを置き、一度は袂を分かった戦友がいた。元は敵として刃を交えた男もいた。走馬灯とはよく聞くが、死の前に昔を懐かしめるのなら、悪い物でも無いな、と男は薄ら笑う。そうとも、懐かしい面々に会いに行く、それだけなのだ。
ふと、一つの影が、頭をよぎった。
それは、守れなかった少女の顔。自分に未来を託して死んでいった少女の、在りし日の姿がそこにあった。
「まいったな……」
男は朦朧とする意識にすがりながら、空に右手を伸ばした。震えるその手は、何かを探るように虚空を撫でる。
「未練が……できてしまった…………」
弱々しい苦笑を浮かべたかと思うと、男の右手は地に墜ちた。事切れた男の体ごと空間が歪み、渦巻いていく。
(……神も物好きだな、私にやり直せと言うのか)
次の瞬間、男の骸は、もうそこに存在していなかった。ただ、地面に残る血の跡だけが、男がそこにいたことを示している。
誰もいなくなった空間を、明るすぎる程の月光が満たしていく。
――そういえば、今日はいい月が出ている。
それは夜のしじまの幻聴か、はたまた夜風の音の悪戯か。だがその声は、確かに男の物に聞こえた。
望月の光が世界を照らしていく。その光はあまりにも妖艶で、運命を弄ぶ女神の微笑みのように見えて仕方がなかった……。