10歳。神殿公務の日。
ステイが家に来た日から3日が過ぎた。
神殿に行く日である私は、朝から大人たちに、「護衛騎士たちの言うことを聞くように。」「みちくさしないで、真っ直ぐ帰るように。」「何か思いついても、勢いで動かないように。」など、しつこいくらいにきつく注意を受けた。
何故か隣でマーシャが「私には護身術があります!大丈夫です。」と胸を張っていた。
彼女の護身術は自分の身を守ることを理由にしたものだったはずだ。
それを問いただした際、至極真面目な表情で彼女は私の目を見て答えた。
「お嬢様には護衛騎士の方々がついてます。私に出る幕はありません。」
彼女の言葉を思い出し、クスリと笑ってしまう。
神殿に行く為の衣装に身を包んだ私の後に、マーシャが馬車に乗り込んでくる。
手には手提げ籠いっぱいのお菓子と、密封性の高い容器に入ったお茶だ。
本来、メイドは別の馬車に乗るか、御社の隣に座るかするものだが、クランべナー邸ではメイドを主の側に座らせることになっていた。
理由は、自分の身の周りの世話をする者が体調を崩したら大変だから。だったが、マーシャに関してだけは別の理由が適応された。
「マーシャを一人にすると大変なことになるから」である。
もともと好奇心旺盛で活動的なマーシャを御者の隣に座らせたら、奇声で馬が落ち着かなくなったり、話通しで御者が疲弊してしまったり、最悪は馬の手綱を持つと言い出しかねないのだ。
また、平民の出であるメイドの為だけに馬車をもう一台用意するのは、他の使用人たちに対しても心象が良くないのだ。
馬車の周りを取り囲むように護衛たちが馬に乗る。
神殿からの依頼で、城の騎士団の小隊が派遣されていた。
「神殿までの2時間は、案外長いですからね。」
マーシャはいつもそう言うと、馬車が動き出してすぐにお菓子を広げ始める。
もう見慣れた光景だ。
私はそんなマーシャを好きにさせておき、最近王都で人気だと話題の小説を読み始めた。
先日ステイが「ミニトマトの他にも」とくれたのだ。
「本でも読んで、気分転換して。」
そう言った彼の笑顔に癒された。
優しい子だ。
王子なんていう絶対的権力を持っているのに、傲慢じゃない所が素晴らしい。
どことなく彼の成長を見守るオバサン気分になってしまうのは、仕方がないだろう。
私は9回も人生を生きてきた記憶があるのだから。
そして、先日の8回目の人生の記憶はいまだ、私の気持ちをどんよりとさせていた。
馬車に揺られながら、耳元に届くお菓子を食べる音と馬の足音、窓から時々入ってくる緑の匂いを乗せた風、視線の先には本。
今の私は十分に幸せだ。
小説に夢中になって、気付けば目の前に座るマーシャが寝息を立てている。
無防備なメイドを見て笑う。
「護身術を使えても、眠ってしまっていたら駄目じゃない?」
側に置いておいたブランケットを彼女に掛けると、頭を撫でた。
彼女はくすぐったそうに笑ったかと思うと、また寝息をたてた。
窓からその様子を見ていたらしい護衛騎士が驚いた顔をしたが、私が口元に指を当てて「静かにね」と言うと、彼は優しく笑ってくれた。
賑やかな雰囲気が窓の外から聞こえてきて、馬車が王都に入ったことを察する。
すると、マーシャが背伸びをしながら目を覚まし、「ああ、寝てしまいました」と呟く。
その様子に申し訳なさそうな様子が見当たらない。
こういう所が私には心地いいのだが、メイド長リーンには眉間に皺を寄せてしまう原因になるのだろう。
「もうすぐ神殿につきますよ。ほら、城が見えてきました。」
私が窓から城を指さすと、「本当ですね。」と呟いたマーシャが、まだ寝ぼけているのかと思う口調で「あそこに住んでいる王子様が毎週うちに来てくださっているんですね…」と言った。
「そう言われてみれば、不思議な感じもするわね。」
「はい。ステイ様があまりに身近なので、不思議です。」
王都中でもステイと接したことがある人はどのくらいいるのだろう。
王都の隣領とはいえ、他領の私が毎週会えているのって、変な感じだ。
そんなことを考えている間に、神殿に到着した馬車が停車し、マーシャが先に降りて神官たちに挨拶をする。
マーシャの助けを借りて馬車を降りた私は「マーシャはいつものように。」と伝えれば、彼女は淑女らしい笑顔で「かしこまりました」とお辞儀を返すのだ。
一見すれば貴族令嬢とメイドの完璧な会話だろう。
だが、内容をしっている御社や護衛騎士たちは苦笑いだ。
私がマーシャに頼んだのは、神殿の裏手にある薬草畑に行って、そこにいる神官から「先月植えた生姜の成長を確認してきて欲しい」というものだったからだ。
邸の菜園では育たない苗や育ちが気になる苗を、神殿の薬草園の隅を借りて育てさせてもらっているのだ。
今、一番の気がかりは…私がずっと探し求めている植物の一つ、ターメリック。
生姜科の植物なのだが…生姜とは違う。
別名ウコン。
カレーを作りたい私は、様々な香辛料を数年かけて集めている。
カレーができれば、カレーうどんもできるしカレーパンもできる。米の栽培も領地内で始まっているので、王道カレーライスは絶対できるのだ。
カレーライスと言えば、日本人には家庭の味と呼べる料理ベスト5に入るものだろう。
時々食べたくなる、あの味と香り。
いつか完成させるのだ。
そんな私の気持ちを知っているマーシャは「美味しい物のためなら」と快く動いてくれる。
まったくもって、逞しいメイドである。
私は神官と護衛たちに囲まれながら、神殿の長い廊下をひた歩く。
護衛に守られる神官は、心なしか挙動不審である、
まあ、こんな物々しい雰囲気は神殿には無縁だものね。
私はそっと周囲を取り囲む護衛たちの様子を見回す。
神殿公務以外では外に出ない私を狙う者が、いつ攻撃をしてきても対処できるようにと護衛騎士たちは目を光らせてくれている。
実際、今までも数回ほど神殿で乱闘騒ぎがあったので、これは決して大袈裟なことではないのだ。
だからこその国王命令が下り、城の騎士団がいち領地の邸の娘を守りに派遣されたわけなのだが。
脅迫文はマークナーの娘の線が濃厚だが、実際に襲撃をしかけてきた事柄に関しては、関わりのある貴族の名前がいくつか候補に上がっているようだ。
理由は思いつくだけでも様々だ。
なにかと話題を独占し続けているクランべナー領の領主の娘だからという理由もあるだろうし、全種類の魔法を操れる聖女だからという理由もあるだろう。
もともと、聖女なんて数百年間現れなかったと聞いているので、なくても問題ない存在ではあるのだ。
『聖女だから』という理由だけで、国王を始めとした王族や、何かと国中に影響力を持つ神殿が、私を大事にするのは面白くない。
私を狙う本当の所の理由なんて分からないままである。よほどのミスを犯し、尻尾を出さない限りは、貴族たちを捕えることは不可能だった。
実際、この護衛騎士たちだって城の騎士たちなのだ。
納得して任務についている人たちばかりではないだろうと思っている。
王命だから仕方なく…なのだろうとも。
ふと、いやな空気を感じ、小さく呟く
「シールド」
私たちの周りを囲むように防御幕が出来る。
神殿の講義や、家庭教師の技術指導で、ある程度の身を守る魔法を身に着けた。
「お嬢様はそのままのペースで歩いてください」
「はい。」
隣を歩いていた騎士がそっと指示するのを、私は頷いて了解した。
次の瞬間、後ろから数人の騎士が足音を立てずに走っていく。
何が起きているのか分からないというように、神官はまだ挙動不審である。
その表情は今にも発狂しそうなほどに、青褪めている。
「先日の祈りの儀式は滞りなく行えましたか?」
わざとらしいほどに穏やかな口調で私は青褪めている彼に問う。
「は?…あ、はい。例年通りと申し上げましょうか、これと言った話題もない感じではありましたが、粛々と執り行われました。」
一瞬「何を突然言い出した?」とでも言いたそうな声が出るものの、自我を取り戻すべく、少し考えてゆっくりと答えを返す彼に、私は微笑んで見せた。
彼を落ち着かせる目的で、どうでもいい会話を投げる私に、彼ははてなマークを顔に貼り付けているようだったが、彼の思考が今起きていることから反れればいいと思っている私は、そんな空気は気にしない。
「ふふ。話題はあったでしょう?確か、うちの領の小級貴族の娘が何の加護も得られなかったと嘆いておりましたもの。」
神殿の神官たちにとっては、それなりに気を使う出来事だったはずである。
平民ではなく、小級貴族の令嬢であれば、通常は何かしら魔法を使えるはずだが…彼女はそれが一つもなかったのだ。
その知らせを受けた父親が激怒し、神殿にクレームを入れそうになったという話は領内では有名だ。それ以上に家庭内では家庭崩壊の危機だったとも。
父親は母親の不貞を疑った。しかし、母親は誰もが認めるほどに内気で、外に出るタイプではないことから、領主であるうちの父親も説得に当たり、領主同席の上で何度も夫婦で話し合いが設けられたらしい。
その後、その娘は魔法がなくても貴族の仕事はできる(小級なので村長の仕事だ)ということで、周りの大人たちに宥められ、事なきを得たというオチだったはずだ。
「ああ…あの方のことですか。あれは…本当に、何もなくてですね。たまにいるんですよ。」
言葉足らずな神官の説明から、察するに。
(加護を調べる魔道具が光るとかの現象が)何もなくて、(貴族の血を引き継いでいることは確かなのに、魔法が使えない人が)たまにいるのだ。と言いたいのだろう。
「では、逆もあるってことですか?」
「逆ですか?」
「平民だけど、魔法がある人がいるということです。」
少し前から気になっていた事柄だった。
前世でも時々聞かれた突然変異という稀な現象であるならば、緑の蛙から黄色い蛙が生まれてしまうように、足のない蛇から足のついた蛇が生まれてしまうように…魔力のない者から魔力のある者が生まれることがあっても不思議ではないのではないだろうか。
魔力がある者から魔力のない者が生まれるよりも『稀』である可能性は高いが。
しかし、人間は誰しも心に秘密を抱いて生きているのだ。
決してそれは『稀』ではないのかもしれない。
私の質問に、彼は少し驚いた表情を見せ、「あります」と頷いて見せた。
「そうよね。」
私の疑問は的中だ。
もともと貴族だから魔法が使えるということ自体が曖昧だと思っていた。
魔法力とは『血』なのだ。
両親のどちらかの『血』が『魔法』として受け継がれるのなら、色々な家庭がある現実には…そういうこともあるのだろう。
つまり、浮気や不倫といったことはある。そういうことだ。
私は一つ息を吐きだすと、「魔法があろうがなかろうが、同じ人間なのに。」と呟いた。
その言葉が意外だったのか、神官が「はい。その通りだと思います。」と大きく頷いて見せたのだった。
彼も魔力がないのだろう。
それを理由に理不尽な嫌がらせも受けたのかもしれない。
正直、くだらないことだが、いつの世も人間とは『見栄』や『プライド』に取りつかれ、振り回されて生きるものなのだろう。
『自分はそうならないようにしよう。』そう思っていても、いつか、そんな嫌な自分になっていることがあるかもしれない。
気をつけなくちゃ。
祈りの儀式が行われた祈りの間の前に建つ柱の影で、静かに騎士の戦いが終わったようだ。
一人の騎士が近づいて来て「終了しました」と隣の騎士に伝えたのが聞こえた。
何事もなくて良かった。
そう思って、一つ小さく息を吐いた。
私の公務は祈りの間の最奥にある聖女の彫刻に魔力を込めることから始まる。
いつものように、石造の聖女の持つ石に魔力を込めると、石は色を変え、それを見た神殿長がなにやら言うのだ。
今日は緑に変わった石を見て
「ほう。空気を変える力を使ったか。」
と呟いた。
最初は何を言っているのか分からなかった呟きだが、2年も通っていると分かってくるものである。
祈りの儀で判明した私の魔法は全種類。
それは色で表されていた。
黄:雷。インパクトやショックなどを表すもので、ヒントや改善のための一手を司るものでもある。
青:水。水に流すなどの意味もあり、悪い事柄などをなかったようにリセットする力を司る。
緑:風。場の空気を読んだり変えたりする力を司る。また、小さな情報を誰かに届けることも。
白:光。真実を詳らかにするなど、知りたい事柄を前面に出す力を司る。また絵画の才もここに含まれるらしい。
赤:火。炎など焼き尽くす意味もあるが、場を盛り上げることなどにも影響を及ぼす。
紫:音。言葉や文章などを深く理解する力を司る。また、音楽の才はこれだ。
黒:闇。隠された謎などを解き明かす力を司る。妊婦のお腹の赤ちゃんの性別を見分けたり、他にも嘘発見器みたいな能力もある。不思議なことだが、聖女らしさの象徴である『病の発見』はこれに当たる。
先ほど廊下で感じた不審者がいる空気は『光』と『風』の力によるもので、シールド魔法は『風』と『水』の魔法を使ったことになる。
魔法を扱う上で必要なのは『イメージ力』と『精神力』なのだそう。
そもそもイメージできても、必要な加護がなければ使えないらしいが。
神殿長曰く、全種類の魔法がある時点で、様々な困難を乗り越えてきた精神力に匹敵するメンタルなんだそうだ。
そりゃあ、人生10回目ですからね。
メンタル仙人です。
苦笑いする私に、優しいお爺ちゃん神殿長は興味津々に私に色々な話を聞かせたり、色々なことをさせてくれて、公務が終了する。
私にとっては遊びに来ている気分の公務なのだが、深すぎて意味の難しい神話の話や、理解しても実際に行うのが難しい魔法の扱い方を教えられていたらしく、ずっと近くで見ている護衛騎士たちの方が疲れた表情で神殿を後にすることになるのだった。
馬車の中で、マーシャがそっと黄色い物体を私に手渡してくれた。
手の平に収まる大きさのそれが何なのか、すぐに理解し凝視する。
クランべナー領よりも気候が温かい王都の一角、神殿の畑で作られた生姜は、いつも見ているものよりも黄色く固いような気がした。
「もしかして、ウコンに近づいた?」
「違います、かれーらいすに近づいたのですよ。お嬢様。」
マーシャの言葉に笑いを溢しつつ、「家に帰ってからゆっくり調べるわ」と返す。
クランべナー領地に入った所で、今日ずっと隣にいた護衛騎士が窓から声をかけてきた。
彼は騎士団の団長だろう。
「騎士団長様がいらっしゃったので、滞りなく過ごせました。ありがとうございます。」
私が丁寧にお礼を伝えると、彼は目を見開いた後、笑い出した。
今日一日を見ていて判断した私に、「さすが光の力をお持ちのことだけある」と彼は私を褒めた。
魔力なんて使わなくても、それくらい誰にでも分かるだろうと思うのだが。
うちのメイドには目から鱗だったようで、「そうだったの?」と驚いていた。
「お嬢様が今日、神官と話していた内容を聞いていて、確信致しました。貴方の前では、どんな小さな嘘でさえ、詳らかにされた挙句、不運な出来事さえも良い方向に変えられてしまうのだろう。と」
「私にそんな力はありませんよ。」
私が首を横に振ると、彼は苦い顔をした。
ずっと黙っていたマーシャが、何かを思い出したかのように口を開く。
「お嬢様は確かに色々なことを良いことに変えて来ました。その一番の存在が私ではないですか?」
自信満々に言いのけるメイドを私は凝視する。
「え?」
すると鼻息を荒くしたマーシャが説明を始めた。
「私は、誰が見てもダメダメな、『動く破壊王』と呼ばれたメイドでした。しかし、こんな私の失敗さえもお嬢様は良い方向に解釈した挙句、専属として起用してくださったではないですか!?あの日から、私の人生は、舞い上がる妖精が見えるが如く良いこと尽くしなのです!凄いです。」
それって…マーシャがポジティブだからじゃない?
そもそも、面白いメイド見習いがいるって思って、私が惚れ込んだことが始まりだ。
父親に取られそうになったこともあるけれど。
彼女がメイドとして続けて来られているのは、彼女自身の努力でしかないのだ。
「マーシャが変わったのは、マーシャが頑張ったからです。」
「普通なら努力させてもらう前に、クビにされます。」
なぜか確信を持った口調だ。
「確かに、あなたの自由奔放な性格は、普通のメイドには見られないわね…。でも、それが私には魅力的に見えるのよ。」
「そこなんです!」
そんな二人の会話を笑って聞いていた騎士団長が、徐に真剣な面持ちになった。
「今日。神殿で不穏な動きをしていたのは、王都にある『とある大店と通じる家系』の息子でした。彼は『親なし』として育ってきた為、神殿に預けられ神官になったらしいのですが…多少ですが魔法が使えました。きっと、貴族と平民の子で、平民の母親では養育できないと言って、捨て子として神殿に送られたのでしょう。良くある話です。…今日のお嬢様の疑問に対する回答になりますか?」
「まあ、その方は大変な思いをしたのね。」
私が神官に同情を向けたことで。騎士団長は小さく笑った。
「はい。でも、陰ながらですが親からの支援はあったようですよ。お金に困ったことはないそうですから。彼自身、それが当たり前と思っていたようでしたけど。」
親なしなのにお金に不自由しないとは、ずいぶん恵まれた子供だ。
神殿で生活をしているとはいえ、全くお金を必要としないわけではないだろう。
休みに街に出れば、欲しい物もあるだろうし、誰かに何かをもらえば、お返しをしたいと思うだろう。
神官としての多少のお給料(お小遣い程度)はあるのかもしれないが、贅沢はできない程度であることは目に見えている。
小さいうちは服や靴を汚したり壊したりして、新しい物を買うのに必要だったりもしただろう。
本来、神殿主催の慈善活動に参加し、寄付金を募って、そこから配分される微々たるお金を貯めて、欲しい物を購入したりするものなのだが、そんな他の神官たちの普通を少し小馬鹿にする癖があったらしい。
私は彼があまりに無知な者に思え、渋い気持ちになった。
それが表情に出ていたのだろう、騎士団長は苦笑する。
「聖女を亡き者にできたら、貴族の子として家に招いてやると言われたそうです。」
「よくもまあ、そんな嘘を吐いたこと。子供として迎え入れる気なんてさらさらないくせに。」
そんな嘘だと分かり切った話を信じたのか。
「その親は、彼の存在を消したかったのかもしれませんね。」
「・・・!?…なるほど、そういうことも、あり得るのですね。」
それはとても気分の悪い話だった。
聖女を殺せても、失敗しても、どちらにしても彼は『親』から捨て駒として扱われていたということだ。
でも、現実にはそういうことがあるのだと理解はする。
「魔法があっても貴族になれない子と、貴族に生まれたのに魔法が使えない子…」
神官と領地の小級貴族令嬢を思い、胸が痛む。
「どちらも悲運ですね。」
騎士団長の言葉に喉の奥がひゅっとなった気がした。
悲運?
私の9回もの前世は全て悲運だったのだろうか?
親の愛情に飢えていた前世の私を思い出しても、決して気分の良いものばかりではないが…後悔はしていないのだ。
創造主が罪滅ぼしとばかりに用意した10回目の人生は、今までにない幸福だらけではあるが、だからといって、他の9回の人生それぞれの中で『幸せ』が全くなかったわけではない。
生きていたから、それに出会えたのだ。
『悲運』という言葉一つで片付けて欲しくない。
もし、誰かが生前の私を思い出す時、『悲運な奴だった』で片付けられるのは嫌だ。
そんな気持ちがもたげた。
「悲運かどうかは、その人次第でしょう。生きていればきっと、報われることがあります。」
そう言った私に、騎士団長とマーシャが目を見開くのが分った。
「さすがは聖女だ。」
「まさに聖女です。」
二人の声が重なって届いた。
いいえ、『メンタル仙人』です。
首元まで出かかったツッコミを飲み込み、私は長く息を吐いた。
8回目の人生は、確かに私から色々奪った最悪な人生だった。
それでも、あの大きな手に頭を撫でられた時には、小さな幸せがあった。
大切な話はしない、読めない人だったけれど。
あの瞬間だけは、ちゃんと私を見てくれた。
親でさえ与えてくれなかった『愛情の欠片』を、私は見つけていたのだ。
そんな彼の感情と呼ぶには烏滸がましい部分に気付けていた私は、むしろ『幸福』だったのではないだろうか。
だって、『死』を目前にしていても、私は全然怖くはなかったのだから。
邸に着くと、執務室から飛び出してきた父親が私を抱きしめた。
「ああ、無事で良かった。」
私の頭上で呟く父親の息が、ちょっとくすぐったい。
「別に命に関わる出来事はなかったですよ。護衛の皆さんが優秀すぎました。」
私の言葉に、騎士団長が父親と私の前に膝まづいた。
そして、恭しく私の小さな手を握ってきたのだ。
突然の彼の動作に、私の心臓が一瞬跳ねた。
「ゼイウス・クランベナー領主様。私、ルシード・アルファロッドをアテーナイエー・クランベナー嬢の専属護衛騎士として任命して頂きたいと思います。」
突然の騎士団長の言葉に、その場にいた全員が息を飲んだ。
「ま、待って!ルシードと言ったかしら?ここの護衛騎士である前に、お城の騎士団長ですよね?」
「はっ。3年前より城の騎士団長に拝命されておりました。しかし、この度その命を解いて欲しいと直談判してから、こちらに赴いた次第です。」
顔を下に向けたままだが、その顔が笑っているのが分かる。
え?ちょっと、王族所有の騎士団長を領主の娘の専属にするとか…駄目じゃない?
あわあわと慌てふためいている私をよそに、事情を知っているのか、父親が溜息を吐いた。
「ルシード。本当に良いのか?」
「はい。本日一日お嬢様とご一緒させて頂き、噂に違わぬ…いえ、噂以上に希望のある方だと分かりました。この光を私は守りたいのです。」
なんか…大袈裟なことを言っているよ?
チラリと父親を見上げると、まんざらでもない顔をしている父親がいる。
ああ、もう止まらない。
これは決定したと思った方がいい。
「お父様…国王様は許すのですか?」
私の言葉に少し逡巡していた父親が、満面の笑みを浮かべ頷いた。
「大丈夫だ。あいつの弱みを一つ使えばなんとでもなる。」
顎に手をあてて笑う父親が、心底怖いと思った。
お父様の幼馴染…。
…ドンマイ。
やっと私の手を放し、立ち上がったルシードにマーシャが威勢よく声を掛ける。
「ルシード様!今後は私はお嬢様専属の先輩に当たります。私を敬いなさいませ。」
「ほう。マーシャ先輩は部下に対しても『様』をつけて呼んでくださるのですか。さすが聖女様の専属メイド様はお優しい。」
嘘くさい笑顔で返すルシードだったが、マーシャは思わずというべきか顔を赤らめるのであった。
こうして、私の専属がメイドの他に護衛騎士まで増えて…賑やかになった。
私たちが苦笑いしている中、父親だけはそそくさと執務室へ戻っていった。
「こうしちゃおられぬ。あいつが動き出す前に一報を入れておかねば。先手必勝だ。」
そう言い残したことで、きっと国王に手紙を書くのだと察する。
父親がどんな手を使って国王を黙らせたのかは…私には知る由もなかった。