第16話 先生は侮れない
王家の船に戻った俺たちは、そのままここに停泊して夜を明かすことになった。
キャビンで硬いパンとスープを食べながら、調査したことについてマッシ―先生に意見を聞いてみた。
「かなり高い温度の熱水が沸き出ていたな」
「はい。期待以上でした!」
「何を期待しておったのかは知らんが、これで海が熱い原因はわかったわい」
「でもなんであんな場所にお湯が沸いているんでしょうね」
すると、先生は「ふむ」とあごひげを撫でつけた。
「儂がいたカガン王国にも熱水が沸き出ているところはいくつかあったが、ほとんどが山の中じゃった」
カガン王国はノート王国の南に隣接している国で、マッシ―先生を招いていることからもわかるように両国の関係は良好だ。先代の王の奥さん、つまり俺の祖母さんもカガンから嫁入りしてきたと聞く。
それはともかく、
「あ、それって卵が腐ったような匂いがしませんでしたか?」
それこそ温泉だろうと思って聞くと、先生は俺を見る目をすがめた。そこでヤバいと察したが、既に遅かった。
「……バーデン様はよくそのようなことをご存知だのぅ」
何と答えてもマズい気がして、とりあえず微笑んでおいた。
「まあ何事も知っていることは悪いことではない」
先生はそう言って話を続ける。
「カガンにはブラン山という山があるのじゃが、そこは火の神が住まうと言われていてな、山頂近くには冬でも雪が積もらぬ場所があるのじゃ」
それはかなり火山っぽいな。
「そこは、バーデン様が言ったように、卵が腐ったような匂いがするのじゃよ。しかもかなり強く匂う。あやうく死にかけたほどじゃ」
「え、先生行ったことあるんですか?」
「当たり前じゃ。自分で行かないでどうする。この目で見て観察する。それが重要なのじゃといつも言っておろう。というか、自分でそう言っていたではないか」
「はい、そうでした」
「話がそれたな。儂が調べた限りではブラン山に近いものほどその匂いが強くする。逆に、離れるほど匂いが薄くなったり、別の匂いがするものもあった。故に、熱水とはブラン山の地の底、火の神のおわす場所で熱せられた水が地下を通って湧き出てきたものだと儂は考えている。しかし、ここノートはブラン山からかなり離れておる。その割には湧き出ている熱水の温度はかなり高そうじゃった。儂の考えでは、ブラン山から離れるほど熱水の温度は低くなるはずなのじゃが、この辺りに火の神が住まう山があるとは聞かぬし、儂が考える以上に火の神の力が及ぶ範囲が広いのか……」
先生が熟考モードに入ってしまった。
詳しい温泉の原理とか定義とかは知らないが、実際十分に熱い湯が沸き出ているのだから、これはもう温泉でいいと思う。温泉警察がいるわけじゃなし。
となると、やはり岩亀温泉を作りたくなる。毎日は入れないかもしれないが、源泉かけ流しの魅力には抗えない。
問題は実現までの道筋だ。とりあえずはもう一度綿密な調査が必要だろう。
「マッシ―先生」
何度か呼びかけたところで、先生はようやく「ん?」と思索の海から帰ってきた。
「やはり本格的に岩亀の温泉、いえ、熱水の調査をすることを具申します」
「そうじゃな。儂もぜひそうしたいと思っておる」
「当然僕も協力しますよ。乗りかかった船ですからね」
「乗りかかった船か。おもしろい表現をするのぅ。ほっほっほ」
あ、そういう慣用句って無いのか。
先生の笑い声に合わせて、にへへと笑ってごまかす。
「ところで、バーデン様」
ごまかし笑いをしているところへ、先生が柔らかい笑顔を浮かべたまま話しかけてきた。
「何か儂に隠し事をしておらんかのぅ」
「えっ……」
唐突な問いかけに一瞬言葉に詰まってしまった。確かに先生には隠し事というか、温泉目当てという本当の理由は言ってないけど……。いや、まさか前世のことか? この前も名付けの件で不思議がってたから、全く無いとは言い切れない。
背中にイヤな汗を感じつつ、先生の顔を窺い見た。
「その反応は図星じゃな」
ギラリと先生の眼が光り、獲物を捕らえたような笑みに変わった。
どうする? また笑ってごまかせないか? ……いや、知りたがりのこの先生からは逃れられる気がしない。
俺はまな板の上の鯉の気分で深く息を吐いて心を決めた。
「……申し訳ありません、先生。騙すつもりではなかったのですが、先生には黙っていたことがあります」
先生ひげを撫でつけながら「ほっほっほ」と笑みを柔らかいものに戻した。
「そうじゃろう。自分で行きたいと言うほどじゃ。よほどあの熱水に思うところがあるとしか思えんわい。儂の薫陶などあるわけがないからのぅ」
あー、温泉の方か。よかった。
ほっとしている顔を凝視されていることに気づき、慌てて気を引き締める。
「……ええ、実は僕とボーデン兄は温かい湯に体を浸すことに嵌っていまして、いえこれが意外に気持ちが良いしろものなんです。それで今のところその湯は僕自身で出しているのですが、毎回大量の湯を出すのはたいへんなので、バッカイから熱海の浦の熱い水の話を聞いた時に、それを利用できないかと思いついたのです。しかしながら、僕だけでは父王陛下の許可が下りず、そのために先生を巻き込みました」
さっきの決心をおくびにも出さず、すらすらと言い訳が口から出ていく。
「儂も利用されたというわけか。はっはっは」
先生の表情から納得してくれたと判断した。
「それでのう、バーデン様」
先生は急に笑い声を引っ込めて真剣な顔を向けてきた。
え、まだなんかあるの? ヤバい?
「その湯に体を浸すというのは、まことに気持ちがいいのか?」
「は?」
「どこからそのような発想が出てきたのかも気になるが、まずは自分の体で試してみんことにはなぁ」
「それは、つまり?」
「儂も湯につかってみたい」
先生は子供のように眼をキラキラさせて迫ってきた。
あー、こういう人だったわ。