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紛い物の過去



 人魚族としてあり続ける限り、人々には神として崇められる。

 かつて怪異を不気味がって山に追いやった人々が、今度は怪異を神として祀っている。珊瑚にとってはそれがおかしくて滑稽でたまらなかった。


 神のふりをして平気な顔で島に住み着く人魚族の連中の面の皮の厚さも滑稽だった。

 御爺様に神を名乗り、神として振る舞えと命じられているので、それに逆らうことはできない。


 ――人魚ではない、紛い物のくせに。

 珊瑚はいつもそう思っていた。


 けれど神として生きなければまた怪異として扱われ、山の奥に追いやられる。

 一族に見放されてしまえばこの島で生きていくことはできない。御爺様に逆らえば名を焼かれて死ぬ。規律を守って生きていく道しか珊瑚にはなかった。


 そうして長い時が過ぎていった。

 気が狂うほどの長い時間だった。


 珊瑚は時に、人間という種族の寿命の短さが羨ましくなった。


(外って、どういうところなのかしら)


 珊瑚は浜辺に行くのが好きだった。時間のある時はいつも海を見に行っていた。

 海の向こうには薄っすらと土地が見える。あれが珊瑚の父親がやってきたという霧海村だろう。


(……もしもわたくしが本物の人魚だったら)


 珊瑚が人魚であれば、ここから霧海村まで、きっと泳いで渡れるだろう。

 けれど珊瑚は紛い物だ。人魚の肉を食べて人魚の力を得ただけの怪異。外に出ることも叶わない、無力な存在だった。



 その無力さを痛感したのは、初めて御爺様に抱かれた時だった。


 人魚族の女性は誰もが通る道であり、子をなすためには行わなければならない儀式だと分かっていても、珊瑚は恐ろしくて躊躇いがあった。

 初夜、珊瑚はいつも御簾越しに見ていた御爺様と呼ばれる存在の見た目のおどろおどろしさに悲鳴を上げ、逃げ出してしまった。

 当然その罰則は重く、すぐに一族の者に取り押さえられ、抵抗できぬよう手足の一部を切断されたうえでおぞましい異形との行為を強いられた。


 珊瑚は嫌だやめてと泣き叫んだが、当然儀式が中断されることはなく、まだ体も十分に発達しきっていない珊瑚の処女は散っていった。


(これで子が生まれても、捨てられるかもしれないのに)


 絶望感だけが残った。


 人魚族の中には人の形を模倣できない奇形が生まれることが多い。

 そのような子どもは、人魚族が怪異であることを知られないためにすぐに山に捨てられてしまう。


 それだけではない。

 たとえ人の形を模倣できる子だったとしても、どこかに異常があればすぐに殺されるか捨てられる。


 人魚ではないのに魚のように沢山産んで、まともな子孫を厳選する。

 母体は一回一回命がけであるというのに、数をこなさせようとする。


 他の女性たちと同じく珊瑚も、一度正常な子どもを生んだからといって役割を果たしたと解放されることはなかった。


 御爺様とのおぞましい性行為は何度も続いた。そのたびに何かが失われていく感覚がして、心が壊れそうだった。


 ――いつまでこれが続くのだろう。


 変わらない島。変わらない光景。寿命で入れ替わるものの変わらない島民。


 絶望の繰り返し。逃げ場はない。

 我が子と共に心中しようとした七海の気持ちが分かる。


 しかし珊瑚の中には見せしめとして殺された実の母親の姿が鮮明に残っている。

 死ねば全てから逃げられるのに、自殺に失敗して屋敷に引き戻された場合にどんな目に遭うかが恐ろしく、どうしても実行に移せない。


 唯一の喜びは、他の人魚族の女性とは違い、珊瑚からは何故か健康体の子どもばかりが生まれていたことだった。おかげで生まれてきた子は一度も捨てられなかった。

 おそらく珊瑚のみが人間という異種の血を引いているからだろう。

 人魚族の女性は御爺様との交尾しか許されない。御爺様との間に生まれた子どもが女児ならばその女児も御爺様と交尾をして子をなす。

 人魚族の間に奇形ばかりが生まれるのは、血が近すぎるからだ。


 人魚族の他の女性たちもそれは薄々気付いているはずなのに、そのようなことを口にするのはタブー視されていた。

 ――御爺様は人魚の肉を最も食べた、最も人魚に近しい絶対的な御神体だから。御爺様の意向に逆らおうなどとは誰も思わなかった。


 珊瑚は十三回目の出産で初めてまともでない男児を産んだ。


 その子どもは生まれてすぐに同族を襲い、食べようとした。

 彼は人間の姿を模倣できるものの異常な食欲を持っていた。

 そして、少しでも何か食せば常人とは思えぬ力を身に着け、同族も人も関係なく襲い続けた。


 初めて他とは違う子どもを産んだ珊瑚はどうしていいか分からずに戸惑ったが、周囲の女性陣は「よくあることよ」と落ち着いていた。彼女たちは既に何度も自分の子どもを捨ててきた者たちだった。


 その子どもは、ついに御爺様から殺害するようにと命じられた。

 命じられたのは珊瑚ではなく、人魚族の中でも若い、屈強な男たちだった。珊瑚の細腕ではあの子どもを押さえきれないと判断されたのだ。


 珊瑚にはどうしても、自分の子どもを見捨てることに抵抗があった。

 どんなに異常な子どもでも、自分が産んだ子どもだ。人魚族が当たり前のように行っている、不良な子を捨てる、殺すという行為を、珊瑚は許容できなかった。


(……これまで他の子が捨てられたり殺されたりするのは見て見ぬふりをしてきたくせに、自分の子どもとなるとこんな気持ちになるなんて、わたくしも都合がいい)


 そうは思っていても、体が勝手に動いていた。

 子どもを殺そうとする男たちを油断させて近付き、斧を振るって全員殺した。


 我が子のためなら何でもできる――自分の中にある母親という生き物の異常性を感じた。


 珊瑚は男たちに襲われてぐったりとしている子どもを抱きかかえ、屋敷の穴の底に閉じ込めた。


「きっと、また会いに来るからね」


 穴の底でも生きていてほしかった。

 けれどそれ以降、珊瑚がその穴の元に向かうことは一度もなかった。




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