雨宿りしたら蛙化
急に降り出した雨は冷たく、そのまま帰るのを躊躇った私は慌てて目についた喫茶店に飛び込んだ。一緒に出してくれたクッキーが美味しくて、急に選んだ割には当たりだったかもしれない。
バッグに入れてあった小説を読んでいると、店主に相席にしてもいいかと聞かれた。同じ考えの人たちが集まって、いつもよりも客が多いらしい。承諾するとお礼にとプリンを出してくれた。口元に人差し指を置いてウインクする店主。内緒だよ、ということなのだろう。
「すみません」
そう言って目の前に座った人を見て驚いた。毎晩観ている登録者数十万人越えのユーチューバーにそっくりだ。いや本人だと思う。平日の夜、ライブ配信をしている彼のおかげで毎日が楽しい。感謝を伝えたいような、騒ぎにしてはいけないような、どうするのがいいのか分からない。
彼は注文を済ませるとパソコンを開いた。編集作業かな? 動画のストック作りかな? 邪魔したらいけないよね。緊張と混乱で頭が熱っぽくなった。やっぱり感謝を伝えたい。私はメモ帳を取り出した。
『ファンです。いつも楽しい動画をありがとうございます! これからも応援します!』
スッと彼に見えるようにメモ帳を置くと、すぐに気付いてくれた。メモを見た彼は嬉しそうに笑ってくれた。彼はメモ帳を一枚捲ると、何かを書き始めた! 喜びと感動で涙が込み上げてきた。いつの間にか両手を祈るように握り締めている。
メモ帳が返ってきた。
『ありがとう! これからもよろしく!』
サイン付きだ。
「あっ、ど、どうも」
別人だ。
彼のサインは見たことがある。浮かれていた気持ちが沈んでいく。折角のプリンも味がしない。最近珍しい昔ながらのプリンだったのに。あんなに似ているのに別人。誰と間違えたんだろう。まだ小雨が降っていたけど、お礼だけ言って家に帰った。
その日のライブ配信で彼は雨宿りした喫茶店でメモを渡されたと言っていた。やっぱり彼だった。彼は嬉しさからまだ世に出していないサインを書いてしまったと言う。一目惚れだからあの喫茶店で再会したい。そうも言っている。
「そんなドラマな話があるわけない」
相方が笑い話にして配信は終わった。もし私があの喫茶店へ行ったら彼と付き合うことになるの? どうしよう。確かに彼のファンだけど、そういう好きなのかどうか自信がない。それよりも配信で言ったのなんか嫌だな。私はあの喫茶店には行かなかったし配信を観るのもやめた。蛙化現象と言うらしい。
完




