向「 」葵
私は、ひまわり。というらしいのですが、なんとも腑に落ちない名前だと日々思っています。
なんでこんなにも他人行儀なのかと言いますと、私は「日」というものを知らんのです。もちろん、字はよく知っています。日に向かう葵と書いて、ひまわり。
そう、お日様に向かって一生にらめっこをしているような太陽大好きな同族なわけですが、本当にそんなことをして毒にならないのでしょうか。
いや以前、私を育ててくれた人間が話していたのを小耳にはさみまして。なんでも、私たちには太陽の光は毒になるらしいのです。陽光に焼かれ、黒ずみ、いずれは価値を失ってしまう。
向日葵であるにも関わらず、日を知らず、日に弱い。全く、名ばかりの向日葵である私ではありますが、そう悔やんでもいないのです。
こんな迷子な自分ではありますが、結構他人様からは人気が高いのです。多くの場所を転々としましたが、行き交う人々のほとんどが、私の前で一度はその足を止める。
「日」には当たらずとも、スポットライトには当たることが出来る。長い長い一生としては悪くないものです。そうして、あちこちを転々とし、人々に見られ続けていると、多くの人柄をみることができます。
4、5分眺めて納得したような顔をする方。これがほとんどです。あと多いのは何時間もジッとこちらを見つめる方。別に構わないのですが、そんなにじっくり見ても、変化はありません。なにを分かったように気取っているのかはわかりませんが、こちらはただの向日葵ですので。
あとは、よく着飾った方々がご友人と思われる方たちと並んで、等々と私の前で、私の事を語るのです。是非に加えて、色々と寛大な評価やそれとは反対に批判的なものも、しばしば──
怒ってはいないのです。それに対しては怒ってはいないのですが、一言言いたい。そういった方々は私たちのことは見ていないのです。
いや、実際のところ誰も私たちのことを見てはいないのでしょうが──そういった方々たちは、必ずと言っていいほど、私たちの親の名を口にする。
そう、批評しているのは、親であり私たちではないのです。と、愚痴が混じえましたが、そういった人などなどが私たちを見ているのです。
珍しい方だと、トマト缶をぶちまけて、手に接着剤を貼り付けて、なにやら文句をいっている人などがいました。あれには少し困惑しましたが、まぁ、長いことスポットライトを浴びて入れば、石を投げつけられることもあるものです。そんなわけで私は退屈せずにいられるのです。
そうそう。先ほど「私たち」と言いましたが、これから久しぶりに兄弟に会うのです。六人兄弟、いえ元々は七人いたのですが、一人はすでに他界しておりまして。
まぁそんな暗い話がしたいのではなくてですね。久しぶりの兄弟全員集合ということで、近況報告を精査しようとしていたわけです。
皆さん、初めまして。わたくし「ゴッホの向日葵」と申します。