自己ログ倉庫22 「政治についての自分の意見を語りたい。」
「 いやー、どうなんでしょうね。」
「なんか、今日そのホワイトハッカーについてだいぶ調べたんですけど、ま、youtubeでちょっと見たぐらいなんで全然効果はないかもしれないんですけど。」
「 んー、ちょっと色々思うところはあって、政治関係の動画が目に入ったりするんですけど、あれって馬鹿なんですよね、 これちょっと、愚痴って言っていいかわかんないですけど、その、そもそも、国も成長させながら動かすって超難しいことじゃないですか。何億人も住んでいる国を、赤字なしで成長させるって超難しい。」
「もし本当に頭おかしいぐらい天才な人間が一人いて、その一人がすべてを管轄してやるのであれば可能だと思うんですけど、そんな人いないじゃないですか。 だから分業していろんな政党を作って、そのある個人がやっていると、その個人の思想に偏るし、ある集団がやってるとその集団の思想に偏るんで、その集団というものを複数作って、偏りがないようにしましょうねってやってるんですよ。」
「で、その偏りがないようにしましょうねっていうのは、本来は効率としては悪い行為なんですよ。本来は偏りなくして一本化にした方が絶対に効率はいいんです。だって無駄な話し合いがないから。」
「でもその過程で進んでしまうと、良くない方向、思想の偏りによる望んでもいない政策に進むかもしれないよねっていう疑念があるから、複数政党が立っていて監視し合って三権分立から権力を分け与えてる。」
「ここまではわかるんですけど。 」
「で、政党が違いますっていう状況なのだから衝突が起こるのは常なんですよ。だって考え方が違うという前提が定義されているから。考え方が僕とあなたは違います。だって違う政党だから。っていうのがあるからこそ、理論が成り立つし、議論をしようと思う。」
「逆にあなたと私の意見は同じですってなると、議論しなくなる。でも本当は理論はするべきである。だってあなたと私は違う政党だからその違いを保持するために違う意見を持っていなければならない。協力する時もありますけれど、ずっと協力しているだけでは纏まれば良いとなってしまう。」
「結構ね、順序がずれてるんですよね。もともと自分の意見とあなたの意見が違うから議論するっていう順序ではなくて、今の政治構造でいくと、違う政党であるから意見が違うべきであるよね。だから意見が違うあなたと私は意見が違うはずであるから理論しましょうと。そういうふうになってる気がするんだよ。」
「そこで行われる議論ってあんまり意味がないんだよね。例えば誰かがやった政策に対して批判をするっていうのがあるんですけど、それを僕たちは見てたら、なんか合理的な批判だなと思うんですよ。だってすごい頭のいい人が批判してるからね。」
「でも、彼らが批判以外の行動をとるっていう可能性はあり得るのかっていうと、ほぼないんですよ。 だって違う政党で、争うし、特徴を争っているのであるから、相手の政党の政策は批判する方がいいんですよ。 だから合理的な理由を持ってきて、それで批判するんですよ。当たり前ですよ。時には感情論を使うし、その見ている基準を変えたりするわけですよ。経済的な話の目的のために行った政策なのに、それを人間の感情論、人間観で反論するとか。」
「それを見ていて、 そういう構造があるということを知った上で、それらを本当に価値のある議論だと思いますかっていう話なんですよ。 否定したければ、もうどこまでも否定できるんですよ。 数学的に1たす1は2だよね。正しいよねっていうふうな世界じゃないんですよ、民主世界ってのは。」
「倫理観、文化の違い、経済の、そもそもその営利目的か非営利目的か、誰が目的なのか、どういうために作っているのか、目的がまず具体的にわかってない状態で、じゃあその批判する相手が、その目的を独自で基準として、こういう目的であったはずだよねっていうのを仮説立てて、でもそれにたどり着いていないよねっていう否定を、いくらでもできるんですよ、そんなもん。そんなことをしている議論が、本当に身のあるものなのかと考えた時に、多分ないんですよ。」
」その存在がなくなってしまうと、権力構造が一本化して、独裁政治みたいなことをだいぶ比喩表現ですけど、誇張表現ですけど、なりうる可能性があるかもしれないっていうふうに僕たちは思うわけじゃないですか。 だからいろんな考え方の政党があって、ちゃんとそれぞれが正しさの追求をしてくれればいいよねと思うんですけど、その議論の内部に対して、僕はそこまで実のある議論だと思ってないんですよね。」
「 そういう行動が観測できればいいのであって、その行動がどれだけ重要なのか考えていないっていう。結果良ければすべて良しっていうふうなほどではないんですけど、僕はそう思ってるんですよね。だから政治系は本当にどうでもいいんです。 」
「結局、物語なんですよね。こういうふうに進むべきですというふうなことをある程度理解している人が、民衆に訴えて、それでそのためにはこういうことはするべきですって言ったのであれば、僕たちはこの人はこの私たちのこの国のためにこういうことを考えてこういうことをしようとしてるんだなっていう物語が浮かぶんですよ。 その物語に人は惹きつけられるんですよ。」
「その構造を理解した上で、だからこそ僕は物語を見るために政治を見ようと思わないんですよ。 それならもっと面白い物語を見ようと思うんですよ。だから見ようと思えないんですよ、政治を僕は。創作としても不完全だし、理論としても不完全である政治というのは、僕は見たいと思わないんですよ。ただそこにあればいいよねと思うんですよ。僕が生きるために理論はしておいてくれ。でもその理論については僕は正しい理論だと思わないし、身のある理論だとも思わないし、そこまで重要じゃないと思ってるけど、理論だけはしておいてくれっていうのが僕の、すごい無責任な政治への捉え方なんですよね。」
【2】
「中身がないことはあんまりやりたくないって思うのが僕なんですけど、例えばその計画はこうするべきだよねっていうことを言っても、成立しないことってなんぼでもあるわけじゃないですか。 日本はこういうふうな政策を取るべきだとかいうのを、僕が言ったとしても、それが実際に採用されることもほとんどないわけで、された結果全然うまくいかなかったっていうのもあるわけで、本当にやりたいことというのがかなり実現しにくいんですよね。 」
「で、その結局、国を進めるというか、管理するというか、そういったものというのは、非常に難しくて、僕が感覚的に何かできるとは思えないんですよ。次元が違うんですよね。 直感的にもうきついっていうんですけど、そのそう言う国の瞳孔に話って本当に優秀な人たちがやってるんですよ。そんな人たちがすごい考え抜いて、何10年先のことも考えてやってるんですよ。」
「で、じゃあそれに対して、僕らが、なんか日々の生活でこういう苦情があったんですよっていうのをちょっと言ったりとか、僕はそんなことやってもこうなると思うからダメだと思うんですよねとか、こういう研究結果が出てるんでそういう政策はダメだと思うんですよねとか、言っても全部彼らは立証した上でやってるんですよ。」
「それに対して、彼らはもうその過程を説明する必要はないし、そんな時間ないから別のことやるんだけども。 俺らはそれを知らないからずっとぐちぐち言ってるんですよ。」
「その例えば、なんかこうミスりやすい数学問題で、初見の人なら違う方法で解いちゃって絶対間違えるよねっていう数学の問題で、ガチで頭のいい人が、その正しい正解をしてて、答えが3だとしたら3って書いてるんですけど、僕たち側からすると、その問題は、 僕たちはその無知ですから、罠に引っかかって失敗して5とか10とか違う答えになってしまって、それであれ、実際の模範解答と違うじゃんと思うわけじゃないですか。」
「でも論理的手法をたどり、論理的手法を取っていった数学というか学問において、計算間違いをしていなければ、自分の感覚が正しいと思うんですよ。前提がそもそも違うっていうのを、その人が知らなかったのであれば、自分の中の世界で計算をして考えて解いてて、それがちゃんと答えとして出ているのであれば、それが正しいと思ってしまうんですよ、自分は。」
「で、それを周りに伝えようとするじゃないですか。その同じ間違えた答え10っていうので間違えた人が、同じ間違いをした人と仲良くなって、あれやっぱり仲間いるからこいつ、この模範解答、この天才が出したこの答えおかしいっていう風に言ったとしても、その天才は答えないんですよ。別のことしてるから。で、それに対して俺らがずっと言い続けるっていう。なんでこいつは答えを変えないのか。なんで間違えたままにするのか意味がわからないとか言って、 バカバカ言って、もっとわからないのに何も、ま数学的解法も思い浮かばないような民衆に対して、これはこうするべきなんだみたいなことを言ってたとしても、俺はそれに対して、確かに表面上、民衆に対して自分の正しさを伝えている。」
「でもその正しさが本質的かどうかわからない。でも本質的な正しさってそもそもあるんですか。その現実世界で数学的な問題にないから、その天才が出した答えでさえも間違ってる可能性あるよねってなってるんですよ。誰も正解を知らないから。答案の制作者とかいないから、結局誰が正しいかわからなくなって、明らかに間違ってると自分が思った人でも、それを完全に論破することが難しいんですよ。 」
「だって自分の世界の方が正しいよねというのを誰も証明してくれないし、誰も保証してくれないから。 だから結局、自分たちの主観的なエゴの衝突によって、物事が動いていってしまうっていう。っていうのをある程度構造として認識しているのであれば、なおさらそんなもの、本気で向き合いたくないよねと思ってしまうわけなんですよ。 」
「そんなことするなら、正しい反応を送ってくれて、決められた反応を送ってくれるPCと、なんか職業を共にした方が絶対に楽しいと思うんですよ、僕はね。僕の中の意見ではこうなってる。」
「議論が意味があるからこそ不毛に見えるっていう言い方をしてたんだけれども、あなたは。その、議論というのは、僕はそこまで重要視ないと思うんだよ。 何か目的を解決したいっていう状況で話すのであれば、それは議論というよりかは、解決策を練ってる。」
「で、そこで出てきた法案について、これはこういう予算が厳しいから無理だよね、こういう時間制限があるから無理だよねっていうのを切ってくっていうのはあるかもしれないけど、それは議論じゃないじゃないか。 会議じゃないか。」
「議論っていうのは、ある個人と別の個人の正義、彼らが正しいと思っていることを思想として言葉を媒体にして、話し合うっていう話であって、そのそこに多分本質的な意味はないんだよな。 結局エゴなんだよな。そこで何かが大きく解決するっていうのはあんまりないんだよな。 」
「ただ、衝突させないと、自分の考えを外部に出さないと、よくわからないし、相手もその人が何を考えているかわかんないから、その人の意見を聞くべきであって、聞く方が良いのであって、そして一度聞いたのであれば、それがその聞いた側にとって正しいと思ったのか、正しくないと思ったのか、それを理由とともに言うっていうだけであって、それが結果的に議論になるだけであって、議論というのは必要だけれども、そこだけにあまり意味はないっていうのが俺の考えです。」
【3】
「君がなんかその政治っていうのは、正解のない協議じゃなくて、異なる価値観を持つ集団がどう共存するかを調整する仕組みっていうふうに言ってるんですけど、それって効率悪いんですよね。 そのもともとのモットーっていうのは、国のいわゆる国民とかをちゃんと守りながら、自国のアイデンティティを守って、かつ自国の繁栄っていうのを保障する、維持する、促進するっていう、いわゆるすべてを良いようにしましょうって話なんですけど、ま無理なんですよね。」
「 で、その消費税を上げましょうとかいう話に関しては、やってもらったらいいんですよ。それって議論じゃないじゃないですか、思想じゃないじゃないですか。 消費税を上げるべきですねと。なんでですかっつったら、こういうふうな変化が起きて、こういうふうな未来が待ってるからこうするべきですと。じゃあ彼らが決めたら彼らが決めたらそのままやってくれたらいいんですよ。」
「僕が最初にさっき言った天才っていうのは、そういう人たちを指すんですよ。 ガチで頭のいい人が、今起きている社会問題、それらを解決させるために、どういうことがやればいいのかっていうので、彼らも決めてやってくれてるわけですから、それに対して外部の人間が、それはこうなんだとか、社会的に民衆に訴えかけるやつらやめた方がいいと思うんですよね。 邪魔だからっていう。」
「民衆が結局それになって政治に対して、ある程度関心を持って、票とかを入れるようになれば、良いのかもしれないと思うんですけど、 票をそれで入れるようになると、誰に票を入れるのかって言ったら、民衆に近い人に票を入れることになるんですよ。 で、民衆に近い人っていうのは、相対的に国に対しての仕事を直接やってない人じゃないですか。民衆に向けての演説をしている人が多いわけで。」
「 そういう人たちが物語化されて、すごいっていうか、史上最強の知能派弁護士だとか、なんかこの人の意見には重みがあるとか、そういう風なのを物語として、民衆は受け取って、そういう寄り添った人に入れるんだけれども、実際に国に動かしてる人は彼らではなくて、別の人で、その別の人たちは利権がなんとかだとか、そういうなんか、個人的な利権のためになんか日本をうまく使ってるんだとかよく言う人がいるんですけど、実際にそれが真実なのかどうかは僕らにはわからないことだし、で、それを誰が証明するのって言っても、その民衆に寄り添っている人たちが、何か言ってることを万人受けないといけないっていう、この構造自体がまず良くないんですよね。」
「 でも逆に言うと、その国側から直接、こういう理由でこういう政策を出しましたっていうのはあんまり言うべきではないと思うんで、結局は無関心が一番いいと思うんですけど、その僕が言ってるのは、その国会とかの話し合いっていうのは無駄ですよって、そういう風なことを思ってるわけじゃないんですよ。国の問題で解決するためには、確かにすごい議論が必要だし、議論が無意味っていうのは、僕が言ってる定義としては、えっと、あなたの定義と多分僕の定義が違ってて、僕が言いたかった話でいくと、 えっと国会とかでの話し合いっていうのは、いわゆる天才が元決める解決策もワン回答なわけですよ。で、それに対して自分の回答違うからといって、騒ぎ立てるような人たちがいるじゃないですか。」
「 で、それらがいわゆる、実際に国会には出ることがないのに、 民主に訴えかける人っていうのがいるんですよ。 その人たちは、そのー、彼ら本来国会議員たちがやろうとした政策における基準とか目標とかを、 が結局明記されてないですから、こう民主に訴えかけようとする人たちが、独自に基準とか目標を組み替えて、それでそのまま言えちゃうじゃないですか。 で、それ、それに対して民主に一応寄り添ってるのがあるから、民主側はそちらをより共感しちゃうし、納得しちゃうんですよ。で、それでなんか政治家の関心高まってよいよねって言っても、解決してないんですよ。」
「だって民主に寄り添ってる政治家が今度は権力を持つから。 で、その人たちは国会に何ができるんですかって話なんですよ。 ガチでちゃんとガチで裏でやってる人たちがいるっていう背景の中で、じゃあ実際に俺たちができることって何なのかって話なんですよ。 その権益でなんかこう裏金がなんぼだって、あれ僕たちにはもうわからないことなんですよね。」
「 で、その裏金ですごいお金が入ってたとしても、多分数十億なんですよね。で、国の国家予算ってそのレベルじゃないじゃないですか。 別に僕その数億円チョロまくしたとかどうでもいいんですよね。それが実際に正しいのかどうかわからないし、もしそれが信じてたとしても、なんかそれになってその国が汚染されるとか、そういうレベルじゃないんじゃないのかなって思うんですけどね。」
「実際に回ってるわけだから。僕が言ってることっていうのを、正しいと仮定して、間違っていると仮定して、ちゃんと見張るべきだっていうのを正しいと見たときに、その見張ってるという行動があるからこそ国が成り立ってるよねというふうな状況であったのであれば、僕がその見張る必要はないよって言ってみんな見張らなくなってしまったら失敗するっていうのはあるかもしれないんですけど、 個人的に政治に対してどう思いますかという反応に対して、僕は、その全員が見なくなったらダメだからと言って、ダメだから個人としてもそういうのを知らないべきだっていうのはおかしいから、僕としては、 個人の話として、興味を持ってないし、どうでもいいと思っているスタンスの方が生きやすいし、ある程度ストレスフリーな生活を送れるんじゃないかなというふうに思ってるんですよね。」
「 議論は不毛だというよりかは、そのもう天才集団が考えている。そのここで言う天才集団が単一じゃなくて、一人とかじゃなくて、国会とかもう国のその内部の機関がやっていること、機関が出した答えとかいうのを天才の出した答えっていうふうに表していて、それに対して、その内部事情をちゃんと知らない人たちは、それぞれの直感、これまでの経験とか、その彼らのその社会生活の中で感じてきた背景から何か言うっていうのは、別にそれはその国民の声として存在するのは別にいいと思うんですけど、そこになんか、それを言ってから僕はすごいんだとかなんか頭いいんだとか、そういうのはやめた方がいいと思います。」
【4】
例えば、僕もこの話ってすごい机上の空論じゃないですか。その実際に社会データとかを取っているわけでもないし、なんか実名の弁護士とか政治家とかの名前を出しているわけでもなくて、事実をこういうふうに考えればこういうふうになるようねっていうふうなことしか話してないんですよね。だから、いう主義者の人が見れば、薄いとかなんかそういうじゃないんだよとか言ってくると思うんですよね。で、それはその知識の差に乗る単純化の程度の差なんですよね。僕はその政治に対してそこまで知識がないから、だいぶ単純化してしまっているところがいくつもあると思うんですよ。
で、そのある程度知識があるという思っている人も、単純化はどこかでしてるわけなんですよ。 で、その知識が増えるほどに単純化の程度が減っていくんですけど、それでも結局どこかで単純化をしていて、でもそれにあまり自分では気づいていないんですよね。 自分の中ではそれがその最大限の行為、複雑な考え方であって、それは正しいと思ってるわけなので、僕のこの考え方も多分至らない点も何個かあると思うし、何個もあると思うんですけど。 だからその謙虚に生きろっていうのは、僕はその人生というか思想として考えてる。大事だと思ってるんですよ。その完全な人はいないからって。
これだいぶそのさっきの政治の話飛んじゃうんで、ちょっとあれなんですけど、僕はその謙虚に生きとけばと思うんですよね。これなんでかっていうと、僕がそのすごい影響を受けた人っていうのが実在してる人で、ひろゆきっていう人と東方プロジェクトを作ったZUNさんっていう人が2人いるんですけど、彼らは謙虚に生きたんですよ。 で、その彼らのことが僕が、彼らのことを僕が好きだから、彼らの性質、彼らの性格を、あの、深く化しているというよりかは、僕が、 この人たちは、世界を渡ってきた中で、この性格があるから成功してるんだろうなっていうふうな、あの思いのたどり、到着の仕方だったんですよね。
その、結局自分は不完全だよねということを認めたがらないっていうのが、人間のサガなんですよ。自分に自尊心を持つっていうのは、自分が大自然で生きる上で重要なことなんですよ。心が折れてしまったら、もう生きようと思えないから、雑食とか肉食とか、草食とかすべてにおいて、その、生きる希望を失うっていうのは、生命をあの論理として最悪なんですよね。
生きろって言ってんのに、死のうとしてるから。だから自分に自信がある方がいいんですよ。自信があるからこそ生きれると思えるわけで。その自分自身があるべきだというのが刷り込まれているからこそ、よく人は間違いを犯すんですよね。自分の方が偉いとか、自分の考えが正しいとか、今僕が言ってるこの考え方も僕は正しいと思って喋ってるんですけど、多分間違えてると思うんですよね。
でも僕の中ではこれが正しいと思ってて、僕の中ではこれは正しい以外何物でもないから、僕は正しいとしてこれを扱うんですけど、多分どっかで間違えてます。でもそれは認識としてそれは理解しておいくわけで、僕がそれで僕の考えって多分絶対に不完全だから、どっかで間違ってるから僕は何も話さない方がいいんだってなってしまうと、それはまた別の問題が生まれちゃうんですよ。
謙虚になれっていうのは自信を持つなってことじゃなくて、自信を持っていてもいいし、生きる希望も持っていてもいいんですけど、自分の意見をちゃんと言っても全然いいし、そっちの方がいいんですけど、相手の意見を聞けっていう。 それが超重要なんですよね。だからその政治に関しても言うと、自分の思想が正しいんだって言ってる人が大半じゃないですか。
自分の思想に絶対的な自信がなければ、あんな大ピラに大衆に向けて自分の思想を説くっていうことができないから、自分の思想間違ってるかもしんないっすって言ってる人と、その人の喋り方と、ガチで俺の考えはもう世界の真理なんだと思って喋ってる人だと、視聴者は後者を絶対選んじゃうんですよ。自信があるから。僕も合ってるかわかんないっすけど、こうだと思いますって言われても、それに賛同できにくいじゃないですか。
っていうので、基本的に政治側では、その自分に絶対的な自信を持つべきであるということから、相手の意見を聞きたくないという人が増えるんですよ。自分の意見に絶対自信がある人は、それを維持するためには相手の意見を聞かないということが最も簡単であるから。相手の言った自分とは違う意見をいちいちちゃんとガチで遂行してたら、もしかしたら、この人の考え方合ってるかもしれないじゃんってなってしまう可能性があるかもしれない。
そうなると、元々の目標であった自分の意見に絶対的な自信を持っておくっていうのができなくなってしまうわけですから、これは破綻している。だから、まあんまり他の人の話をガスで聞かないよねっていう。そういう構造ができてしまう。っていうのがあって、これは僕の考え方の謙虚の基調とはまずずれてるよねって話ですね。
その最初に僕が言ったその二人、西村ひろゆきっていうニコニコとか2チャンネルとかの創設者の人と、ズンさんっていう東方プロジェクトの創設者なんですけど、なんで好きなのかというか、なんで敬愛してるのかというと、 どちらもそのネット系の人なんですけれども、その僕はその創作も好きで、論理的 解釈とか分析とか好きなんですよ。そのズンさんって創作のガチな人なんですよ。
世界観に身に立ってて、民族的なことにだいぶ詳しくて、それは彼が政治を行うぞってなったとしても、彼は非常に優秀な人なんですけれども、政治に関してはカラッキしかもしれない。でもそれでいいんですよ。それが普通だからっていう。で、スルーキに関しては、彼自身はすごい論客として言われてるんですけれども、ニコニコ時代を見てみると、普通に創作が好きな人ですよ。同人ゲームで色々詳しかくて、それでなんか同人ゲームについて色々解説する、あの番組というか、ニコニコ動画でそういうのがあったりもしてたし、そもそもニコニコ動画で普通にあのまなんだろうな、説明したりとか、普通にその活動してたような人なんで、だからその論客でしかないというのはすごい偏った考え方、捉え方なんですけれども、まシルーキがどちらかというと、論理的解釈をする、分析をする人というので、どちらも重要であるというのが僕の考えです。




