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聖なる姫と深淵の魔術師たち  作者: あずみの
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吹雪の国のエイル

 白、白、白。一面を覆い尽くす白に眩暈がする。今はぐれたら大変なことだ。不確かな足場をしっかりと踏み締め、一団に振り落とされないよう必死についていく。


「あっ」


 つい、足が滑った。べしゃ、と尻餅をつけば、目の前の一団が見えなくなる。銀の世界に覆い隠されてしまう。 

「待って」


 待ってくれはしない。だってこの吹雪の中、声も聞こえていないのだ。はぐれたら終わりだ。弱ければ、ついてはいけないのだ。ついていくことさえできないならば、今後生き抜くことはできないよ。そう長老に言われたことを思い出した。

 彼はすぐさま立ち上がり、急ぎ足で追いかけた。足跡はすぐに消えてしまう。待ってくれ、置いていかないで、消えないで。そう願いながら必死にあたりをつけて走った。


「待って、待ってよ!」


 肺が冷たい、刺すような空気で満たされている。泣いてはいけない。涙が凍って目が開かなくなる。悴む手で必死に空気を切り裂いて進む。頼りのない小さな手足に全てを託して進む。誰か気付いてくれないか。気付いても、見捨てないでくれるか。


「誰か……!」


 必死に走った先で、赤い何かが揺れているのが見えた。それはこちらを振り返ったように見え、手を高く挙げた。


「……ラヴィーン!」


 彼はその赤い影が仲間であると気が付き、赤の目印に向かって走った。

 白い世界の中にたった一つだけ浮かぶ赤いそれは、この世界の唯一の道標であった。





 懐かしい記憶だ。まだ空を満足にも飛べなかった頃の、寒さをろくに凌げなかった頃の、世界も自分も未発達だった頃の、記憶である。

 城の塔の最上階。そこの窓から嵐が吹き荒れる世界を眺め、箒を取り出した。


「おや、吹雪の国へ行くのかい」


 どこからか声がした。どこからか、と言うのは本当はどこでもないのだろうと言うことを知っている。声の主がどこにいるのかは、何年経ってもわからない。


「所用だ。来週までには帰る」

「いいぞ、お前の故郷だろう? ゆっくりしてこい」


 姿の見えない声の主である王は軽くそう言ってどこかへ消えた。いつか殺してやる、と叛意を抱けば頭が酷く痛んだ。この痛みにももう慣れているので気にせず、窓を開け放った。


「ゆっくりはしない。残念ながら陛下にお土産を持ち帰ることもできないほどあそこには何もないからな」


 窓から箒で飛び降りた。白い外套が風に靡いた。

 彼の名はエイル。「嵐の国」の王の元で、処刑人をしている。処刑人と言えど、魔法使いしかいないこの国では、殺し合いが粛清されることは少ないし、略奪も襲撃も日常的なことだ。だから主には政治犯や思想犯が相手であり、それはひどく頻度が少ない。こうして処刑のない日は謀反人を直接粛清しに行ったり、王の元で働く新たな人材を探しに出かける。城には人が少ないので、強く信頼に足る人物は常に探さねばならない。

 最後に処刑があったのはいつだったろう。今となってはほとんど粛清とスカウトの日々で、ほとんど城に留まることはなくなった。そもそもほとんどの罪人はたった一人で全てを仕切っている裁判官が勝手に全て進めてしまうのだ。それ故に生まれた暇から、他のことをやったりもできるのだが。


「……ラヴィーン、今度はどこへ行ったんだ」


 つぶやきは暴風に掻き消される。

 ひたすら北へ飛ぶ。真っ直ぐに北へ飛べば、故郷である吹雪の国に着くはずだ。あの国は真っ白で目印となるものなどなく、その吹雪に飲まれれば自分の進んできた方角を信じてひたすら真っ直ぐ飛ぶしかなくなる。自分の足で雪原を渡っていた頃のことが懐かしい。よくあんな恐ろしいことをしたものだ。


「クソ、嫌な風だな」


 嵐の国を抜け、徐々に寒さが増してくる。吹雪の国へと近づいている証だ。しかし吹雪の国と嵐の国は近隣国であるとは言え、人里と呼ばれるところへ辿り着くのは一苦労であり、中継点などもない。ただひたすら、寝ずに飛び続けるのみだ。寝てしまったら、目覚めた後は雪の下だ。


「こら、真っ直ぐ飛べ」


 少しだけ曲がって飛んでいた箒に叱責を飛ばす。古いものだからそろそろ新しくしなくてはいけない。吹雪の国の魔法使い達が重宝している吹雪の国の数少ない森林の木から作られた箒。それを取りに行くために今こうして不安定な箒で吹雪の国へと向かっている。

 不安定な魔力の流れをしている時には大抵、ろくでもないことが起こる。それは経験則から分かっていることだ。今日も例によって、嫌な気配がした。


「……誰だ」


 白い世界で相手の姿は見えないが、気配はどうにも感じる。声も聞こえないだろうが、気付いたことに向こうも気付いただろう。

 返事はなく、ただ白を切り裂く閃光だけが、騒がしい敵意と共に目の前に現れた。


「趣味が悪いな。吹雪の国では炎でも使っておけよ」


 エイルはそう揶揄しながら掌で最も容易く閃光を消滅させた。そして真っ赤な炎を白の世界の中に出現させ、閃光の向かってきた元の方角へと送り付けた。恐らく相手は大して強い魔法使いではない。冷静さに欠けた攻撃だからだ。

 相手の反応は分からない。頼りになるのは自分の魔力の動きだけだ。

 ……しばらくして、炎が大人しくなった感覚が来た。死んだだろうか。分からないが、死んでいないならば捕縛して無力化した後に雪原の真ん中に放置してやろうと思い自身の魔力の跡を辿った。


「おい、お前……」


 なるほど、炎には対抗策があったらしいその敵は、自身は燃えてはいなかった。ただ、動けない様子には違いなかった。


「ああ……! 天下一の絵画が……、美の神様の肖像がぁ! 燃え尽きてしまう、消えてしまうぅ!」


 敵の魔法使いは、何やら絵画を抱えていた。最もそれは絵画というには半分は燃え尽き、ほとんど原型は留めていなかったが、男が自分でそう言っているのだからそうなのだろう。

 すぐさま捕縛したが、その敵は涙を流し喚き続けていた。


「おい、お前! お前ぇ、これは世界の損失だぞ!」


 知らない。こんな白い世界で誰が絵画を見るというのか。


「この環境で芸術を楽しもうというのか? 良い御身分だな」

「なんだとぉ……、……ああ、お前その背中の斧!  首元の傷痕! 首狩りのエイルだろ!」

「おや、気付いてなかったのか。気付かずに喧嘩を売ったのか?」

「お前が誰かなんてなんでも良いんだよ! お前がこの絵を傷付けた! それが何より許せない!」


 ならば吹雪の国を通るのも、自分を攻撃してくるのもやめれば良かったのに、と思いながら男から絵を奪い取った。

 悪い視界のなか、魔法で絵画の切れ端を照らして見てみる。確かに美しい絵画だが、特に特別なところはないように見える。自分で描いたのだろうかと思ったが、絵を描く者にしてはは運搬方法が杜撰だろうと思わないでもない。


「そんなに名画なのか?」

「おい、ラヴィーン様に触るな!」


 男が悲痛な叫びを上げた。

 男が叫んだ聞き覚えのあるその名に、エイルは視線を男の方へと下げた。


「……ラヴィーン?」

「そうだラヴィーン様だ! 深淵の者なら誰でも知っているだろう! あのラヴィーン様の肖像を買わせていただくことができたのだ!」


 合点が言った。


「なるほど、絵のラヴィーンを故郷に帰してやろう、そういう事だな」

「……ああ、そうだ。よく分かっているじゃないか」


 ラヴィーンはエイルと同郷で、吹雪の国の出身だ。とても美しい奴だった。巷ではラヴィーンを直接目にすれば死んでしまうだとか、ラヴィーンを見て描かれた絵画を手に入れた者は狂ってしまうだとか、色々とラヴィーンを見たことがない奴に言われている。この男は絵の中の美しいその人物に故郷を見せようと連れ歩いており、絵に近づく気配に攻撃したのだろう。


「まあそれならばこの絵──と言うか、この絵のモデルは大層美しかったんだろうよ。だが……」


 ちらり、と男の方を見た。全体像を見たわけではない。だから実際どのように描かれていたのか正確に把握するとはかなわない。しかし、ラヴィーンの絵画はエイルに違和感を抱かせた。


「この作者、恐らくラヴィーンを見ずに描いている。ラヴィーンはもっと美しい。この絵はそれでもお前をここまで来させるくらい狂わせるほど美しかったんだろうが、本物のラヴィーンならば顔が描かれてなかったとしても美しいよ」


 画家の技術が低い、と言うわけではないだろう。ラヴィーンを見て描けば並の画家は筆を折るし、筆を折らないにしても描き上がったそれはその画家の作品ではなく、ラヴィーン自体が一つの美術品となる。ラヴィーンをモチーフにした芸術作品は世に溢れており、本人を目にして描かれたものとそうでないもので大きく評価が異なる。それはリアリティだとか、希少価値だとかそんなものでなく、人々が想像する美の化身としてのラヴィーンを、現実に生きているラヴィーンの美しさが遥かに超越しており、作品の美しさを底上げしているのだ。そしてそれらよりも実際のラヴィーンそのものの方が美しい、とされている。いかに素晴らしく描いたとて、彫ったとて、表したとて、本物のラヴィーンに勝るものはない。ラヴィーンはモデルではない。美術品そのものである。

 ラヴィーンは俗にこう言われている。

 ──芸術の神が人間を戒める為に送った怪物である、と。


「……どこで買った?」

「は? ……お前はこれが偽物だと、そう言ったではないか」


 偽物、と言うことになるらしい。ラヴィーンを描くのは、神話の神を想像して描くのと差のない行為だとエイルは思っているが、現在の世間はラヴィーンそのものを見ていない絵画は偽物、と言うことになるらしい。ラヴィーン自体が美術品とされている以上、仕方のないことなのかもしれない。


「そうかもしれないが、お前は本物だと言われたのだろう。お前のいた国にはラヴィーンがいたんじゃないのか。これは見たところあまり古い絵ではないようだが」

「首狩りのエイルがラヴィーン様のことを知って何になる! ラヴィーン様を殺すつもりか!」

「言わないつもりなら別に良いが」

「あぁ!?」


 男を魔法で縛り上げ、宙に浮かせた。そのまま目の前にあった手足の骨を折り、雪の上に投げ飛ばした。


「まあ、誰かが来てくれてかつそれが良い魔法使いならば助けてくれるだろうさ。良い魔法使いなんざほとんどいないがな」


 男は青ざめた。


「ま、待ってくれ、言うから。言うから! 逆らって悪かった、殺そうとして悪かったよ! これは行商人から買ったんだ……この前、酩酊の国でな。行商人は、大陸で買い付けたと言っていた……ラヴィーン様がどこにいるか詳しくはしらないが、行商人曰く、とりあえず大陸にはいるって……」


 エイルは男を冷たい目で見下ろした。

 魔法使いは、「深淵」と呼ばれる土地に住んでいる。地獄だとか、暗闇だとか、そういう意味でそう呼ばれるようになった。深淵は悪魔が大昔に作ったと言われている国々が多く建ち、それらは全て異常に過酷な気象か、社会情勢をもっている。──この土地に押し込められてるのは魔法使いのみであり、魔法使いは深淵から出られない。結界があるからだ。

 結界を超えた先にあるのは、「大陸」と呼ばれている人間達が住む豊かな国々だ。魔法使いがそちらに行くことはほとんど不可能に近いものの、ごく稀に非常に力が強く悪魔に近い魔法使いが向こうに渡り、人里を荒らして深淵に帰ってくる、と言うことがある。結界を越える方法が何かしらある、らしい。


「そうか。だがお前が反省してようが襲ってきたものを見逃すようじゃ魔法使いの名が廃るだろう」


 男のことはそのまま放置し、再び不安定な箒で飛び始めた。

 大口を開けて笑いたい気分だが、そんなことをしては肺が凍るので抑えた。男の持っていた絵画をどうするか迷った挙句、最後まで燃やし切ることにした。燃え尽きるまでの少しの間だけでも男は暖を取れるだろう。どこの国で買ったかは少し見ただけだが目星がついた。珍しい色の絵の具を使っていたが、あれは特定の国でしか産出されないはずだ。


「箒を受け取ったら、……花の国にでも行くかな」


 彼は心なしか、いつもよりも弾んだ声でそう言った。

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