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人魚隠しし灯篭流し  作者: 淡雪みさ


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12/41



 :


 その日の晩、部屋で眠らずに待っていると、約束通り帆次が迎えに来た。軽々と塀の上に乗り月夜を背にして見下ろしてくるその姿はさながら忍者のようだった。


 文は帆次の背中に乗り、赤い橋の向こうへ跳んでいく。

 海雲族の屋敷には数分で辿り着き、昨夜のように勝手に開く門から中へ入った。不思議な雰囲気を持つ帆次の父は今日はいないようで、照明器具の中の炎だけがゆらゆらと揺れている。


「ねぇ帆次、これ、今日お医者さんに借りてきたから読んでほしい」


 昼間に医者にもらった鱗生病の歴史に関して記してある本を渡す。これはあの気味の悪い医者ではなく彼の父、つまりあの病院の先代が遺したものだそうだ。

 帆次は少し意外そうな顔をしながらその本を受け取る。


「何だよ、急にやる気だな。昨日は死ぬまでの暇潰しって感じだったくせに」

「今日分かったことなんだけど、友人がキャリアらしくて……」

「友人? 人魚族のことか?」

「そう。私を助けてくれた子なの」


 帆次は一瞬、何か言いたげな顔をしたが、すぐに目を逸らして「そうかよ」と相槌を打った。


「その本によると、鱗生病は島に大昔からあったけど患者数はそこまで多くなかったみたい。感染が広がったのは、霧海村から村人が神様を運んできた時。そこで爆発的に広がって、長い年月をかけてゆっくりと減ってきてた。なのに、ここ最近発症する人がまた増えているみたいで」

「増えた? 初耳だな。まあ、島唯一の医者ってなると病人は皆あそこに行くから、そりゃ俺らより最新の状況に詳しくて当たり前か」


 帆次が胡座をかきながらぱらぱらと頁を捲る。


「……ちゃんと読んでる?」

「活字苦手なんだよ」

「そんな……。この件は、私じゃなくて帆次が言い出した話なんだよ?」


 むっとして言うと、帆次は少し面白そうに口角を上げ、文の頬を抓った。


「何だ、俺に噛み付いてくるくらいには元気出てきたじゃねぇか。ずーっと死んだ目して、生きる気力も何もないですみたいなツラしてたから、こいつ自殺志願者なんじゃねぇかってちょっと心配してたんだ」

「…………」


 まさか言い当てられるとは思わず、じっと帆次を見返して無言になってしまった。


 ようやく気付いた。

 帆次は文のことを心配し、鱗生病の原因を一緒に解明するという〝約束〟をさせることで、何とかこの世に留めようとしたのだ。約束の内容自体にそこまで大きな意味はなく、文を自ら死なせないことが目的だったということである。


 彼はケラケラ笑いながら文から手を離すと、


「ちょっと外出ようぜ。ここは景色が綺麗なんだ」


 と言って立ち上がった。


 文も慌てて立ち上がり帆次に付いていく。急ぎすぎたせいで着物の裾を踏んでしまい、転けかけたところを帆次に手で支えられた。


「おいおい、危なかっしいな。気を付けろよ」


 背中に回った手の力強さを感じる。文は帆次のことを頼もしく思いながら体勢を戻し、彼の後ろに付いて屋敷を出た。


「……ねぇ、帆次」

「んあ?」

「私、帆次とどこかで会ったことがある? 私がこの島に来るよりも、もっとずっと前に」


 帆次とは初めて会ったような気がしない。

 しかしどこで会ったのか思い出せない。


 それにこんな美貌を持つ少年があんな田舎にいたらあっという間に有名人になっているだろう。覚えがないということは栃木にはいなかったということだ。


 では、この懐かしい感覚は一体――。


「誰かと間違えてんじゃねぇの。文ちゃんとはあの橋の上で初めて会ったと思うけどな」

「……だよね」


 帆次自身に否定され、やはり岩にぶつかって少し頭が混乱しているのかもしれないと反省した。



 海雲族の屋敷は民家や田んぼが沢山ある場所とは違い人の気配が全くなく、虫と蛙の鳴き声だけが響いている。

 ススキだらけの道を通り抜け、屋敷がある位置よりも少し高い坂の上に着くと、帆次は空を指差した。

 見上げれば、一面に星空が広がっている。無数の塵のような光が真っ黒な空を彩り、美しい景色を描いていた。


「……凄い。こんなに綺麗なんだ……星って」


 文は口元を押さえて感嘆の声をあげる。

 栃木の中でも田舎の方に住んでいたが、これ程美しい星空は見たことがない。


「だろ? 文ちゃんに見せてやりたかったんだよな」

「……帆次はどうしてこんなに私に優しくしてくれるの?」


 珊瑚が文を助けた理由は、文が霧海村の組み紐を身に着けていたから運命だと思ったなどという、夢見がちな女の子のような内容だった。

 では帆次は何のために文を助けたのだろうとふと気になった。


「お前だって助けてくれただろ。俺のこと」

「……橋の上でいじめられてた時のこと? あれだけで? 随分義理堅いんだね」

「お前は分からねぇかもしれねーけど、この島で人に手を差し伸べられたことなんて一度もなかったんだよ。俺は」


 帆次の横顔が少し寂しそうな色を浮かべているのを見て、文は少しだけ帆次の傍に近寄った。


「この島じゃ海雲族ってだけで虐げられる。幼い頃からずっとそうだった。父上にも耐えろと言われた。海雲族はもう、俺と父上だけだ。父上とたった二人、この島でずっと耐えてきた」

「二人……? 他に家族はいないの?」


 帆次を見上げて問いかける。

 海雲族の屋敷は立派だ。たった二人で住むには広すぎるように思う。


「元々は大勢いた。けど、その多くは大昔に島民に虐殺された」


 帆次の答えを聞いて文は閉口した。


「俺たちはこうして島の人間の住む平地とは離れた場所で波風立てずに生活するしかねえ。いくら常人とは違う身体能力を持っていても、数では人間に勝てない」

「……それってすごく、酷い話だね」

「酷い?」

「虐殺をしていい理由なんてないよ。どういう経緯だったのかは分からないけど、よってたかって殺して、その生き残りは虐めて。共存の道だってあったかもしれないのに」


 帆次は文の言い分を黙って聞いていた。

 そして、小さな声で呟く。


「ありがとな。俺たちの代わりに怒ってくれて」


 いつか海雲族への誤解が解けて、帆次が人と仲良く肩を並べられる時が来ればいいのにと思う。

 鱗生病の原因解明のために尽くすことは、助けてくれた珊瑚だけでなく、帆次のためにもなるかもしれない。


(生きられるうちはちゃんと生きて、私にできることをやろう)


 今もまだ、油断すると茂との情事や母親の歪んだ顔が頭に浮かぶ。夢にも見る。その度に文は恐ろしくなり死にたくなる。

 けれど――この島の神様は文のことを生かしてくれた。この余命に意味があることを信じようと思いながら、再び空を見上げる。


 星の輝きに見惚れていると、今度は隣の帆次がじっと文の方を見ていることに気付いた。


「……お前、目の色、どうした?」


 帆次が深刻な表情をしている。


 文は何か目が変になってしまったのかと思って自分の目を擦った。しかし、特に痛みなどはない。


「どうかしたの?」

「……いや。一瞬、色が変わったように見えて」

「何それ、気のせいだよ。星の明るさが目に映ったのかも」


 あははと笑って返す。

 この島には目の色が人と異なる一族がいて、それは例えば珊瑚や帆次だが、文の目はずっと変わらない黒色だ。


 ふと、この場所よりもずっと向こう、土地の低い位置にある民家の間を、何かが歩いているのが見えた。

 目を凝らすと、人のような形をした黒い塊が何十体も列をなしてぞろぞろと歩いている。その人影はくねくねと踊るような奇妙な動きをしており、近くにいた犬がその行列に向かって何度も激しく吠えていた。

 文は昨夜のことを思い出し、本能的に〝あれを見てはいけない〟と感じた。咄嗟に顔を横に向ける。




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