推しは俺なんて見ていないのか
最後の印象で、今後ずっとその人を思い出すことになる。
それなら、推しの引退配信なんて見ないほうがいい。
今まで築き上げてきたものが、全て崩れ去ってしまう可能性があるから。
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推しの泣いている声なんて聞きたくなかった。
今すぐにでも配信を閉じたくなるような気持ちになる。
『色々考えたんだけど……』
長い沈黙の末に、やっと放たれた言葉。
あみちゃんが頑張って前に進もうとしているのなら、俺もその覚悟に応える必要がある。
彼女がどんな選択をしようと、俺はそれを支持するから。
『あみ、配信活動はもう引退しようかと思う』
ああ、やっぱり。
薄々感づいていたさ。
この配信枠が立ってから約30分、最初は気丈に振る舞っていた彼女の口ぶりがだんだん重たくなってきたことから、こういった結末は容易に想像できた。
これで終わりなのかと思うと、今までのあみちゃんとの思い出が頭の中に流れてくる。
俺は高校生の頃から32歳になる2年前まで、ずっと作曲活動をしていた。
インターネットに投稿したりもしていたが、ほとんどが泣かず飛ばずの再生回数だった。
そんな中、突然1通のDMが届いたんだ。
『初めまして! スイセンさんの作る曲、いつも聴かせてもらっていて、とても優しい音楽だなと感じていました! そこで、今度私の配信でスイセンさんの曲をみんなにも聴いてもらいたくて、弾き語りで配信させていただけないでしょうか!!』
それが俺とあみちゃんの出会いだった。
最初はいたずらかと疑ったが、構わない旨を伝えるとあみちゃんはとても喜んでくれたのを覚えている。
その後、俺はその配信を見に行き、あみちゃんの歌を聞いた。
作曲をする意味を見い出せず、苦しい思いをするだけの人生。
しかし俺が作った曲を、誰かが歌ってくれているというだけで、今までの努力が全て報われた気がした。
その後、俺は作曲活動を辞めた。
もうこれ以上の幸せはないと思ったからだ。
それに、あみちゃんはカバーだけでなく、自分で作曲もしていたのだが、その曲は俺が作りたかった世界観そのものだった。
俺の曲を聞いたあみちゃんが、また新しい曲を作っていく。
あみちゃんという大きな流れの一つになれたのなら、今までがんばってきた理由としては充分だった。
そこから2年間、ずっとあみちゃんのことを陰ながら応援してきた。
なんとなく、作曲用のアカウントとは別に、ラッパという名前であみちゃんと接していた。
言葉にはできないが、妙な恥ずかしさがあったからだ。
ずっと大好きだったあみちゃんが配信を辞めてしまうのはとても辛い。
しかし、事情が事情だ。
『ずっと言ってきたことだから、みんなも分かってると思うけど、理由は、やっぱりあのネットストーカーの人が怖くて』
彼女は約半年前からずっとおかしな人物に絡まれていた。
彼女の平均的な配信視聴者数は50人前後であり、コメントを頻繁にするのは見知った5名程度である。
俺は普段コメントをする側ではない。いつも配信終わりに無言でスーパーチャットを投げているだけた。
それでも、毎回ラッパという名前は読み上げてくれているから、あみちゃんも俺のことは認知しているだろう。
ただ、よくコメントをする内の1人が最近になり、妙に親しげなコメントを投げていた。
『あみちゃんって今どの辺に住んでるんだっけ』
『なんか最近太った? 声がだんだんデブになってきてない?笑』
『今度オフ会イベントとかしようよー』
あみちゃんの配信はそんなに視聴者数も多くないといったこともあり、配信者とリスナーの距離感が近い部分もある。
しかし、そいつは以前こんなコメントをした。
『あみちゃんって絶対モテなさそ~』
推しに対してするようなものではない。ましてや、親しい友人関係でも気を悪くするような発言だろう。
現実世界でろくに友人もいないやつなんだろうな。
他の視聴者のコメントが、止まった。
『ん~、まあどうだろうな~』
あみちゃんが困っているのは伝わってきた。
しかし、俺にはどうすればいいか分からなかった。
『顔出し配信とかもしてよ笑』
『……顔を出すのはちょっと恥ずかしいかな』
誰かなにかコメントして話しを変えるべきじゃないのか?
なぜ誰も反応しないんだ?
『意外と顔良くないのかな??』
『どうだろー……』
いつもは頻繁にコメントしているやつらは、一体何をしているんだ。
『まあ売れ残ったら俺が付き合ってあげてもいいけど笑』
配信者と視聴者という壁の隔たりを理解していなかったのだろう。
さすがにあみちゃんも一言苦言を呈す必要があると感じたのか、少しだけ不機嫌そうな声でこう呟いた。
『……そんなこと言う人とは、付き合えないけどね~』
いじりに対して、ちょっといじり返したくらい。大人な対応だろう。
しかし、その一言が彼を怒らせる羽目になったのか。
そこから彼は一切コメントをしなくなった。
気まずくなった空気を変えようとしてか、他の視聴者がまた違う話題でコメントを飛ばし始めた。
俺は何と言っていいか分からず、また配信終わり際にスーパーチャットを無言で送るだけだった。
そこから、彼の様子は一変した。
あみちゃんのツイートに卑猥な言葉を投げかけたり、配信で意味のわからないコメントを連投したり、終いにはあみちゃんが投稿した写真から住んでる地域を特定し、それを用いて彼女を脅すようなコメントをしていた。
コメントをブロックしても、別のアカウントを作り配信を荒らしていた。
彼女はそれにひどく傷ついてしまい、一時期は配信活動も辞めてしまった。
その後、彼女は警察に相談し、弁護士にもこの件を話したとのこと。
詳細は語ってくれなかったが、例の荒らしをぱたりと見なくなったことから、何らかの和解が済んだのだろう。
しかし彼女は、その荒らしがまだ配信を見ているんじゃないかと思ってしまうことが、苦痛だと語った。
『それで、今まで見てくれていたみんなには申し訳ないんだけど、今日のこの配信を最後に、活動は終わります』
はっきり言えば、俺はその荒らしを許せない。
あみちゃんは何も悪くないのに、なぜこんなに傷ついているのか。
俺は何も悪くないのに、なぜ俺からあみちゃんが取り上げられてしまうのか。
全く持って意味が分からなかった。
しかし、本当に意味がわからなかったのはここからだった。
『でも、配信とか歌はやっぱり好きだから、また名義を変えてどこかで活動してるから。みんなも私を見つけて欲しい』
『一部、ほんとうにお世話になった人には、転生先を教えてはいるんだけど、もし知りたい人がいたら、今日この配信が終わった後に、DMを飛ばして欲しい』
は……?
一部、ほんとうにお世話になった人?
誰のことだ?
ツイッターを確認するが、俺には連絡が来ていなかった。
なんで俺はその一部に入っていないんだ?
ずっと今まで、毎回配信の枠を見れるたびに、500円程度の少額だが、身銭を切ってスーパーチャットなどをしていた。
コメントはしたことないし、そのスパチャも無言で投げていたが、彼女は毎回俺の名前を読み上げてくれていた。
元々、視聴者数も少ない配信だ。確実に俺のことは認知していたはず。
SNSも相互フォローで、配信用のアカウントとSNSのアカウントの名前とアイコンも同じにしてある。
俺だと分からないはずがない。
なぜ俺には連絡をくれなかったんだ?
「あみちゃんにとって、俺はあのネットストーカーと変わらなかったのか……?」
わからない。もう、何もわからない。
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その後、俺はあみちゃんの言葉の真意を考え、考え、吐いた。
翌日の会社も、体調不良と言って、有給を使い欠勤した。
ただひたすらに胸が痛かった。
体調が落ち着いて、会社に出勤するようになってからも、毎日彼女のことを考えた。
彼女のことを考えない日はなかった。
俺はそんな毎日を変えたかった。
趣味で気を紛らわそうと、最近の曲を片っ端から聞いた。
しかし、恋愛モノの曲を聞いてしまったとき、あみちゃんのことを思い出してしまった。
次に、彼女の写真や、ダウンロードしていた動画などをすべて消した。
こうすれば俺の人生から彼女が消えていくと思った。
しかし、何も変わらなかった。
他の推しを作ろうともしてみた。
似たような配信スタイルで、雑談や歌枠を取っている若い女性の配信者を見漁った。
それでも、彼女の代わりなんて居なかった。
俺の人生からあみちゃんがいなくなることはもうないのだろうか。
あんなに好きだったのに、今はもう、早く俺の中からいなくなって欲しいと思うばかりだ。
俺以外のリスナーは今何をしているのだろうか。
彼女のSNSは既に消えていたが、アカウントIDは覚えていたため、そのIDに対してのリプライで検索し、他のリスナーのSNSを探した。
その中でよく配信でもコメントをしていた名前のアカウントがあったため、その人の投稿に目を通した。
すると、こんな文言を見つけた。
『心配してたけど、元気そうでよかった! あのとき勇気を出して聞いてみてよかった~』
その投稿の日時は彼女が引退を発表した翌日のものだった。
このアカウントの持ち主は、最初から教えてもらっていたわけではなかったが、その後彼女に転生先を聞いたのか?
俺も素直に聞けばよかったのか?
でもそれだけは嫌だ。
彼女から俺を求めてほしかった。
数あるリスナーの1つとして捨て置かれるような存在ではなく、彼女を支える柱の1つでありたかった。
だって、そんなの、あのネットストーカーと何が違うんだ?
俺の人生の大部分を彼女が占めていたのに、彼女にとって俺はどうでもいい存在だったのか?
そうなんだろうな。
別にそれに対して怒ったりはしないさ。俺は、あのネットストーカーとは違う。
逆上して、彼女を傷つけるようなことなんてしない。
でも、やっぱり、寂しい気持ちを止めることはできなかった。
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会社はクビになった。
無断欠勤を繰り返したことが理由だ。
あみちゃんに見捨てられたんだと受け入れたときから、何もする気になれなくなった。
今までの人生、彼女なんてものもできなかったし、友達もいなかった。
だから、人から見捨てられるということもなかった。そもそもの縁がないのだから。
好きな人から、いらないと断じられるのは、こんなにも辛いことなのか。
こんなことならいつも通り、最初から誰とも関わらなければよかった。
でも、俺と彼女はもう出会ってしまったんだ。
あみちゃんを諦めることなんてできない。
付き合いたい訳じゃない。
ただ、視聴者という立ち位置でいいから、彼女に必要とされたかったんだ。
今まではあみちゃんを自分の生活から無くしていこうとしていたが、無理なことは分かった
なら、俺がやることは1つだ。
無職という有り余った時間を使い、転生先の彼女のアカウントを探すことにした。
方法は、転生先を聞いて教えてもらったというアカウントのフォロー欄から虱潰しに1つずつ見ていくというものだ。
その人のフォロー数は1000強くらいだった。
時間はかかるが、不可能というものではない。むしろ簡単なくらいだ。
それを今までなぜやらなかったのか。それは俺があのネットストーカーと一緒のようなものに落ちてしまう気がしたからだ。
だが、もうなりふりかまってはいられない。
1つずつアカウントを開き、ツイートの内容などを見ていった。
自信があった。声などは乗っていなくても、ツイートの文などであみちゃんを探し出せる自信が。
すると、あるアカウントが、有名な曲のRemixを投稿していた。それにはこういった文章が付いていた。
『めっちゃ昔に作ったやつの供養』
それを再生すると、聞き覚えのあるものだった。
自作の曲もいくつかあったので、全て聴いた。
これはあみちゃんが創った曲だ。
俺にはわかる。
歌詞、曲調、MVの雰囲気、全てに懐かしさを感じた。
このアカウントがあみちゃんだ。
俺はついに、彼女の転生先のアカウントを見つけ出した。
でもフォローしようとしたとき、少し怖かった。
自分がやっていることは、あのネットストーカーと変わらない自覚があったからだ。
じゃあ、俺はなぜあみちゃんを探していたんだ。
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悩んだ末に、俺は作曲活動を再開することにした。
失業手当も貰えなくなってしまい、貯金が目減りしていく生活に不安を覚えたこともあるが、一番の理由はあみちゃんだ。
俺は作曲活動用のアカウントの名前をラッパスイセンに変更した。
元々の『スイセン』という名前にコメント用アカウント名義の『ラッパ』を足したものだ。
そしたら、あみちゃんの方から俺に声をかけてくれるんじゃないだろうか。
俺が、あのとき君が好きだと言ってくれた、スイセンだと気付いてくれるはずだ。
あみちゃんに必要とされる人間になりたくて。
君の方から俺に声をかけてほしくて。