第4話 王子には予算が無い
ブクマ、ありがとうございます。
あの後、いろいろ探してみたが、浴槽になりそうなものは見つからなかった。
いつでも誰でも水を出せるから大量に水を溜めるということが無く、当然そういう用途の器物も作られなかったのだろう。
こうなったら新たに作るしかない。
「浴槽、お湯を溜める箱を作りたい時はどこに頼めばいいんだ?」
夕食後、私室で寛いでいる時にジーンに聞いてみた。前世なら専門のメーカーがあったが、ここには当然無い。
ジーンはしばらく思案していたが、
「申し訳ございません。前例がございませんので、私にはなかなか思い当たりません」
と、申し訳なさそうに目を伏せた。が、すぐにその目線を俺に戻す。
「ですが、職人ギルドならばバーデン様のご要望に沿った職人を紹介できるかもしれません」
「職人ギルド?」
「国内の全ての職人のギルドを統括しているギルドです。」
ほほう。そういうのがあるのか。
「じゃあ、明日にでも聞いてみてくれ」
と頼んだが、ジーンからの返事が無い。
代わりに、「一言よろしいでしょうか」と少し遠慮がちに言ってきた。
訝し気にうなずくと、ジーンはコホンと咳ばらいをして話し始めた。
「バーデン様。何を作るにせよ、物を作るには費用というものがかかります」
「当然だな」
「そして、これはバーデン様のご要望ですので、バーデン様の予算から支払われることになります」
「それは仕方がないな」
「残念ながら、その予算はございません」
「え、無いの? 僕関連の予算」
マジかよ。
「予算自体はございます。ですが、予算の使い先は既に決まっております」
「それはそうだろうけど、ほら、予備費みたいなのはないのか?」
「よくご存じですね。と、申し上げたいところですが、予備費というものは想定外の支出があった場合に備えるものです」
「なら、今がまさにその時じゃ……ないよな。うん」
ジーンのジト目に日和ってしまった。
「つまり、俺が自由に使えるお金は無いのか」
「左様です」
王子なのに好きなものひとつ買えないとは……。
愕然としていると、「ですが」とジーンが優しい眼で語りかけた。
「せっかくのバーデン様のご要望でございます。今ある予算の中から捻出する方法を考えてみました」
「おお、さすがジーン。で、どうするんだ?」
「はい、不要だと思われる費用を削減いたします」
「なるほど。で、何を削減するつもりだ?」
「バーデン様のおやつ代を向こう3年程削除いたします。そうすれば十分に賄えるだろうと愚考いたします」
愚考が過ぎる。向こう3年間おやつ無しとかふざけんな!
中身はおっさんだが、おやつが無いのはマジでつらい。
「却下だ」
あ、そうだ。
「どうせ削除するなら、あの体をきれいにしてくれてるお世話係の分がいいんじゃないか」
あれはほんと恥ずかしい。やめれば俺の精神が安定するし経費も削減できて一石二鳥じゃん。
いいこと思いついたと喜んでいると、急にジーンが鬼気迫る勢いで近づいてきた。
「あの者たちに何か粗相がございましたでしょうか」
「あ、いや、特に無いが、僕も8歳になったし、着替えくらい自分一人でできる。なら、無駄は省くべきだろう?」
「それはあまり良い考えではございません」
ジーンは首を振った。
「王家の方のお世話をさせていただけるということは、城で働く使用人の中でもたいへん栄誉のある仕事なのです。故に、それを不要とされるのははなはだ不名誉なことであり、たとえ彼女たちに瑕疵が無かったとしても周りはそうは見ません。彼女たちはバーデン様の機嫌を損ねた粗忽者として扱われることになるでしょう」
あー、なるほど。それはわかる。定期の移動なのに、花形の部署から不人気の部署へ移るとそう見られたりするよな。
そっか。俺は自分の羞恥心のせいであの子たちをそんな酷い目に遭わせるところだったのか。考えが足りなかったな。
「わかった。その件は撤回する」
「賢明なご判断、痛み入ります」
ともかく、俺に金が無いのはわかった。だが、風呂は作りたい。
そういう時はどうするか。
無いのなら、有る所から出してもらうしかない。
「しかたがない。王国の会計で風呂を作ってもらうか」
俺はニヤリと笑ってジーンに告げた。
「そうと決まれば、要望書を出さなくちゃな。担当部署はどこになるんだ? 備品か? いや、福利厚生かな? その前に見積り金額を算出しなきゃダメか。あ、仕様書がいるな。その点も相談したい。ジーン、さっきの職人ギルドにそう連絡してくれ」
思いつつくままに挙げていくが、またジーンからの返事が無い。
怪訝に思って顔を向けると、呆けたように俺を見ていた。そして、
「……バーデン様は本当にお変わりになられましたね」
と、感慨深げに声を漏らした。
「言葉遣いもそうですが、まるで大人と会話しているようです」
「そ、そう?」
背中を変な汗が流れる。
ヤバいな。なるべく話し言葉には気を付けてるつもりだったんだけどなぁ。『俺』じゃなく『僕』と言うとか。
「ひと跳びに大人になられたように感じます」
ジーンは感慨深げにうなずいているが、今の話はさすがに8歳の子供のすることじゃなかったかもしれない。ちょっとマジで気をつけよう。
ジーンといろいろ話しているうちに就寝の時間になって、いつもの使用人の子たちがやってきた。
彼女たちはいつもどおりにカーペットを敷き、その手前で俺の靴を脱がせる。そして、裸足になってカーペットの上に乗った俺の服を脱がせ始めた。
俺は考え無しにこの子たちを不幸にしそうになってたんだな。
改めて使用人の子たちに目を向ける。
ふんわりとした印象の淡いピンク色の巻き毛を白いヘッドドレスで覆っている、今目の前でしゃがみ込んで俺のパンツを降ろそうとしている少女。名前は何だったかな。ア……アナミーだったかな。
「アナミー?」
自信なくそう呼びかけると、その少女はパンツに手をかけたままハッと顔を上げた。紅い瞳が大きく見開かれている。
「は、はい。あの、申し訳ございません」
すぐにその顔が伏せられた。
「いや、謝るようなことは何も無いよ。ただ、いつも僕の世話をしてくれてありがとうと言いたかったんだ」
そう告げると、再び顔を上げたアナミーの瞳は、今度は驚きに満ちていた。それもすぐに伏せられて見えなくなる。
「そ、そのようなお言葉、この身には勿体なきことでございます」
ちょっと震えた声で応えると、ささっと俺のパンツを下げた。
あれ? 何か恐縮させちゃったかな? まぁいいや。
気を取り直して、右斜め後ろで俺の右足に手を添えてパンツから抜こうとしているもう一人の少女を見やる。
こちらはヘッドドレスの下で藍色の髪を一纏めにしている物静かな感じのお姉さんだ。名前はマウラ……だと思う。
「えっと、マウラもいつもありがとう」
声をかけると、マウラは下を向いたまま、
「……恐れ入ります」
と、か細い声で応えて、左足をパンツから抜く作業を続けた。
「ふたりとも、これからもよろしく頼むよ」
さっきの罪悪感を埋めるように言葉を足すと、
「もちろんでございます」
「……かしこまりました」
と、簡単な返事が返ってくる。
その後はいつもどおりに無言での作業が続いた。いや、ちょっといつもより時間かけてないですか、君たち。
まぁ当分はこの状態を甘受するしかないか。当分がいつまでなのかわわからないが。