【Vol.03】
新宿中央公園を出て、十二社通りでタクシーを拾う。
中野のマンションへ走るよう運転手に指示し、怜美はスマホでさっきのペットショップに電話する。
必要な飼育用品を今夜中に配達してもらうために。
それから飼育に関するハウツーや社会事象をザッピングで検索していく。
春奈はキャリーバッグをがっつりと両手で抱きしめ、微動だにしない。
タクシーの窓を流れる景色を、興奮と緊張でこわばった顔でにらみつけている。
怜美のマンションは、中野駅のすぐそばにある。
築年数はそれなりだが一等地の三LDK。駐車場にはエーゲブルーの、怜美の愛するプジョー206CCが眠っている。
今夜は遊んであげられなくてごめん、と心でプジョーにただいまの挨拶をして、怜美は春奈を部屋へうながす。
ついに誘拐してしまった猫を、部屋に放す。
猫は、はじめて見る部屋に仰天して。パニックを起こして部屋をかけまわる。
どこでもいいから身を隠す場所を求めて全力で走ったあげく、リビングのソファの下にもぐりこむ。
おそらく当分はソファから出てこないだろう。
ここが安全な場所だとわかるまで、そっとしてやるべし、けっして刺激するな、できれば物音もたてるな、と、野良猫保護のハウツーページに書いてある。
春奈は緊張がほどけて、床にへたりこんでいる。
もう何も考えられないらしい。
怜美はキッチンへ行き、コーヒーを淹れる。
春奈はまだ赤い強ばった顔をして、ソファのそばにぺたんと座っている。
ソファの下をのぞきたい。
でも今は静かにしなきゃいけない。
小さな体が爆発しそうになっている。
今夜は話すべきではないかな、と、怜美は思いつつ。
それでも。
「あのさ…」
マグカップを差し出して、怜美が言う。
いきなり話しかけられてギョッとしながらも春奈が怜美を見あげる。
怜美は、言いにくそうに。
春奈にクッション差し出して、自分もクッション敷いて座って。
小さい子供に言い聞かせるように、目線を合わせて話す。
「動物を保護したら、しなきゃいけないことが三つあるの」
嫌な話が始まるのだと察する春奈。
全身が警戒色になる。
怜美は小さくため息つきつつ。
「一つ目は、保健所への連絡。二つ目は、警察への連絡。三つ目は、近所の動物病院などへの貼紙」
春奈、泣きだしそうな顔になる。
「もしかしたらこの子、誰かの飼い猫かもしれない。飼い主さんが探してるかもしれない」
「こんなに毛皮が汚れてるわ。野良に決まってるもの!」
「それを決めるのはあなたじゃないわ。もし飼い主さんがいたら、黙って連れ去るのは窃盗罪。猫の立場は、春ちゃんの飼い猫じゃなくなるの。盗品になるの」
「でも…」
「もしも飼い主さんがいたら。きっと今ごろ泣いてるわ。とても傷ついてるわ。春ちゃんが恋するくらいの猫だもの。飼い主さんは嘆いて死んでしまうかもしれないわ」
「でも…」
「緊急保護するのは犯罪じゃない。だから保健所と警察に連絡して、預かってること告知するの。もし一定期間飼い主があらわれなかったら、正式に春ちゃんの恋人になる。盗品じゃなくなるわ」
「もし、あらわれたら?」
「元いた場所に帰るだけ。馴染んだ飼い主さんのほうが猫は幸せかもしれない」
「…」
「あたしは法律の説明はしたわ。道を選ぶのは、あなたよ」
玄関チャイムの音がする。
ペットショップの配達だろう。怜美は立ちあがって玄関へ行く。
大型猫用のトイレ。オーガニックのカリカリ。多種の缶詰。猫じゃらし。猫ベッド。
クレジットで決済した品々をあけていく。
猫はソファの下にいる。
そっとソファの座面に手を置いたら、猫がおびえて震えているのが伝わる。
室内という空間が怖いのだろう。
飼い猫にしては汚れている。
野良というには人慣れしている。
きみの正体を知りたいね、とソファにむかって苦笑しながら、怜美が梱包材を片付ける。
スマホで次の手を検索しながら。
ふらりと春奈が外へ出かける。
静かになったリビング。
怜美が本を読んでいると、ソファから気配がする。
じっとソファの下を見ていると、かすかに猫が、顔を半分だけ出す。
そして怜美を見る。
なんだ、おまえしかいないのか。
猫がそう言った気がする。
そのまま猫は顔をひっこめ、またソファ下に籠城する。
今のは何だったんだろう、と思いつつ。
怜美は読書に戻る。
春奈が戻ってくる。
すぐそばのコンビニで朝食を二人分買ってきたらしい。
クロワッサンと、カフェオレと、ヨーグルト。
怜美の好物ばかりである。
「これ貢ぐので、今夜泊めてください」
袋を差し出して神妙に頭を下げる春奈。
思いつめた顔に、怜美は吹き出してしまう。
「ソファの横で寝るんでしょ。枕と毛布を持ってくるわね」
これまでも春奈は何度か泊まりにきているし、わけあって部屋は余っている。
気の済むようにしたらいいよと怜美は思う。
真夜中に。
猫は、ソファの下から顔を出したらしい。
寝たふりしつつ一睡もしてない春奈を、闇の中から見ていたらしい。
そして。
護衛ご苦労だった、と言いたげな偉そうな態度でソファ下から出てきて。
春奈の頬をなめたらしい。
朝。
怜美が寝室から出てくると、すでに春奈と猫はリビングにいる。
まるで百年前から一緒にいたような顔で、窓からの朝日を浴びて、頬を寄せ合ってイチャイチャしている。
人んちのリビングで。
もうさっさとふたりの愛の巣を作って出てけばいいのに、と言いたいのをこらえて怜美は、クロワッサンを口にする。
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