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人魚隠しし灯篭流し  作者: 淡雪みさ


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39/41

亡霊の火の粉



 :


 燃え盛る炎は屋敷の古い木造の骨組みを次々と飲み込み、崩れ落ちる梁の音が空気を震わせていた。

 橙色の炎が猛烈な熱を放出している。火の手は屋根裏から屋敷の門まで、まるで生き物のように全体を包み込み、まだ燃え残っている戸や畳までもが次々と火に巻かれていく。周囲には焦げ臭い煙が充満しており、中を突っ切る千代子は咳き込んだ。


「珊瑚さん! 珊瑚さん、どこ!?」


 目が霞んでなかなか前が見えない。


「珊瑚さん!」


 千代子が珊瑚を呼ぶ声も、がたがたと揺れながら崩れ行く屋敷の中ではかき消されてしまう。

 時折爆発音が聞こえ、屋敷の中で何かが破裂する音が響き渡った。


 走り続けているうちに、まだ崩れていない畳の間、御簾のあった部屋から人の気配を感じた。


 ――燃え盛る室内の中心、髪を下ろした珊瑚が、何かの首を締めている。

 細長く黒い木のようなそれ。ぱっと見て何か分からなかったが、七海の話と照合すると、おそらく異形の首なのだろうと理解できる。

 それを締めるために珊瑚に使用されているのは、千代子が与えた組み紐だった。


「珊瑚さん!」


 千代子は珊瑚に駆け寄った。

 虚ろな目をしていた珊瑚がはっとした様子で千代子を振り向く。その顔は煤だらけで、髪も燃えて毛先が乱れていた。

 珊瑚の向こうで、重ねられたいくつもの紙がぱちぱちと火の粉を上げている。


 ――もう、燃やしてしまったのだ。

 人魚族の命を握っている紙を全て。


「……珊瑚さん、私、間違ってた」


 震える声で訴える。

 どうしてこんなことを、などと全て珊瑚の責任にしてとぼけられないくらいには、千代子は珊瑚のことを知っていた。


「あの時。人魚族のお婆さんが死んだ日、私が珊瑚さんに言うべきだったのは……人魚族のお屋敷に戻ろうって言葉じゃなくて、一緒にこの島から逃げようって言葉だったんだ」


 千代子は選択を間違えた。

 目の前にいる、自分よりもずっと長く生きて苦しんできたであろう大きな少女一人を救うことすらできなかった。

 彼女はずっと千代子に救いを求めていたのに。


「ごめん。ごめんね」


 泣く資格などないというのに、千代子の目から涙が滲む。

 組み紐で首を締めながら千代子を見上げる珊瑚の目からも、ぽろりと涙が溢れた。


 珊瑚はもう動かない首から手を離し、崩れ落ちるように倒れた。

 千代子ははっとして燃え盛る紙に手を伸ばした。炎の中に、〝さんご〟と名前を書かれた紙がある。熱さに耐えながらそれを必死に掴もうとする千代子に対し、珊瑚が薄く開かれた口で言葉を紡いだ。


「文ちゃん。もういいわ」


 千代子はその気力のない目を知っている。

 彼女の目はもう、自らの人生を諦めている目だった。


 珊瑚に駆け寄ってその体を抱き寄せる。

 その体には力が入っておらず、下半身には鱗が生えていた。

 珊瑚が力なく笑って囁いた。


「わたくしはきっと地獄に落ちる。神を騙り、人を騙して病を移し、肉親を殺した」

「……私が地獄に迎えに行くよ」

「ふふ。そんなこと言ってくれるのね、文ちゃん。やっぱり優しい」


 煙を吸い込んだのか、珊瑚は何度も咳き込む。その指先が灰となって消えゆこうとしているのを見て、珊瑚の命がもう長くないことを察した。


「珊瑚さん、何か、私に何かできることはない?」


 意識を失いかけている珊瑚に必死に呼びかける。

 珊瑚が口を動かし、何か伝えようとしている。

 千代子は珊瑚の唇に耳を近付けてその声に集中した。


「わたくしが幸せにできなかったわたくしの子を、文ちゃんが幸せにしてあげて」


 虎一郎の顔が頭に浮かぶ。


「……うん。する。絶対にする、から、だから……」


 ぼろぼろと涙が出てきて言葉にならない。しゃくり上げる千代子を見上げ、珊瑚はくすりと笑った。


「ねえ。泣かないで。楽しい話をしましょうよ。文ちゃんがきた、かんとうって、どういうところなの」


 千代子は涙を服の袖で拭いながら、栃木のことを返す。


「私がいたのは、田舎だけど、人がいて……住宅が沢山あって……子供がいて、学校っていうところがあって」

「この島よりもたくさん?」

「うん。沢山あった」

「そっかあ。文ちゃんと一緒に、逃げられたら、きっと楽しかったでしょうね」


 灰になりつつある手を千代子の頬に添え、珊瑚の顔が近付いてくる。

 そして、珊瑚の冷たい唇が千代子の涙で濡れた唇に重なった。

 茂の時は必死に抵抗していた、千代子にとっての初めての口付けだった。


「最期だから、貴女の本当の名前おしえて」


 間近で囁くように言われ、文はゆっくりと答える。


「千代子……千代子だよ」

「千代子。素敵な名前。そっか、千代子。わたくしのこと、ずっと覚えていてね」

「……うん。絶対忘れない」


 炎は部屋全体を呑み込み、珊瑚たちを、人魚族を燃え尽くそうとしている。



「――――さようなら。わたくしの神様」



 そう言って笑った珊瑚の体は灰となり消えていった。

 彼女は最期のその瞬間だけ、ずっと捜していたものを見つけたような、あどけない笑顔を浮かべていた。




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