第8話 海の男は表裏が無い
ブクマ、ありがとうございます。
大陸の北西に広がる海に、指先を曲げた親指のような形で突き出している半島がノート王国の領土だ。
海に囲まれている王国は漁業が盛んで、それに就いている者も多い。
その漁師たちの大親分が漁師ギルドのギルド長バッカイ、今目の前にいる大男だ。
時は数日遡り、朝の着替えタイム。
朝から念入りに体をきれいにされている時、黙々と手を動かしているアナミーにこそっと訊ねた。
「アナミーの家に使っていない一人乗りの船ってない?」
聞かれたアナミーは手を止めてポカンと俺を見た。
「は、ふ、船ですか? それは家に聞いてみないとわかりませんが」
「聞いてみることはできる?」
「はい。手紙を出しますので、少々日数はかかると思います」
「それはかまわないから頼めるかな?」
「はい、謹んで承ります」
にこっと笑ってアナミーはお辞儀をした。この子の笑顔って初めて見たな。
「……アナ、手が止まってる」
聞こえるか聞こえないかギリギリの大きさで発せられたのはマウラの声だった。
ヤバい。彼女の祖父のオードナーとの取引は頓挫しちゃったからなぁ。一応詫び状は出してあるが、彼女の方もフォローしておくか。
「マウラのお祖父さんにはいろいろ尽力してもらったのに悪かったな。でも、付き合いは続けたいと思ってるんだ」
そう告げると、ちょうど俺の顔の高さにあったマウラの眼が俺を見た。彼女の眼をまともに見たのも初めてかもしれない。それは深いエメラルドグリーンを湛えて、どこまでも吸い込まれそうな錯覚に陥った。
「瞳、綺麗だね」
自然と言葉が零れ出ていた。いや何言ってんだ俺。
「……お褒め頂くほどのものでは」
顔を向けていられなくてそらした耳に、彼女のほんの少し動揺したような声が小さく聞こえた。
いや本当に何やってるんだよ。時代が時代ならセクハラ案件だぞ。
そらした顔の先では、アナミーの真っ赤な瞳がキラキラと輝いて俺を見ていた。
これは彼女の方も褒めないと公平じゃないよな。時代が時代じゃないからセクハラじゃないし。
「えっと、アナミーの瞳も素敵だよ」
すると、彼女の笑顔がによっとなって、
「殿下はおませさんですねぇ」
と、鼻歌でも歌いそうな勢いで体をきれいにする仕事を再開した。
まぁ中高生ぐらいの彼女たちにしてみれば俺は小学1年生のお子様だし、子供が背伸びしてませたこと言ってるなって感じになるのは当然だろう。
それでも、無味乾燥な着替えタイムがちょっと和んだ気がして、恥をかいただけのことはあったかなと思えた。
もっとも、後で思い出してベッドの中でゴロゴロと転げまわることになったが。
ということがあって、なぜかアナミーのお父さんである漁師ギルド長から直接会って返答したいという返書が届き、ジーンに相談した結果、二の城の応接の間で会うことになったのだった。
いや、回想の後半部分いらないな。
ギルド長との面会に使ったのは、前回と同じ一番奥の応接の間。
前回同様、ジーンたち3人を引き連れて入った部屋の中で跪いていたのは、アナミーと同じ淡いピンクの髪を角刈りにしたやたらにガタイのいい男が一人。髪色と髪型のミスマッチ感が酷い。
「バーデン・ノート・ワックラーだ。今日はよく来てくれた」
型通りのセリフを口にすると、
「はっ、お初にお目通りかなうこと、光栄でございです。漁師ギルド長を務めておりますバッカイと申します」
と、潮に焼かれた声が狭い部屋に響き渡った。
「堅苦しい挨拶はいいから楽にしてくれ」
「ありがとうございます。当方、ギルド長など務めておりますが、漁師出の粗忽者でございますれば、無礼がございましたら平にご容赦いただけますようお願い申し上げます」
顔を上げたバッカイは、そう言って予防線を張ってきた。
「ああ、かまわないよ。僕も肩が凝るような会話は苦手だしね。ジーンたちもわかったね?」
ジーンが「かしこまりました」と了解するのを確認しつつ、バッカイに着席を勧めた。椅子が窮屈そうで申し訳ない。
「えーと、アナミーには使ってない小さな船がないか家に聞いて欲しいと頼んだんだけど、それは了解してるかな?」
「はい、そう手紙にありました。……あ、娘がたいへんお世話になっておりまして、ありがとうございます」
バッカイは思い出したように言ってガバっと頭を下げた。
「いやいや、アナミーは仕事熱心で助かってるよ」
「粗相はしておりませんでしょうか?」
「しっかりした娘さんだよ。親御さんの育て方が良かったんだろうね」
「そのようなお言葉はこの身には過分にございます」
恐縮する言葉の割には笑顔で照れている。あんまり駆け引きとか得意じゃなさそうだが、ギルド長的に大丈夫かなというのは余計な心配か。
「それで、本題に戻るけど、そういう船ってあるかな?」
「失礼しました。はい、何艘でもご用意いたします」
バッカイは気前よく言ってくれるが、
「1艘で十分なんだけど」
と返すと、ちょっと残念そうにしていた。
いやいや、そんなに何艘もいらないし買えないから。予算には限りがあるから。
「大きさはどれくらいかな? ていうか、実際に見られないかな?」
「殿下が港まで来られるので?」
「バーデン様」
横からジーンの声がしたので見てみると、フルフルと首を振っていた。どうやらダメらしい。たぶん城の外へ出るには父の許可とかいるんだろう。
「船の大きさはこのテーブルほどです」
目の前のテーブルを示された。
5mくらいか。思ったより大きいな。
「もう少し小さいのはないのか?」
「それですと漁には出られませんが」
「まあ漁に使うわけじゃないから」
バッカイは「左様ですか」と不思議そうな顔をしていたが、すぐに気持ちを切り替えて、
「でしたら、本当に乗るだけになりますがこれくらいで」
と、テーブルを区切るように手を置いた。3分の2くらいか。
「それ、1艘でいくら?」
「この船は献上いたします。殿下からお金をいただくなど滅相もございません」
「あー、いや、ちゃんと買い上げたい」
一瞬ラッキーと思ったが、ジーンの渋い顔を見て踏みとどまった。
「いえいえ、そのようなわけにはまいりません。日頃娘がお世話になっておりますれば、お礼の意味もございますので」
バッカイは大きな手をわたわたと振って断ってくる。その仕草がアナミーと似ていて、クスっとなった。
「僕もおやつ代から支払うことになるから多くは出せないけど、王家としてはお金を払わないのは外聞が悪いんだよ」
「お、おやつ代、ですか?」
「うん、僕のおやつ代」
すると、バッカイはニカっと笑顔になる。
「では、銅貨1枚でお売りいたします」
「商談成立だ」
俺が右手を差し出すと、バッカイも大きな手を差し出して俺の手をそっと握った。一瞬力を込めて握られるんじゃないかとビビったのは内緒だ。
と、ここで重大な事に気づいた。船を買ったはいいが、置いておく場所のことを考えていなかった。
王都が港町とはいえ、王城は小高い丘の上に建っている。そんな所に船が置いてあれば誰だっておかしいと思うだろう。
その一方、城の側を流れる川には船着場があるし、港には王家専用の桟橋や倉庫などもあるだろうが、そこに見知らぬ船が置かれていたら、それはそれで怪しまれるに違いない。
だいたい、父に相談しろと言われていたのに、また先走っている。
しょうがない。恥を忍んで頼んでみよう。
「ギルド長、今更だけど、やはり進呈してもらう形にしてもらえないかな?」
「は? はい、もちろんかまいませんとも。むしろ喜んで献上させていただきます」
バッカイは一瞬驚いた顔になったが、すぐに人の良い笑顔に戻った。
「あ、いや、形式上そうしてもらうだけで、銅貨1枚はちゃんと払う。そのかわりしばらくそちらに預かっていてもらいたい」
「は、はい」
バッカイはわかったようなわからないような返事だったが、とりあえずはこれでいいだろう。
後は、父にどう話すかだ。
今回のキャラ名に使った方言
ばっかい : 世話