仮説の共有 二
文は逸る気持ちで思考を巡らせた。
感染していないのは虎一郎だけ。
他の人魚族が行っていて、虎一郎だけがしていないこと。
空気感染ではなく、性行為以外の感染経路。
男女関係なく全ての人魚族が行っている、性行為以外の行為。
尚且つ、虎一郎曰く〝特別なこと〟ではないもの。
これまで見てきた人魚族の様子が物凄い速度で脳内を駆け巡る。
悲しそうに笑っていた珊瑚、斧を持って襲ってきた七海、ざらざらとした不快な声を出す異形の神体、一つの部屋に集まる黒服の男たち――その中でも、鮮明に思い出せるのは、この島に来てからずっと優しくしてくれた珊瑚の顔ばかりだった。
――『わたくしはよその人間の血を引いているからか、子供は全員、一人を除いて元気だったの。鱗生病にも誰一人なってない』
――『大変よお。子育て自体も大変だし、屋敷の女性陣からの圧力や悪口も大変。わたくしなんて、人魚族の他の女性よりも子の数が少ないし、母乳が出ないからってお婆様に散々文句言われて……』
――『子供が泣いているの。寝かしつけてくるわね。粉ミルクも作らないと……』
その時、文の頭にある可能性が過ぎった。
「先生、母乳で病気が広がることってありますか?」
顔を上げて聞くと、医者が少し驚いたように目を見開いた。
そして、髭の生えた顎に指を当てて考え込む。
「いや……母乳を介した感染症の伝播については、私の知る限り科学的な証明はなされていなかったはずです。ただ、母乳感染という概念自体は戦前に提唱していた医師がいますよ。眉唾物ではありますがねえ」
医者は腕組みし、「何故母乳での感染を疑ったのです?」と文を見下ろした。
「珊瑚さんは母乳が出ない体質だったんです。子供のこと、粉ミルクで育ててるって言ってました。人魚族全員が行うもので、珊瑚さんの子供だけが行っていないことってそれしか思い当たらない。それに、珊瑚さんは自分の子供だけ全員鱗生病になってないって言ってました」
「確かに、以前珊瑚様が自分の赤子を連れてきたことがありましたが、彼も感染していませんでした。まだ幼いが故と思っていましたが、珊瑚様の育て方にその要因があると予測するのは自然な流れですねえ。ははあ、なるほど」
面白そうに頷き、何やら紙を取り出す医者。彼は自身の考えを整理するためによく紙とペンを用いる。
文は隣で遊んでいる虎一郎に声をかけた。
「虎一郎、最近食べた怪異の死体ってどこに置いてる?」
「山の奥……左半身しか食べてないよ」
「残った部分を持ってきてもらうことってできる?」
「僕、文の役に立てる?」
「うん。力を貸してほしい」
虎一郎は嬉しそうに満面の笑顔を浮かべる。
怪異も元は人魚族の子供だ。
彼らが感染しているか調べることによって何か手がかりになるかもしれない。怪異の中には生後すぐに捨てられている子も多いだろう。怪異に感染が見られなければ、やはり人魚族が生後に行う行為の中に原因があると推測できる。
「文さん、貴女本当に面白い仮説を立てますねえ。さすが霧海村の神様だ」
「神様なんかじゃないですよ。神様なら大勢の人を救えるはずでしょう。私は珊瑚さん一人を救うことすらできてない」
「病で死んでいく人なんて数え切れない程いますよ。その一人一人に対していちいち責任を感じていたらきりがありません。しかし戦い続ければ今後多くの人を救えるかもしれない。貴女は珊瑚様が助からないと分かっても思考を止めず、戦おうとしている。それは意義のあることです」
医者の言葉に、それまで堪えていた涙が溢れてきた。
(――珊瑚さん、ごめんね)
死にたいと思っていた文は生かされ、文を助けた珊瑚は死んでいく。
申し訳ない。情けない。悔しい。悲しい。辛い。理不尽だと思う。
けれど――この命が珊瑚に生かされた命であることを、噛み締めて生きていくと決めた。
:
荒波が何度も押し寄せてくる。
曇天だが、雨は降っていないため銀鱗祭りは決行されることになった。
浜に高々と立てられた祭りの旗を見上げながら、文は裸足で海の近くを歩いていた。向かったのは、文が打ち付けられていたという岩だ。
その岩をしばらく眺めていた文は、遠くから祭りの音楽が聞こえてきて顔を上げた。――そろそろだ。珊瑚と会うには珊瑚や他の人魚族が屋敷から外に出る祭りのこの日しかない。
海雲族の目を使って島の中心部を確認すれば、お爺様と呼ばれる異形を乗せた神輿が人魚族の屋敷から運ばれていくところだった。
その道の先では多くの島民が土下座し、神輿が通るための道を開けていた。
その時、ぽんと肩に手を置かれる。
はっとして振り返れば、にやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべる男たちが数人いた。その顔を見てすぐに分かった。昨夜、珊瑚と交わっていた男たちだ。
「嬢ちゃん、最近人魚族の屋敷にいた子だろ。迷子か?」
「珊瑚様と仲良くしてるってことは、お前も淫乱なんだろうなァ」
「なあ、俺らと遊ばねえ? 夜の灯篭流しまでは暇だからさ~」
ぞわっと全身に鳥肌が立った。男たちはニタニタといやらしい笑みを浮かべている。衣服の隙間から覗く胸板の太い毛を見て茂を思い出し、その場で嘔吐しそうになった。
震える足で一歩後退し、男たちとわずかに距離を置く。
「この島の住民であるのに、邪淫の罪をご存じないのですか」
警戒しながら問いかける。彼らは決められた以外の相手とする性行為が大罪であると理解しているはずだ。なのにどうしてこんなにも軽々しく声をかけてくるのか。




