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聖なる姫と深淵の魔術師たち  作者: あずみの
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聖なる国のお姫様

「毎日毎日、終活終活終活終活。本当、嫌になっちゃう」


 ベッドの上に並べたのは今日の授業の教科書たちと、教師が作ってきた特別プリントである。


――一から分かる!終活のススメ

――揉めない!遺言作成

――死亡のプロが教える!理想の死に方百選


「なんで外国語の授業や音楽の授業でこんなものを教えられるのよ……」 


 エステルは神聖エルデリカ王国の第一王女である。だが、味方はいない。


 エルデリカは宗教国家で、その長たる王族は代々魔法使い共を「深淵」という――地獄のような谷底に押し込めるための結界を維持することに従事してきた。これは神に授けられた特別な力であり、度々生まれてくる思想家を王権神授説の下に押さえつけることに多大な役割を果たしていた。その権力は国内にとどまらず、人間たちが暮らす豊かで広大な大陸に広く影響を与えていた。

 なぜこんなにエルデリカの権力を刺々しく描写するのか――それは、エステルがこの国を大いに嫌っていたからである。


 誉れ高き聖者を擁するこの国の日常といえば、政争、政争、たまにシンプルな殺人、そして政争だ。エステルは王位に興味はない。興味はないのに、一抜けたができないのが王家の血というもので、常に命を狙われてきた。食事に毒を盛られ、シャンデリアに細工をされ、楽器に毒を塗られ、訓練兵が凄まじいエイムの流れ弾を撃ち、そして夜な夜な襲撃を受ける。そんな日々だ。


 夜、命が危うい時間帯。ベッドの上でエステルは独り言を漏らす。


「嫌だな、ここじゃないどこかへ行きたいな……」


 月の出ていない夜だった。外は薄暗く、部屋の明かりを消せば何も見えない。少し冷える夜なので、窓も閉めたはずだった。なにより閉めていなければ毒ガスを撒かれたりする。だから固く固く閉めたはずだ。しかし、突然突風が吹き抜けた。

 何かが光っている。鮮烈な光ではない。人魂のように儚くぼんやりと、何かが青く光っている。


「ほう、ならば出ていくか?」

「え……?」


 聞き慣れぬ声が聞こえ、顔を上げる。するとそこに見えたのはいつもの天井ではなく、満天の星空であった。今日は月が出ていないから、星がよく見える。先程まで自室のベッドの上にいたはずのエステルは、いつの間にか屋外の、空中に縫い付けられていた。


「突然失礼、エステル・ルイザ・エルデリカ第一王女殿下。余は魔王、と呼ばれている者である」

「魔王……?」


 深淵に押し込めている魔法使いたち。魔王は、それの頂点に立つ存在のはずだ。魔王を名乗る声は頭に直接響いてきていて、本人の姿は見えない。しかし現在、空中に体が浮いてしまっている時点で魔法使いが関与していることは疑うまでもない。エステルは空中で身動きが取れないまま、早なる鼓動を押さえつけ口を開いた。


「……私をどうなさるおつもりですか?」

「おや、話が早い。どうするか、と言うと、まあ概ね想像していることの通りだとは思うが――」


 魔王の声が響いたあと、唐突に硬直していたエステルの体が解放された。いけない、落ちる。そうギュッと目を閉じたのもつかの間、次は柔らかい座席の上に着席していた。


「もう、魔王様ったら強引なんですから!」


 魔王のものとは違う、軽やかな声が響く。


「え、これ、……馬車!?」


 ふかふかの座席は騒がしく揺れる。目を開き、急いで窓の外を見ると、馬車が空を飛んでいた。

 エステルは目を丸くした。エステルはただの人間である。当然、飛んだことなどない。


「飛んでる……」

「そりゃ飛びますよ、魔法の馬車なんですから」

「まほ、そうなんだ……えっと」


 御者が話しかけてきている。窓から顔を出し、御者の席を覗く。動脈血みたいな色の赤毛が風に吹かれているのがちらりと見えた。


「すみません、この辺り気流が厄介で。もう少ししたら自己紹介しますね。それまで向かいに座ってる人と喋っててください!」

「向かい……?」


 前方を照らすために灯りが点けられていた御者の席と違い、暗くてよく見えなかった車内に目を向ける。よくよく目を凝らす。


「ちょっとテルール様、灯り点けてらっしゃらないんですか!? お姫様が怖がるから点けてあげてって言ったじゃないですか!」

「ごめんごめん、気付いてなさそうだったから面白くて」


 若い男性の声がした。重厚感のあった魔王のものとも、風のように軽やかな御者のものとも違う、凪いだ声である。

 エステルが耳を澄ませている隙に、車内に灯りが点く。こんな不安定な車内で音もなく点灯したので、魔法とはなんと便利なものかと感心する。しかし先程まで暗闇で慣れていた目はすぐに前の人物を捉えられない。


「はじめまして、エステル姫」


 次第に灯りに目が慣れ、目の前の人物をはっきりと捉える。初めて見る、魔術師の姿である。


 左目の羊のような瞳孔は地面と平行を保ちながらエステルを見据え、緩やかに微笑んだ。右目は眼帯がつけられていて表情を伺うことはできない。黒いクセのない髪の隙間から額が伺え、そこには不思議な紋章が刻まれていた。若い、不気味で端正な青年がそこにいた。


「俺はテルール。嵐の国の魔術師だ。あんたを嵐の国まで無事送り、しばらく面倒を見るように魔王陛下から言われている。よろしく」

「よろしく……?」


 顔に誤魔化され握手をと差し出された手を握りそうになったが、すんでのところで正気に戻った。


「よ、よろしくじゃない。あの、私をどうするつもりなんですか」


 心臓の鼓動が早まる。先程まで身柄を拘束されていたのにいきなり動けるようにされ、そして説明役までご丁寧につけられている。すぐに殺されなかったからと言って安心して良いわけではない。上げて落とすつもりかもしれないし、儀式の生贄にされるのかもしれない。


 もしそうだったらどうしよう。馬車から飛び降りるのは無理だ。間違いなく転落死する。ならこの目の前の男を取り押さえて御者を従わせるか。無理だ。男が魔術師じゃなかったとしても、女が男に力で勝てるはずもない。なら御者を直接殴るか。それで転落したら死ぬのはエステルのみであろう。

 たくさんのルートを考えながらテルールの答えを待つ。テルールはゆっくりと口を開いた。死刑宣告を待つ罪人の気分である。


「……想像のとおりだよ。聖王の国……今はエルデリカだっけ。まあ、あんたの母国に対する人質」


 エステルは、噛み締めていた唇をゆっくりとほどいた。


「人質〜!? …………人質かぁ」

「もしかして想像と違った?」


 脱力し、椅子に全力でもたれかかる。なんだ、と言う気分だ。てっきり、殺されるのかと思っていた。

 だって、自分に人質としての価値は大して無い。エステルは第一王女だが、母親は平民出身の妾である。なんの後ろ盾もなく、王位継承権は無いに等しい。王族から追い出されなかったのは、異母兄弟たちに万が一のことがあった時の予備だったからだ。予備がいなくなったところで大して困りはしない。日々殺そうとしてきていた異母兄弟はむしろ大喜びだろう。


「いえ、てっきり取って食われるのかと思ってました」

「魔術師に対する偏見が過ぎる」


 はは、と乾いた笑みを浮かべながら思考を回した。

 エステルの地位が低いことが魔術師たちに知られたら殺されるかもしれない。もしかしたら帰してくれるかもしれないが、そんな博打を打つ気はない。どうせ帰ったとて政争により命はいつも危険に晒されている。深淵も大陸も変わらない。なら大人しく人質をやっていたほうが良いだろう。


「あのぉ……人質ってちゃんとご飯いただけるんでしょうか」

「それはもちろん」

「良かった……」

「それどころか深淵の中での身柄の自由も保障するさ。深淵自体が監獄だからね」

「なるほど……」


 魔術師は罪人の魂が生まれ変わった存在だと言われている。だから深淵に幽閉されているのだと、そう正当化されている。真偽の程は分からない。ただ、どうも人間側に都合の良すぎる話だとは思う。

 まあ別に、深淵と大陸の行き来が自由でも逃げたりはしなかっただろう。エステルは賢い犬なのだ。


「拷問とかされますか?」

「今はその予定はない。将来的には分からないが」

「そうですか」


 されたとて指一本触れさせてやらない。拷問が始まる前に全部白状してやる。エステルは国に対して思い入れなんてない。国のために死んでやるなんて言う、忠義に溢れた犬ではない。ひたすら、賢い犬だ。


「もしかして安心してる?」

「ええ、まあ……」

「そう。これから地獄に行くってのに気楽なもんだな」

「あはは……」


 生きていられるなら構わない。生きていればどうとでもなる。


 エステルはテルールの不気味な瞳を見た。明らかに人間ではなく、きっとすぐに自分を潰せる力を持っているんだろう。そうでなければこんな油断した様子で座っていられない。

 これから行く場所は怖い人がたくさんだ。それがどうした。王宮だって怖い人でたくさんだった。


 そうだ、これはチャンスだ。きっと神さまが可哀想な私に手を差し伸べたのだ――エステルはそう天に感謝した。

 王宮にいてもいずれ殺されるだけだった。それを、こうして連れ出してもらえた。人質という形ではあるが、少なくとも何かしらの利用価値を見出されている以上、身の安全は確保されるはず。なら、人間どもと暮らすよりよっぽど平和なはずだ。


「……?」


 テルールは自分をじっと見つめてくるエステルに首を傾げながらも微笑みかけた。


「テルール様、そろそろ雲海に突入します」

「分かった。君は気流に乗ることだけ考えなさい。エステル姫、この雲海の下が深淵だ。かなり揺れるからどこかに掴まったほうがいい」

「雲海……結界があるはずじゃあ」

「かなり消耗はするがね、まあ乗り越えられないほどじゃない」

「テルール様はすごく強いんですよ。深淵で二番目くらいかな?」

「フォラータ、そういうの良いから。集中して」

「はーい」


 フォラータと言うらしい御者は姿勢を正し、手綱を握り直した。テルールは腰に差していた剣を抜き、またベルトから下げていた天秤を手に取った。


「君だって自分の国の結界に殺されたくはないだろう?」

「あの結界って魔術師だけに効くんじゃないの?」

「まさか。聖王の奇跡はそんな都合のいいもんじゃないよ」


 エステルは手すりを掴み体をこわばらせた。テルールがなにやらブツブツ言いながら剣と天秤を胸の前で構える。

 次第に馬車は激しく揺れ、窓の外は雲で何も見えなくなって来た。


「きゃあ!」

「口閉じてください! 慣れてないと舌ァ噛みますから!」


 フォラータの軽い声が聞こえる。エステルは慌てて口を閉じた。

 テルールの方はものすごく集中している。天秤の上には青く仄かに光る物が置かれていた。部屋で見たものとよく似ている。あれはテルールの魔法だったのかもしれない。天秤の上では青い光が反対側に置いてある赤黒い石と競り合い、やがて釣り合った。


「フォラータ、行ける」

「かしこまりました!」


 テルールがそう指示を出した途端、馬車は急降下した。この馬車の馬はこの挙動についていけるのだろうか。傍から見たら滑稽な動きをしているのではないか、と薄っすら不安になる。

 急降下した馬車は先程とは違いあまり揺れない。線路に乗っているかのようなスムーズさだ。そのかわりに非常に浮遊感があり気分は悪い。


「耳が変!」

「それは我慢してください!」


 フォラータに宥められながら必死に手すりにつかまる。手汗で滑りそうになるのを不安に思いつつも、馬車は危ない挙動をすることもなく降下していた。目の前のテルールは集中していて、どこか遠くを眺めている。

 絶妙な不快感を乗り越え、彗星のごとき凄まじい速度で急降下する馬車は次第に速度を落とし、そして再び走り始めた。


「雲を超えましたよ、お二方とも」


 フォラータの声が聞こえ、手すりを離し窓の外を見た。


「ああ、あまり身を乗り出さないほうがいいよ。どこから魔法が飛んでくるか分かったもんじゃない」


 テルールに制され、あわてて窓から首を引っ込める。

 空は曇り、雷鳴が止まない。いつも下にしかなかった雲海が、上にある。変な感じだ。

 深淵の谷底はかなり深く、かなり降下したと思ったのに、国々はまだまだ下の方にある。


 その後も、深淵の各国の上空を馬車は越えていく。とある国は緑が一切なく、不毛の土地という様相をしていた。とある国は雪が深く、何も見えない中で進むことになった。とある国は至って普通に見えた。見えただけで、普通ではないらしい。

 とある国の国境を超えたところで、馬車の上に稲妻が落ちた。


「きゃあ! お、落ちた!?」

「大丈夫、この馬車は特別製だから雷なんかじゃ駄目にならない」


 テルールは昼寝でもしそうな様子でそう言うが、エステルは気が気じゃない。


「それにしたって怖いですよ……!」

「これが嵐の国の日常ですからね、慣れてください」


 フォラータが御者席でころころ笑っている。これが日常らしい。とんでもないことだ。

 いや、そんなことより。


「ここが嵐の国……?」

「はい! お待たせしました、ここが嵐の国です!」

「……わあ」


 馬車はゆっくりと降下し、そして眼の前にある大きな城に向かう。あれが嵐の国の王城――つまり、魔王城だ。

 避雷針だけがやけに立派だが、あとはお化け屋敷のように景気の悪い見た目をした城だが、先程からずっと止まない暴風や雷鳴、竜巻を受け止め続けてきた城なのだろう。それだけに十分な重厚感がある。なにより異様な雰囲気だ。立派な避雷針にはモズの早贄かのように何かが刺されている。人間のようなシルエットのものもあれば、何かの魔物に見えるものもある。どちらにしろ悪趣味だ。窓からは灯りが見えない。到底人がいる場所とは思えない。言ってしまえば廃棄された牢獄という印象だ。

 本能で分かる。人間の住処ではない。


「改めて……ようこそ、嵐の国へ」

「……よろしく、お願いします?」


 テルールは柔らかく笑った。深淵で二番目に強いらしい彼は馬車から降り、エスコートするように手を差し伸べた。


 到底人間が住むところとは思えない。でも、エステルはここで生き残ってやるしかないのだ。ここが化け物の巣窟でも、はたまたエステルを守る檻であっても、この先どうなろうと絶対に死んでやらない。地獄でも、天国でもだ。


 エステルはテルールの手を取った。ここで、生きていくために。

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