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人魚隠しし灯篭流し  作者: 淡雪みさ


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自分の未来




 文の顔付きが変わったのを感じ取ったのか、帆次は見守るような微笑を浮かべた。


「そのためには、まず親父から名前を取り返さねぇとな」

「私が名前奪われてるのって本当なんだ……」

「ああ。お前はこの島に来た時、元々別の名前だった」

「全然思い出せない。お父さんは、私から名前を奪って母親の名前を付けたってことだよね」

「そうだ。今思えばあの時気付くべきだったな。親父が母さんの名前を与えるなんて、愛娘以外ありえねえって」


 帆次は苦笑しながら文の頭を撫でる。


「今はまだ考えろ。偉そうに色々言っちまったけど、名前を奪われてる限りこの島から出ることはできねえからな。親父から直接名前を奪い返すか、文ちゃんの本名を知っている誰かに聞くかしか方法はねえ。文ちゃんがその気になったら、俺も親父に掛け合ってみる」


 人魚族の紙に書いた名前を奪うという行為も、本物の神の風習を模倣したものだったのだろう。


「……分かった。よく考える」


 文は俯いていた顔を上げ、帆次の目を見て伝えた。

 帆次は満足げに笑う。


「虎一郎、戻ったらだめっていうのはどういうこと?」


 隣でじぃっと文の顔を凝視してきていた虎一郎に視線を移して問いかけると、虎一郎は外を指差して言った。


「文、死んだことになってる」

「……え?」

「文にとっては多分、好都合。このまま隠れてた方がいい」


 文は半信半疑で外に出て、屋敷の外に出て目を凝らした。

 遠方を拡大して視ることができる目も、今となっては海雲族の――人魚の力であると理解できるため、使用するのが怖くない。



 遠くにある人魚族の屋敷に灯りが付いている。

 一族の人々が焦ったように廊下を走り回っているのが小さく見えた。


 珊瑚は文を殺してしまったと勘違いしている。

 今頃、連続怪死事件は文が穴の底から出した虎一郎によるものだったということや、文を殺したという事実が屋敷中に広まっているのだろう。


「珊瑚さん、大丈夫かな……。どこまで正直に話したんだろう。虎一郎を生かしてたことが発覚して、今頃罰を受けてるんじゃ」


 人魚族は目玉を抉ったり腕を切り落としたりくらいなら平気でする。珊瑚が心配でならない。


「正直に話すという選択肢しかないよ」


 隣に立つ虎一郎の白い髪が夜風で揺れる。


「……どうして?」

「お爺様に話が行ったから」


 あの異形は珊瑚のことを支配している。正直に話せと命じられてしまえば珊瑚が逆らうことはできない。

 不安になる文を安心させるように、虎一郎が文の頭を撫でた。先程帆次がしていたのを見て、安心させたい時はこうするのだと学習したのだろう。


「でも、原因となった文を自分の手で殺したってことになったから、一応許されてる」

「じゃあ……本当に私、戻らない方がいいんだね」


 文が今戻れば、屋敷の人魚族たちに珊瑚は文のことまで隠そうとしたと思われるかもしれない。


 ――『文ちゃんがやってきてくれて、わたくしと同じ運命を背負ってくれて……少しだけほっとしてる。これからはずっと一緒よ』


 しかし、このまま放っておくわけにもいかない。

 ああ言った珊瑚の顔からは、精神的に限界が近付いていることが窺えたからだ。


「……私、事態が落ち着いてきたら、珊瑚さんにこっそり会いに行ってみる」

「どうして。あの女は僕を捨てたのに」

「虎一郎にとっては最低な母親でも、私にとっては友達なの。ごめんね」


 足の裏の土を払ってから屋敷に上がると、濡羽色の上質な着物の男――帆次と文の父親が廊下にすぅっと立っていた。相変わらず、見惚れる程の端正な顔立ちだ。

 文は何と言っていいか分からず、無言で軽く会釈をする。


「さすが我が子だ。こうも怪異を手懐けるとは」


 父は文の後ろに立つ虎一郎を見て薄く笑った。

 帆次のことは人間とそう変わらないように思ったが、この男には浮世離れした雰囲気がある。見た目は人間であるのに、この男を前にしているとどうも落ち着かない。人ではない――ひしひしとそう感じる。


「……あの」

「名を返してほしいのだろう」


 父は先程の会話を聞いていたのか、文が切り出す前に言い当てた。


「私からお前の名を返すことはない」


 そして、結論を先に出してくる。


「……どうしてでしょうか」

「お前はまだ迷っている。外に出たいという確固たる意志がない」


 その通りだった。

 反論できず黙っていると、父は満足げに命じてきた。


「ならば、この島に辿り着いたことを運命だと受け入れろ」

「…………」

「俺はお前を愛している。だからずっと捜していた。海雲族の繁栄のためにも、お前を危険な本土に戻すつもりはない。俺にいくら交渉しても無駄だ」


 帆次は文の選択肢を積極的に増やそうとしてくるが、父はそれを閉ざそうとしてくる。二人の方針の違いを感じた。


 目の前にいるのは、一度も会ったことがなかったというのに、文のことを愛していると言ってくれる神。

 けれど文はその愛に違和感を覚えた。

 人間である文の感覚からすれば、愛というのは血縁だけで決まるものではなく、培っていくものだからだ。


 それを教えてくれたのは誰だったか。亡くなった栃木の祖母の顔、優しかった頃の母の顔、そして父の顔が思い浮かぶ。


 不意に、目の前にいる血縁のある父が悲しそうに言った。

 諦めを孕んだような声だった。


「お前が自分の力で名を取り戻した時――その時選択するといい。自らの意思で、自身の未来を」


 次の瞬間、父の姿は消えた。


 思えば神に祈る時は心の中でお願いするものだ。神である父が心を読めても不思議ではない。

 文がさきほど栃木の両親のことを考えたということを、彼は察したのだろう。だからあんなにも悲しげだったのだ。


 文も何故か物悲しい気持ちになり、父がいなくなった後の廊下をいつまでも眺めていた。




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