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影の声




 影が声を発した。

 頭に直接響くような、異様な声である。

 何を言っているのか理解できない。

 この声を聞き続けたら気分が悪くなりそうだった。


「お爺様はアンタの名を聞いているんだ。早く答えな」


 何故か影の言葉を聞き取れるらしい中年女性に急かされる。


「……ふみ……文です」


 文は割れそうな頭を押さえながら答えた。

 すると、御簾の向こうから御簾の下の隙間を通って、一枚の紙が滑ってきた。


 その紙には、太い筆で〝ふみ〟と書いてある。


 中年女性がそれを拾い、おかしそうに顔を歪めた。


「この者を生かし、駒にするということですね。……っは、お爺様は相変わらず、若い女性に弱いこと」


 紙を丁寧に折り畳んで着物の懐に忍ばせた中年女性は、面倒そうに文を縛っていた縄を解く。

 文が捕まっている間にまた別の事件が起きたことで疑いが晴れたのかもしれない。


「立ちな」

「…………」

「立ちなと言ってるんだよ。グズグズするな。あたしはノロマが嫌いなんだ」


 状況を飲み込めず呆然とする文に、中年女性は苛々した様子で命じた。

 文は恐怖で未だ震える足を動かして何とか立ち上がり、和室を出ていく中年女性に付いていく。


「いいかい。この紙がある限りアンタはあたしらの言いなりだ。名を書いたこの紙を燃やしたら、アンタはすぐに死ぬからね」

「は……?」

「ふ、信じられないという顔だね。よそ者のアンタにも分かりやすいよう説明してやる。あの御簾の向こうにいるのは〝ご神体〟だ。島の連中は一緒くたにして人魚族全体を崇めているがね、あたしたちは正確に言えば神じゃない。神様は、あの御簾の向こうにいるあたしたちのお爺様なのさ。あたしたちは神様の血縁というだけ。本物の神様であるあの人には何でもできる。それこそ、紙に名を書くだけで相手を殺すことだってねぇ」


 くっくっと意地の悪い笑みを浮かべる中年女性。

 嘘を吐いているようには見えない。しかし容易には信じ難い話だ。じろじろと疑いの目を向けてしまう。


「アンタの生死は今、あたしが握っている。死にたくなけりゃあたしに従いな。まずは、離れの死体をアンタ一人で片付けることだ」

「珊瑚さんはどうなるんですか?」

「ったく、珊瑚珊瑚うるさいねぇ。あたしらが身内をどうしようがアンタに関係ないだろう」

「関係なくないです。珊瑚さんを解放しないなら私は貴女に従いません」

「あァ? アンタ、理解力がないねえ。アンタに拒否権なんてないんだよ! アンタの生死はあたしが握ってんだから!」

「珊瑚さんが助かるなら、死んだって別にいいです! 私の命なんて、元々死にそうだったのを、珊瑚さんに助けてもらって生き長らえただけだもの」


 声を張って言い返すと、中年女性はハッとしたような顔をした。


「は、なるほどねぇ。この島の周辺は船一つ通らないのに、浜に流れ着くなんて事故にしては変だと思ってたんだよ。――アンタ、自殺しようとして水に溺れたんだね?」


 文は小さく頷いた。途端、中年女性が腹を抱えて笑う。


「とんだ死に損ないというわけだ。ハハハハハハ!」


 何がおかしいのだろうと不快な気持ちになった。

 この女性は見かけは美しいが、常に表情が歪んでいて醜い。


「ふん、まぁいい。アンタの滑稽さに免じて珊瑚のことは一発殴るくらいで許してあげるよ」


 彼女は人魚族は絆が強いだのと言っていたが――殴るなんて、家族のすることじゃない。

 こんな屋敷に生まれて珊瑚は幸せなのだろうかと、憤りを覚えた。




 しばらく長い廊下を歩き、一度下駄を履いて外に出た後、草木が生い茂る中ぽつんと佇んでいる離れ座敷が見えてきた。

 中年女性は黒い着物の袖を捲り、離れ屋の戸を開ける。


「これ以上はあたしは行かないよ。アンタだけで死体を処理してきな。病が移ったら嫌だからね」


 文が連れてこられた理由が分かった。惨い死体を片付けるなんて、誰もやりたがらなかったのだろう。特にここは病人が隔離されていた場所だ。抵抗ある者が多かったに違いない。


「……あの、鱗生病はそんなに簡単に感染しないってお医者さんが言ってましたよ」

「遺体から感染するかもしれないだろう。原因が分かっていない以上離れておくに越したことはないね。それに、医者の言うことなんて信用できない。あたしたちが信じてるのはお爺様だけだよ。医者は空気感染しないだのと言っているが、そんなのおかしいじゃないか。なら何故あたしたちの屋敷では慢性的に鱗生病が広がっているんだい。その説明も付けられないくせに、何が医者だ」


 中年女性は誤解を解こうとする文の背中を押して無理やり中に入れた。

 そこで文はふと思い付き、振り返る。


「あの、ここにあるご遺体、どこに捨ててもいいんですか?」

「屋敷の敷地外ならどこでもいい。山にでも埋めてきな。終わったら屋敷に戻ってくるんだよ。夜までに戻ってこなかったら紙を使って殺すからね」


 ぴしゃりと戸を閉められてしまった。

 人魚族には遺骸や遺骨を葬り、その霊を祀るといった考えがないらしい。思い返せば、この島には墓場が見当たらなかった。死体が出たらその辺に捨て置いているのだろう。


(ご遺体をあのお医者さんのところに持っていけば、研究の助けになるかも)


 廊下を進み、びっしりと謎の札が貼られた襖を開ける。


 そこには凄惨な光景が広がっていた。


 珊瑚から老婆が死んだ時の状態のことを聞いていたので覚悟はしていたが、想定以上だ。

 畳や布団が血で染まっている。一つの部屋にいくつものむくろが重なっており、顔は綺麗であるのに体はぐちゃぐちゃに荒らされていた。



 吐きそうになるのを堪えながら一旦小走りで外へ出た。

 ばくばくとうるさく鳴る心臓と、震える指先。あんな恐ろしいものを運ばなければならないのかと思うと絶望する。


 文はふーっと自分を落ち着かせるために深呼吸した。


(大丈夫。あの男に抱かれた、あの夜よりは怖くない)


 今はあんな姿だが、元々は生きていた、文と同じ生物だ。それに怯えるなんて失礼だろう。

 それに、もう動かない死体よりも、有無を言わさず迫ってくる茂の手の方が怖かった。あの夜のことを思えば、あの経験以外のことは何だってできる気がする。



 文は覚悟を決めて外へ走り出した。

 この猛暑の中、死体を外に出して置いておいたら状態が悪化する気がする。先に医者に伝えて、医者の指示に従いながら運び出そうと思ったのだ。



 珊瑚と行った病院まで走っていた文は、ふと違和感を覚える。

 ずっと走り続けているのに体力の減りを感じない。いつまでも走っていられるような感覚だ。学校の運動の授業では成績が悪かったのに、どうしてしまったのだろう。



 自分の体の異変を不思議に思っている内にこぢんまりとした病院が見えてきた。

 相変わらず人がいない。奥に向かって「すみません」と声をかけると、ガタガタと音がした後、ひょろりと背の高い医者が出てきた。


「おや、文さんではないですかぁ」

「人魚族は診察に非協力的だとおっしゃっていましたよね。人魚族の体があれば、何か助けになりますか?」

「いきなりですねぇ。そりゃあ、好き勝手していい体が手に入れば都合がいいとは思いますが。今のところ私が直接診ることができたのは珊瑚様と、珊瑚様が説得した人魚族の数名だけですからねぇ。家の人にキツくお叱りを受けたのか、珊瑚様以外はそのうち来なくなってしまいましたしねぇ。ふはは、私はとーっても人魚族に嫌われているのですよぉ」


 医者は自虐なのか本当に面白いと思っているのか分からない笑い方をして言う。


「好きに捨てていいと言われているご遺体が、ざっと見て三十人分あります。よかったら、こちらに運んでもいいですか?」


 途端に眼鏡の奥の医者の目がぎらりと光った。




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