怪異の弱点
彼らの手によって解体された神輿から、ズルリズルリとご神体が引き摺り出される。泥のような黒い液体を被った、人とは思えぬ異様な体躯。ぎょろりと何度も動く一つの赤い目玉。顔もなければ手足もない。〝化け物〟と呼ぶに相応しいその姿を目にして絶句したのは千代子たちだけではない。
怯えながら立ち竦んでいた島民たちも、自分たちがこれまで〝神様〟として崇めてきた存在の真の姿を初めて見たのか、酷く青ざめている。
誰もが直感的に思っただろう。――この醜い生き物が神であるはずがないと。
怪異たちの興味は今は人魚族だけに向けられているが、このままでは突っ立っている島民も危ない。さらに、切られた腕を押さえて逃げようとする七海にも怪異が襲いかかろうとしているのが見えて、千代子は黒い布から出て走り出した。
「おい!」
後ろから帆次の怒鳴り声がする。
しかし千代子はその呼びかけに応答せず、走りながら落ちていた松の枝を握り締め、七海に手をかけようとする怪異の赤く光る目に突き刺す。
「帰りなさい! 貴方たちの居場所はここにはない!」
怪異にも物理攻撃が効くと教えてくれたのは、今後ろにいる七海だ。
人魚族の男たちはもうほとんど殺されてしまっている。その体は再生が不可能な程に千切られており、周囲は血の海だった。
目を刺された怪異は千代子の想定以上の苦しみを露わにし、泣き叫びながら倒れ、ぴくりとも動かなくなった。
次の瞬間、異形に気を引かれていた他の怪異たちが千代子を振り返り、一斉に近付いてくる。
その姿を目に入れた途端、千代子の脳内に赤い目がぐるぐると駆け巡り、気持ち悪くなってきて嘔吐しそうになった。浜辺で怪異に追い詰められた時と同じ感覚だ。このままではまた精神に異常をきたしてしまう。
「虎一郎、帆次! こいつらの弱点、目だよ!」
奥に隠れている二人に向かって叫ぶ。
伝えるより先に彼らは動き出していた。帆次は怪異に蹴りかかり、虎一郎は怪異に勢いよく噛み付く。帆次から黒い布を投げ渡されたため、千代子はそれを七海と一緒に被り、帆次たちが怪異の気を引いている隙に他の島民を呼んだ。
彼らには松林の奥に潜んでもらい、同様に黒い布を被せる。
「あれは一体……」
「ご神体のあの姿……神というよりまるで……」
「怪異のあの赤い目……人魚族にそっくりじゃないか」
「私達、一体何を祀ってたの?」
「いや、それよりも……」
戸惑いを隠せない様子の島民たちは姿勢を低くし、顔を見合わせて囁き合った後、恐る恐るといった感じで千代子を見上げる。
「言い伝えで聞いたことがある……霧海村からやってきた神様は、今のこの子のような金色の目をしていたと」
しん、と場が静まり返った。
どうやら千代子の目は千代子の気持ちが興奮や焦り、緊張などで昂ると金色に変わる瞬間があるようで、今の千代子の目も金に光っているらしい。
「そうか……斧で迫った時に一瞬、色が変わっていたからもしやと思っていたけれど。アンタ、海雲族の血筋だね?」
血塗れの腕を押さえる七海が、馬鹿にしたようにハッと笑い、島民たちの方に目をやる。
「アンタらの予想通りだよ。アンタたちの言う〝人魚の神様〟はあたし達じゃない。霧海村から運ばれてきた神は、海雲族さ」
衝撃の事実を言い渡された島民たちの顔が強張る。
自分たちが本物の神を差別して虐殺していたという衝撃と、では目の前にいる七海たち人魚族は何なのかという不安が同時に襲ってきたのだろう。
「……七海さん、そんなこと言ったら……」
七海は、人魚族が島民たちを騙していたことを暴露した。
今後の人魚族への扱いが不安になって七海の顔を窺うと、七海は何故か清々しげに笑っていた。
「どのみちもう終わりさ。人魚族は全員。神輿には怪異が近付けないように怪異が嫌う匂いを付けているはずだった。それを任されていたのは珊瑚だ。これは珊瑚の謀反だよ」
「謀反……」
「屋敷には人魚族全員の名の書かれた紙も、お爺様の本体である〝首〟もある」
「首……? 神輿に乗っていたあれは本体ではないということですか?」
「あれはお爺様の身体だ。身体を壊されただけじゃお爺様は死なない。本体である首をどうにかしなければならない。ただ、屋敷が燃えたということはその首も今頃燃えているか、珊瑚の手の内だろう。案外呆気ないものだねぇ」
「……待ってください、首はともかく、名の書かれた紙を燃やされたら、その名を持つ人物は死ぬんじゃ……」
「理解の遅い子だね。だから全員終わりだと言っているんだよ。珊瑚は全員の紙を燃やす気だ。あの子の人魚族への恨みは皆殺しでもしないと晴れないだろう」
それを聞いた途端、千代子は急いで走り出した。
「文」
千代子の背中に向かって、七海が聞いたこともない優しい口調で語りかける。
「アンタは幸せになるんだよ」
それはまるで我が子に語りかけるような、切ない声だった。




