増える犠牲者
「お爺様にも会ったのでしょう。何もされなかった?」
珊瑚が心配そうに覗き込んでくる。
「名前を聞かれて、紙に書かれたよ」
「やっぱり。名を書いた紙をその者の分身とする支配がお爺様の神としての力なの。あれは人魚族の中でもお爺様しか使えない力。だから皆、お爺様には逆らえない」
「もしかして、珊瑚の名前が書かれた紙もあのお爺様が持っているの?」
「人魚族には、子供の頃に名付けの儀式というのがあって、そこで名前を付けられてしまうの。与えられた名前を自ら名乗って、お爺様に紙に書かれてしまえば終わり。もう逃れることはできない。……文ちゃん、ごめんね。止められなくて」
事情を知った文は、珊瑚の震える手を握った。
以前、この屋敷にいて珊瑚は幸せなのだろうかと疑問に思ったことがある。
しかし珊瑚にとっては幸か不幸かなど考える余地はないのだ。
選択肢など最初から与えられていない。
文も珊瑚も、ここからは逃げられない。
「――でもわたくし、少し嬉しい」
「……え?」
「だってずっと一人ぼっちだったんだもの。このお屋敷で、人間の血が混ざった不純物はわたくしだけだから、生まれてからずうっと白い目で見られてきたの。そこに文ちゃんがやってきてくれて、わたくしと同じ運命を背負ってくれて……少しだけほっとしてる。これからはずっと一緒よ」
虚ろな瞳で微笑む珊瑚を見て、――わずかに寒気を感じた。
珊瑚は何も悪いことは言っていないのに、その目の奥に狂気が揺らいでいる気がして口籠る。
きっと暗闇だから、赤い目が光っていて恐ろしく感じるだけだ。文はそう思いながら珊瑚の手を握り続けた。
その夜も、人魚族の屋敷からは三名の死者が出た。
死体は前回、前々回と同様、派手に喰い荒らされていた。
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それから三日間、文は人魚族の屋敷で奴隷のように働かされた。炊事や洗濯、子育ての手伝い、雪隠や風呂場の掃除まで幅広く任され、朝から晩まで雑巾や籠を持って走り回った。
不思議と疲れは感じない。ろくに食べもせずに機械のようにずっと動き回っているため体力があると思われたのか、何故かさらに仕事を増やされてしまった。
ひぐらしが鳴く頃、夕食の準備に行こうと廊下を歩いていると、廊下の先で七海と複数の人魚族たちが浮かない顔で話し合っているのが見えた。
おそらく怪異にどう対処するかという主旨の議論をしているのだろう。
人魚族の屋敷では、三日経ってもまだ犠牲者が出ている。一人、三人、また三人という感じで、一日目ほど大量の死人が出ることはないが、必ず誰かが喰われているらしい。死体の片付けも案の定文がやることになっているので数だけは知っている。
一族は怪異の侵入経路の捜索を始めているらしいが、一向に手がかりは掴めないそうだ。
すれ違いざま、急に七海に襟首を掴まれて引き戻される。
振り向くと、彼女は吐き捨てるように短く命令してきた。
「文。アンタ、今日から夜中に離れで見張りをやりな」
「え……私がですか?」
「あたし達はね、怪異が離れ屋の近くから入ってきてるんじゃないかと疑っているんだよ。最初の殺人も、その次の殺人も離れ屋の中だったからね」
最も疑わしい離れ屋の見張りは怖がって誰もやりたがらないからお前がやれ、ということだろう。
どうせ拒否権などないので、文は俯いて「分かりました」と返事した。
「言っておくがうっかり眠るんじゃないよ。ずっと起きておくんだ。何か見つけたら殺せ。刃物くらいなら渡しておいてやる」
「怪異って、刃物での攻撃が効くものでしょうか……」
山の怪異と近くで対面した時、頭がぐわんぐわんと揺れるような感覚がして体も震え、とても反撃しようというような思考には至れなかった。それどころか、目が合っただけで精神に異常をきたした。あれに対抗できる気はしない。
「効くに決まってるだろ。怪異と言っても、あれは元は――」
七海は何か言いかけて、はっとしたように口を閉ざす。
「……よそ者に聞かせられるのはここまでだ。もし今夜怪異を殺して侵入経路を特定したら、飯を一食増やしてやる。精々励むんだね」
文は去っていく七海の背中を見届けてから、はぁと溜め息を吐いた。
今夜は帆次と約束をしているのにどうしたものか。いつもの庭で待ち合わせるつもりだったが行けそうにない。
帆次は離れ屋にいる文を見つけてくれるだろうか。いや、それどころか帆次が怪しい侵入者として捕まってしまったらどうしよう。
この島全体で差別の対象となっている海雲族の次期当主がこんな状況で屋敷に入ってきたらどんな理由であれきっと殺されてしまう。
何か帆次との連絡手段があればいいのだがそれもない。
(帆次のあの足なら疑われても逃げ切れる……と思いたいけど)
海雲族は人を超越した身体能力を持っている。あの跳躍力があれば捕まりはしないと自分に言い聞かせて不安を押し殺し、文は炊事場へ向かった。
「文ちゃん、文ちゃん」
炊事場にいる使用人の手伝いをしていると、窓の外からひょこっと珊瑚が顔を出して嬉しそうに話しかけてくる。
その顔からは既に包帯が外れ、目も元通りになっていた。人魚族の回復力には驚くものがある。
「外にアオハダの実が成っていたの。熟してるから生で食べられるわ。はい、あーん」
食事の準備で両手が塞がっている文の口に、珊瑚がわざわざ実を入れてくる。甘酸っぱい味が口の中に広がった。
「ありがとう。おいしいね」
「文ちゃん、一食しか食べてないからお腹空いてるんじゃないかと思って……。叔母様には内緒ね」
あれから三日、珊瑚はいつもこうして文に何か持ってきてくれるようになった。こき使われている文のことを可哀想に思っているのかもしれない。
「本当、大変なことになっちゃったわよね……。まさか毎晩死人が出るなんて」
珊瑚が浮かない顔をして俯く。
「祭りまでに怪異が捕まって、丸く収まるといいのだけれど……」
そういえば、人魚族の主催する祭りが近いと言っていた。
人魚族の数が減ってしまえばその予定も崩れてしまうだろう。
「結局、そのお祭りって何をするの? 準備で何か手伝えることがあればやるよ。……って、今は七海さんから預かった仕事で手一杯なんだけどね」
申し出てから、そんな余裕はないかと自覚し苦笑する。
珊瑚は丁寧に説明してくれた。
「灯篭流しって分かる? 水に関することで亡くなった死者の魂を弔うために、火を灯した灯篭を海に流すものなんだけど……」
「うん、やったことはないけど聞いたことはあるよ」
「祭りの日は、霧海村から灯篭が流れてくるのよ。その流れてきた灯篭を回収して、そこに結ばれている文を確認してから神殿に祀るの。あとは、蔵にある神輿にお爺様を乗せて担いで、祭礼行列が練り歩いたり……。出店も出るし、人魚族による舞いもあるから毎年盛り上がるわ。まぁ、灯篭に関しては、近年はほとんど流れ着かなくなっちゃって、零個の時もあるんだけど」
霧海村は他の過疎地域と同じく人がいなくなっており、今ではほぼ廃村だと聞いている。
加えて、世代交代により村の伝統を守る者もいなくなっているのだろう。
少しだけ銀鱗島の祭りに興味が出た文は、食事の盛り付けをしながら返した。
「祭りまでには怪異の件が片付くといいね。私も頑張るよ」
珊瑚が不可解そうに眉を寄せる。
「……文ちゃんが頑張る必要なんてないのよ? 怪異については家の人達が対処してくれているから。最近は離れに見張りもいて」
「実は……私も今夜その見張りを頼まれてるんだよね」
そう打ち明けると、珊瑚の表情が分かりやすく曇る。




