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銀鱗島



「……で……じょうぶ……でしょうか……」

「……おそらく……形は関係ないので……」

「よかった…………なので……わたくしの血では駄目かと……」


 人の話し声がする。

 う、と短く呻き、目を開く。見知らぬ天井がそこにある。

 呆然とする千代子を覗き込んだのは、艷やかな長い黒髪を一つに纏めた、紅の着物を着た少女だった。赤っぽい、異人のような変わった色の瞳と桃色の口紅が真っ白な肌によく映えている。見たところ、千代子と同年代くらいだ。


「起きたのね。よかった。浜辺の岩にぶつかって大量に血を流していて、一時は大変だったのよ。幸い、島の医者に診てもらって何とかなったけど」


 少女はほっとしたように微笑んだ。


「わたくしは珊瑚(さんご)。この屋敷の次女よ。ここは、〝銀鱗島(ぎんりんじま)〟というの。分かる?」

「ぎんりんじま……」

「貴女、今朝方浜辺で発見されたのだけれど、一体どこから来たの?」


 霧海村から銀鱗島まではそれほど短い距離ではなかったはずだ。しかし、幸か不幸か、千代子は生き残ってしまったらしい。

 上体を起こし、自分のいる広い畳の間を見回す。部屋には立派な掛け軸や絵画、置き物がずらりと並んでいる。一目で財を持つ物の家だと分かった。


「……栃木から……」


 千代子がぼそりと答えると、珊瑚は首を傾げる。


「やだ、わたくしの分からない地名だわ。それってここから遠いの?」

「関東です」

「かんとう? かんとうって、何? どの辺りかしら」


 なかなか話が通じず、千代子は説明するのが面倒になり黙り込んだ。長く喋る気力がない。

 どうして死ねなかったのだろう。神様というものがいるのだとしたら意地悪だ。少し油断しただけでも、茂とのおぞましい行為の記憶が蘇る。何度も何度も。


「船の行き来はもうなくなってしまっているの。貴女を戻してあげたいけれど、しばらくは……」


 ――珊瑚は千代子を栃木に戻そうとしている。それを察した時、千代子は思わず立ち上がった。千代子と目線を合わせるため屈んでいた珊瑚が驚いたように千代子を見上げる。


「自分で帰れます。放っておいてください」


 栃木にだけは戻りたくない。今頃茂は千代子が勝手にいなくなったことで激怒しているだろう。そして、それを知った母も。


「え? 自分でって……ちょ、待って、駄目よ」


 珊瑚の制止も無視して廊下に通ずる襖を開けようとした千代子は、徐々に気持ち悪くなってきて床に倒れた。


「まだ動いちゃいけないわ。傷が開いてしまう」

「……うう……」

「痛い? 痛いのね? ちょっと待って」


 腹部を押さえて歯を噛みしめる千代子に寄り添うように近付いた珊瑚は、千代子の腹を千代子の手の上から優しく擦った。すると不思議なことに、次第に痛みが引いていく。吐き気もなくなっていった。

 驚いて珊瑚を見上げると、珊瑚はふふっと得意げに微笑む。


「凄いでしょう。これ、わたくし達人魚族の力なの」

「人魚族……?」

「一応、この島で祀られている神様よ」


 千代子は一瞬言われたことを飲み込めず、珊瑚のつぶらな瞳をじっと見つめ返してしまった。一拍遅れて何とか質問を絞り出す。


「……え……霧海村が祀っていたっていう……?」

「あら、知ってたの」


 くすくすと着物の裾で口元を隠しながら笑う珊瑚は、確かに人間離れした美貌を持っている。透き通るような白い肌や整った目鼻立ちを見ていると、人ではないと言われても納得するほどだ。


「……本当に? 人魚なんてお伽噺でしか聞いたことない。陸で生きられるの? 見た目は人間なのに神様なの?」


 千代子はずいっと珊瑚の顔に顔を近付けて聞いた。

 目の前にいるのは、人ならざるものだ。好奇心から少しだけわくわくしてしまう。

 すると、珊瑚は少し意外そうに瞠目した後、ふふっとまた笑った。


「神様だから人の姿にも別の姿にもなれるのよ。今度見せてあげてもいいわ」


 珊瑚は見た目からして同年代だ。この島に流れ着き、こんなに可愛い子と出会えたのも何かの縁かもしれない。

 少しだけ気持ちが落ち着いてきた千代子は珊瑚の話を黙って聞いた。



 人魚族は古くから体の作りも寿命も人間とは異なる一族で、全員が神様としてこの島で信仰されているらしい。

 だから島の人間は人魚族の言うことを全て聞くし、島民が育てた米や野菜などの一部は神への捧げ物としてこの屋敷に届くとのことだ。


 人間とは違う存在であると説明されているのに、不思議と怖いとは感じなかった。

 珊瑚が本気で千代子のことを心配してくれていると伝わってくるからかもしれない。



 珊瑚の話を興味深く聞いていた時、後ろから嗄れ声がした。


「よそ者。何をしにきた」


 振り向くと、いつの間にか部屋の隅に老婆が立っている。千代子はその姿を見てひゅっと息を吸った。

 ――全身が鱗だらけだ。その姿はとても綺麗であるとは言えない、異様な見た目である。老婆の鋭い視線と相まって、不気味さ、おぞましさすら感じる。


「お婆様……。動いてよろしいのですか?」


 珊瑚が心配そうに老婆に駆け寄った。どうやらあの老婆は珊瑚の祖母らしい。

 老婆は珊瑚など見えていないかのように千代子を視界に捉えたまま顔を動かさない。そして。


「この屋敷から出ていけ……よそ者、この屋敷から出ていけ!!」


 金切り声を上げながら傍にあった壺を持ち、千代子にぶつけようとする。千代子は驚いて立ち上がった。


「お婆様、ごめんなさい! わたくしが連れてきてしまったの! すぐ外へ出すから、お願い、落ち着いて!」


 珊瑚が壺を持った老婆を必死に押さえ、目線で千代子に逃げろと指示してくる。千代子は慌てて襖を開けて廊下に出た。隠れるように廊下の曲がり角まで移動して蹲る。後ろからはしばらく口論の声が聞こえていたが、徐々に収まっていった。



 息を潜めて待っていると、そのうち珊瑚が迎えに来た。

 珊瑚は非常に申し訳なさそうな顔をしている。その手には二足の下駄があった。赤い鼻緒に花柄の入った、可愛らしい下駄だ。


「ごめんなさいね。お婆様はご病気で……。さっきみたいに取り乱すことも多いの。本来はお優しい方なのよ」

「病気っていうのは……あの肌のこと?」

「そう、肌に無数の鱗が出るの。この島の流行り病でね、一度かかったら治らないのよ。どうやって感染するのかも分かっていないから、一度なると隔離されるようになってしまって……お婆様、普段は屋敷の奥の離れに独りでいるの。そんな状態だから精神的に滅入るのでしょうね」


 珊瑚はそう言いながら千代子を外に案内した。一度屋敷の外に出るらしい。


「お婆様が眠りにつくまで、しばらく離れていましょう。大丈夫、一度眠ると数日は起きないから。起きた時には貴女のことも忘れているわ」


 珊瑚に促されるまま下駄を履き、石畳の長い道の上を歩く。その先には屋根付きの大きな門があった。珊瑚が錠を外して門を開ける。


 外には原風景が広がっていた。見えるのは小さな山と草木と田んぼくらいだ。電灯や電線すらない。

 遠くには、ぽつんぽつんと間隔を開けて、古びた小さな家屋が並んでいる。そのほとんどが草木に埋もれ、今にも壊れそうな見た目をしている。


 それらの家々を見てから高い塀で囲まれた珊瑚の屋敷を振り返ると、珊瑚の屋敷の方がより広く、改めて立派に見えた。


 島の住人らしき男が珊瑚の屋敷の隣にある祠の近くに米を置き、手を合わせ、「人魚様……嗚呼、人魚様。痛みを和らげてください」と暑い中何やらぶつぶつ呟いていた。千代子はそれを見て何だか少しだけ不気味に思った。

 珊瑚がさっさと先に行くので、早足で付いていく。


「銀鱗島には人がいないって聞いてたのに、普通に住んでてびっくりした」

「昔は流行病の影響で大量に死んだのだけれど、今はある程度落ち着いてどんどん増えているわ」


 珊瑚と一緒にしばらく歩いていると、小規模な市場があった。子供から大人までが集まり、並べられた魚や野菜を見定めている。味噌や醤油、塩などの料理に必要な調味料も売られていた。


 薄い布の服を着た島民は珊瑚の姿を見るなり姿勢を低くする。珊瑚がこの島で敬われているのが分かる反応だ。そればかりか、珊瑚が手を伸ばすだけで市の人間はさっと素早く塩や醤油を差し出す。

 お金も出していないのにいいのだろうか、と千代子は少し心配になった。しかし珊瑚は人の姿をしている神様であると聞くし、神様が人に金銭を支払うというのも変な話だろう。

 千代子が「持とうか?」と聞くと、「あら、いいの」と珊瑚は遠慮なく買ったものを入れた袋を千代子に渡してきた。




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