真実
しん――と一瞬、沈黙が走る。
静寂を打ち破ったのは、虎一郎の落ち着いた声だった。
「この屋敷の人だよ」
衝撃でひゅっと息を吸い込む。
あの惨状を作り上げたのは、一緒に死体を運んでくれた虎一郎だったのだ。
「……どうしてそんな、残酷なこと……」
喰い荒らされ、惨い有り様になっていた遺体の山。
虎一郎があんなものを作ったとは信じられないままに後退る。文は、自分のことを母親だと言って無邪気に懐いてくれる虎一郎に対し、気付かぬうちに愛着を抱いてしまっていた。しかしその愛着がこの一瞬で崩れ去っていくのを感じる。
虎一郎が文の中で〝理解のできない生き物〟に変貌してしまった。
「残酷? この屋敷の他の人だって、お魚食べてるよ。食べることの何が残酷?」
文はその問いに口籠る。
「ねぇ文、文までそんなこと言わないでよ。そんな目しないでよ。このお屋敷の他の人もね、昔そういう顔して僕のこと化け物扱いしたんだ。僕は昔から何でも食べてしまうから、化け物なんだって。でも文はこんな僕でも受け入れてくれるでしょ? 文は僕の〝本物の母様〟なんだから」
七海が、異常な行動を起こす子供は化け物と呼ばれて捨てられるか殺されると言っていた。
虎一郎もその、異常な行動を起こす子供の一人だったのだろう。だから一族の一員として認められず、名前もなかったのだ。
「こいつはお前の母親じゃねぇよ。得られなかった愛情をこいつに求めんな」
何も言えずに立ち竦む文の横で、帆次が口を挟んできた。
途端、虎一郎の目がつり上がる。
「君は何? さっき、島を出ろって話してたよね? 僕から文を奪うつもり?」
「いつまでもここにいるべきじゃねぇんだよ、こいつは」
帆次がそう吐き捨てた次の瞬間、強い風が吹いた。
それは虎一郎が素早く移動したことによって発生した風だった。
横を見れば、虎一郎が帆次の喉元に噛み付いている。帆次の血が噴き出し、畳の上にぼとぼとと落ちる。文は「ひっ」と短い悲鳴を漏らした。
「やめて! お願い、やめて……っ!」
必死に虎一郎の体にしがみつき止めようとするが、虎一郎の力は一向に抜けず、帆次が床に倒れ込んだ。まだ息はあるがこの出血はすぐにどうにかしなければまずい。
「帆次! 帆次……!!」
混乱して泣きながら帆次の首を押さえる文。その頬を虎一郎の血塗れの手が覆い、文の顔を上を向かせる。
「君は一生僕のものだよ。この島から出ることは許さない。やっと見つけた母様なんだから。文を僕から奪おうとする奴は、僕が一人残らず喰い殺してあげる」
泣きじゃくる文が見えていないのかそれを見ても何も感じないのか、虎一郎は満面の笑みを浮かべて囁いてきた。
絶望して動けなくなった文の沈黙を打ち破ったのは、この場にはいなかったはずの第三者だった。
「――――文ちゃんから離れなさい!」
虎一郎に勢いよく体当たりし、体勢を崩させたのは珊瑚だ。
フーッフーッと荒い息を吐いて虎一郎を睨み付けている。
珊瑚を視界に捕らえた虎一郎の表情が変わった。まるで顔が剥がれ落ちのっぺらぼうにでもなったかのように、何も無い――〝無〟の表情になった。
「何が母様よ! 貴方はわたくしの子供でしょう……!?」
珊瑚の言葉に驚いて虎一郎をもう一度見る。
虎一郎は無表情のままギリギリと歯を食いしばっていた。
「……母親じゃない……お前なんか……」
地の底から這いずり出てきたかのような、恨みの念が籠もった低い声だ。
「僕を何十年も穴の底に閉じ込めて、一度も会いに来なかったお前が、僕の母親を名乗るな!!」
その反応で点と点が繋がる心地がした。
珊瑚は以前、自分の子供は〝一人を除いて〟健康体だったと言っていた。珊瑚が産んだ子供の中で、唯一この一族で言うところの〝化け物〟だったのが虎一郎だったのだろう。
迫害されて閉じ込められた虎一郎に初めて優しく手を差し伸べたのが文だったのだ。だから虎一郎は文を母親にすることにした。
本物の母親が自分をこんな状況にするはずがないと。珊瑚ではなく、文こそが本物の母親であると思い込むことで、自分の心を救おうとした。
「ああでもしないと貴方は殺されていたのよ!」
「うるさい! うるさい……!」
「病的な食欲があるうえに、同種を見境なく食べる貴方を野放しにしていたらいずれ人魚族が滅びる! だから殺せと言われたの! だから、貴方を生かすには貴方を閉じ込めるしかなかった……!」
珊瑚が悲鳴のような声で訴えかけ続けるうちに、虎一郎は呻きながら逃げ去っていった。
珊瑚とこれ以上顔を合わせていたくなかったのか、珊瑚のことが恐ろしかったのか――虎一郎の心境は分からないが、酷く辛そうな顔をしていたように見えた。
本当は実の母親である珊瑚から望む愛情が欲しかったのかもしれないと思うと、とても虎一郎に斧を向けて追いかける気にはなれなかった。
「う……」
下から声がしてそちらを向く。
幸いにも帆次の首の傷口の血が固まり始めている。意識はないようだが、人間を超越した治癒能力だ。帆次が海雲族でよかったと安堵した。
帆次が息をしていることを確認してからふと珊瑚を見上げると、珊瑚が冷たい目で文と帆次を見下ろしていた。
その手には、文が七海からもらった斧がある。
「退いて、文ちゃん。そいつにとどめを刺すわ」
珊瑚の姿が、目が、恐ろしい顔が、数日前斧を持って文を殺そうとしてきた七海の姿と重なる。
文は咄嗟に帆次を揺り動かした。自分よりも大きな体を運んで逃げるのは無理だ。帆次に起きて逃げてもらわねば殺されてしまう。




