13歳。婚約者になりました。Ⅱ
「王都の孤児院の運営に私も関わることになりました。」
夕食の席で、母親であるメーティスが静かに告げた。
今日の視察に行く件は、両親に話してあったことだったが、事の顛末については王城の使いから聞いているのだろう。
私は敢えて、詳しい話はせずに今の状況を伝えることにした。
「お母様が力を貸してくださるのなら、私も安心です。子供たちの中には食事もまともに摂れないほどに衰弱している者もいるのです。」
3階の女の子部屋には、まだ幼いうちから身体を弄ばれて心神喪失状態になっている子がいる。
2階の男の子部屋には、躾という名の魔法による暴力の影響で全身重症の怪我を負っている子がいる。
どちらも自己中心的な思考を持つ大人たちの被害者だ。
もし、今日私たちが乗り込んでなかったら…彼らの命はあと1週間もなかったかもしれない。
お金にならない子供のために心を砕く輩ではないのだから。
「ええ、聞き及んでいます。だから、孤児院のことは任せて、アテーナはまずご自分のことをなさい。」
母親の台詞に、今日の馬車の中でのステイとの会話を思い出す。
「…それも、既に連絡があったのですか。」
私が小さく溜息を漏らすと、ずっと静観していた父親が私の名を呼んだ。
「アテーナ。来月、スティアーノ王子殿下の王太子任命式と同時に、君との婚約式を執り行うことになった。お前たちの仲が睦まじいことは知っているが、ずっと婚約を拒否していたアテーナがどうしたんだい?何かあったのか?」
何故か目を潤ませてこちらを見て来る父親にドン引きする。
隣に座る弟も苦笑いだ。
「私の身を守る手段としての婚約だと、今日ステイに言われました。今後、状況が落ち着いたら破棄してもいいとも。ねえ、お父様、第一王子のコーネリウス王子殿下は危険なのですか?」
私の質問に、両親とその場にいた使用人や護衛たちが一斉に青ざめたのが分かった。
コーネリウス王子について話すステイも少し緊張していたというか…あまり良い顔色ではなかったのを思い出しながら、私は頬に手を当て首を傾げて見せた。
「王子殿下自身が危険なわけではないよ。」
落ち着きを装った父親が口を開く。
「彼の周りにいる貴族が危険因子なんだ。コーネリウス王子は良くも悪くも実直な子でね。昔から人の話を鵜呑みにしては正義の味方を演じる所があった。勿論、それ自体が全て悪いわけではないんだけどね…一方の話だけを信じてしまっては、下に付く者たちの心は離れていくものだろう?実際、彼の周囲だけで年に数回の入れ替えが行われている。」
ああ、彼の素直な性格が災いして、傀儡として利用する輩がいるってことね。
「スティアーノ王子が何度か注意をしていたみたいだね。『人の意見を全て信じる前に、ご自分で見たり調べたりはしたのですか』と詰め寄っている所に出くわしたことがあった。…国王も言っていたが、第二王子の器が君と出会ってから大きくなったように見えるらしい。アテーナ、彼に何かしたのかい?」
…前世で出会ってました。その記憶を彼が思い出した結果です。
そんなことを言ったら、頭のおかしい子と思われるだろう。下手すると『ふざけているんじゃない』と叱責される可能性もある。
言えるわけがない。
私は首を横に振って「何も」と答えざるを得なかった。
「ステイの性格でしょう。元々、聡明な方でしたからね。」
「策士だったからね…。」
少しの沈黙の後、「明日だけは孤児院に行き、今後の為に整理させて欲しい。」と伝え、退席した。
「お嬢様!ステイ様との婚約がやっと決まったのですね!」
私室に着くなり、専属メイドのマーシャが嬉しさを全身で表現するように、私の手を握ってブンブンと振った。
「マーシャはステイとの結婚をずっと推しているものね。」
「シューリッツ様が付いているステイ様ですよ!絶対お嬢様を守ってくれるじゃないですか!?」
そういえば、マーシャはステイの専属使用人であるシューリッツをこの上なく崇拝していたんだっけ。
見た目が好々爺なのに実は諜報部隊の上長であるシューリッツは、頼もしい存在であることは確かだ。
「私にもルシードを始めとした信頼できる護衛たちがいます。自衛として不安はないのですがね。」
私の言葉に、今度は専属護衛のルシードが目を潤ませる。
「お嬢様!なんと聖女の如き、尊い言葉!このルシード、この身を呈してお嬢様をお守りし続けます。」
うん、今まで通りでいいよ。
「コーネリウス王子殿下は魔法騎士団に入りたいのよね?」
マーシャが用意してくれた紅茶を飲みながら、事情に詳しそうなルシードに視線をやる。
ルシードは少し悲し気に眉尻を下げたかと思うと、遠い目をした。
「コーネリウス殿下は幼い頃から『正義の味方』に憧れていました。」
男の子あるあるだろうか。
正義のヒーローになって、悪者を退治して、皆を守りたい。
「とても素直で勝気な殿下は、剣術や魔法の技を磨くことにも意欲的に取り組まれてきました。実際、強いですよ。剣術では私も負けてしまうかもしれません。」
「ええ?元騎士団長が?」
ルシードは元々王城の騎士団を率いる団長だった。
そんな彼が負けてしまうと言うからには、かなりの強さだと理解できる。
「ただ、マーシャを見ているお嬢様なら理解できるでしょう?彼女同様、コーネリウス殿下は脳味噌までも筋肉で出来ているような性格なのです。深く考えることを苦手とし、目先の欲に飛びつく癖は昔からありました。」
ルシードの言葉でマーシャに視線を移す。
脳筋呼ばわりされたマーシャは膨れるどころか、なぜか照れている。
「そんな彼を利用する人がいるのね?」
ルシードは大きく頷いた。
「学園に入学されてから、その傾向は顕著になったようです。もともと困った者を見捨てられない正義感溢れる性格でしたが、逆に疑わないことで利用されやすい性格となったわけです。去年、確か学園ではある生徒が退学する事態まで追い込まれたと聞いています。ユーベリーナ領主令嬢である、ライラ嬢だったかと。」
初耳だった。
何があったのかとルシードに詰め寄るも、彼は「詳しくは存じ上げません」と口を閉ざすばかり。
私は諦めて、紅茶を飲み干した。
大体の予想は付く。きっと不条理な理由で悪者に仕立て上げられた令嬢がいたのだろうと。
「学園で一度も殿下にお会いしたことがないのよ。不思議よね。」
2つ学年が違うとはいえ、全く会わないのは不思議でならない。
せめて遠くから見るくらいはあっても良さそうなものなのに。と溢すと
「ステイ様が守っているからでしょう?」
とマーシャが何てことはないという口調で言った。
「スティアーノ王子殿下には近づかないでしょうからね。彼らも。」
彼らという言葉に、私は驚いた。
「…ステイのお陰だったのね。」
私は彼に囲われていたらしいものね。
そういえば、学園では一時も側を離れたくないとでも言わんばかりの強硬な態度を見せている彼に、私はそんな裏があったとは思いも至らなかった。
聖女と言われ、神殿に赴くようになってから、何度も襲われる経験はしてきた。
時にはステイ絡みの嫌がらせもあったけれど、どれもこれも、大したことにはならず、私は私の好きなことを貫いて生きてきた。
邸に閉じこもっていた期間さえ、数冊の本を出版し、存在を隠すことをしなかった。
領地内には私が運営元となったお店が数店ある。どれも大繁盛だ。
公園には私が作った歌として、今では国中の誰もが知る歌が流れている。
何より、この国の産業としての農業は、年々進化を遂げ他の国に追随を許さないほどにまで発展した。
王都にも私が運営元となったカレー店があるし、孤児院まで増えた。
私を恨む者ならば、これほど嫌な存在はないだろう。
嫌でも名前だけは聞いてしまう存在なのだから。
「聖女と王が婚姻を結んだ国は発展する。」
聖書に書かれた神話の一部を口にしたマーシャが嬉しそうに微笑む。
「これでカリミット王国は安泰です。」
…迷信でしょう?なんて言えなかった。
ふと私室の執務机の後ろに貼られた国の地図を見つめる。
ユーベリーナ領は国の北部に位置する、林業が盛んな領地だ。
ここの領主令嬢であるライラという娘を思い、やるせない溜息が漏れた。
林業が発達すれば、今より紙だって安くなる。
家や家具なども種類が増え、生活水準が上がる。
勿体ない話だ。
マーシャに促され、入浴を済ませて寝間着に着替えてベッドに入る。
明日、孤児院に行ったら子供たちの特性を見極めなくちゃ。
そんなことを思いながら目を閉じていると、そのまま夢の中に吸い込まれていったのだった。
銃声が遠くから聞こえる。
あの山の向こう側では、今まさに戦が行われているのだ。
戦を避けるように遠回りを選んで良かった。
どうしても隣町の城へ行かねばならない私は、足の運びを速めた。
人が通らない山道をどのくらい歩いてきただろう。
家を出た時は重さなど感じていなかった首に巻き付けた荷物が、今は酷く重くのしかかる。
何度か足を滑らせて転げ落ちた為、草履を履いた足は傷だらけだ。
痛みすら感じないのは、焦りが自分を支配しているからだろう。
年老いた父が罪人として城に連れていかれてから、どのくらいの日数が経っただろう。
父は罪など犯していない。
利用された上に裏切られただけなのだ。
しかし、役人たちは娘の言うことなどに耳を貸す気配はなかった。
泣き叫び、父に縋りつこうとした私の腹を、容赦なく蹴り上げ、私は意識を失った。
気が付いた時には、真っ暗な家の中で埃にまみれて蹲っていた。
蹴られた腹は痛い。
見れば青く痣が出来ていた。
年端も行かない子供にも躊躇いなく暴力を振るう大人たちに、父は今頃何をされているのだろうか。
考えるだけでも身の毛がよだつ。
疲労が溜まっているのだろう。
草に足元を取られ、転びそうになる回数が増えてきた。
それでも歩き続けるのは、一刻も早く父に会いたいから。
とぼとぼと歩く私の後ろから、馬の蹄の音が近づいてくる。
馬に乗れる人物など、身分が上の上の者だと嫌でも理解している。
ああ、面倒だけど止まる他ないのか。
私は立ち止まり、小さく溜息を漏らしつつ、その場に膝まづいた。
私は平民の子。
武士なんかに敵意を向けられたら、一たまりもなく切り捨てられる身。
馬が通り過ぎるまでの間だけ、従順なふりをすることが得策だと理解する。
馬の蹄の音がすぐそこまで近づいてきた。
私はただ膝まづき、視界には地面しか見えない。
通り過ぎるまで。通り過ぎるまで。
心の中で呪文のように唱え続ける。
そうでもしないと、私の意識は遠くなりそうだった。
それなのに、数人の男の声と共に馬の音が止んだ。
なぜ通り過ぎないの?
「おい、娘。顔を上げよ。」
私の事か?
ここは山の中。
娘など私以外いないだろう。
「…はい」
ゆっくりと顔を上げ、声の主を見上げる。
…!!
立派な鎧をつけているものの、端正な顔立ちが木々の間から零れる光に照らされ、目を奪われる。
「私の顔に何かついているのか?」
「…いいえ、あまりに麗しいお顔立ちだったため、息をするのを忘れてしまいました。」
私の言葉に、ふっと彼が笑うのを見た。
気難しそうな雰囲気が、一瞬にして和らいだ。
「ところで、顔色がわるいようだが、お前はここで何をしている?」
「…無実の罪で連れていかれた父の元へ急いでいた所です。」
「無実…?」
怪訝そうな声色で問う彼に、彼の後ろの男が何か言った。
少し逡巡していた様子の男が、私に視線を戻す。
「どんな罪だ?」
「将軍の嘘の情報を流したという話です。ですが、父はずっと私と共に畑にいました。誰とも会っておりません。誰かに情報を流すどころか、情報を得ることすら不可能だったのです。」
私の言葉に、馬の上で何かを考える男は
「子供のお前には分からぬ方法でやり取りがあったとは思わぬか?」
と説いた。
「不可能です。父は、目がほとんど見えておりませんから。」
光の加減は分かるが、物を認識しない目を持つ父が、情報を得るのは耳だけだ。
そんな彼に耳打ちをするためには、いつも側にいる私の目を盗む必要がある。
そして、その情報を誰かに流すとしても…だ。
不可能だと分かり切ったことを、役人は疑わなかった。
いや、疑うことを止めていた。
理由は簡単だ。
本当の罪人は村の領主なのだから。
領主からしたら、目が見えない父からは大した税を取れない使い勝手の悪い平民なのだ。
そんな人間を生かしておく必要性は皆無だったのだろう。
私も何度か「父親の代わりにお前が身体で払え」と襲われそうになったことがある。
その度に必死で抵抗し続け、逃げ続けてきた。
それも、領主には面白くないことだったのだろうと思う。
「確かに、無実だな。…しかし、お前みたいな平民の小娘が行ったところで、父親は助けられまい。どうするつもりだったのだ?」
「…父を逃がし、代わりに私が捕まります。」
「なぜ?」
「目が見えない父よりも、健康体の私の方が、有用でしょう?父の目が見えなくなったのは、私を庇ったことが原因ですから。」
数年前、領主が私を邸に連れて行こうとした際に、領主の使いと揉みあいになった父は、相手が投げた液体を顔面で受け止めた。
その液体は錫が含まれた油だった。
目の痛みに堪えながら、使いを追い払った父は、その後高熱を出して倒れた。
熱が引いた時には、目が見えない状態になっていたのだ。
なぜ、領主が私に固執したのかは分からない。
だが、昔から事あるごとに私を攫おうと画策する領主に、私も父も頭を抱えていた。
今回の罪のでっち上げも領主が私を一人にするための…邪魔者を消すための手段だったのだろう。
そう思ったから、私は着の身着のまま、意識を取り戻してすぐに家を出たのだ。
「ふむ。ならば、私がそこまで送って行こう。」
思わぬ申し出に、私の思考は停止した。
「は?」
私の口から思わず出た声は、男の後ろにいる声と重なった。
「顔色が悪い。休むついでに乗って行けばいいだろう。」
「いいえ!そんな無礼なことはできません。」
「遠慮をするな。」
そう言った彼に掴まれ、ひょいと馬の上に乗せられた私は息を止めた。
「怖いか?」
「…何がなんだか。…!私なんかのせいで、貴方様が汚れてしまいます。」
「気にするな。洗えば済む。」
すぐ頭の上にある綺麗な顔に微笑まれ、体中が熱くなる。
どうしよう…
「熱がある。私に身体を預けて少し休め。」
「そんな…申し訳ないことは」
「いいから。」
逞しい胸板に鎧をつけた彼の腕の中で、私は意識を失った。
目が覚めた時には立派なお屋敷の客間に、綺麗な浴衣を着せられ寝かされていた。
「どこ?」
慌てて周りを見回す私に、笑いをこらえた声が降ってくる。
「この国の将軍の屋敷だ。」
「へ?」
将軍と言えば、私の父を連れ去った役人たちが向かった場所ではないか。
じゃあ、私を馬に乗せたこの男が将軍だったというのか?
なぜ、こんな平民に手を貸したのだろう?
「やっぱり、気付いていなかったのか。…まあ、お前のその様子が決め手となり、お前の父親の命は守られたがな。」
「父は生きているのですか?」
「ああ、だから守られたと…おい!?具合が悪いのか?」
「いいえ…嬉しくて…嬉しくて…もう、……間に合わない…のでは……ないかと…怖かった……から…」
ほろほろと止まらぬ涙を拭いながら説明する私を、温かい腕が包み込んだ。
「悪かった。役人共を領主なんぞの悪知恵に使われてしまった。」
本当の罪人が誰かを知っていたのか。
流石は将軍というべきか…凄い。
「ありがとうございます。…私は父を連れて帰ります。」
「何処に帰るのだ?もう、家はないに等しいだろう?それに、目が見えない人間が山道を歩けるわけがないだろう。」
…確かに。
しかし、私は父娘が助かった時のことを一片も考えてはいなかった。
…どうしたらいいのだろう?
このまま、近くの村に住まわせてもらえるよう頼もうか。
「此処にいたらいい。お前は父親を助けた礼を私に尽くせばいいだろう。」
「はい?」
「私の嫁になれ。すぐとは言わぬ。3年後くらいか?」
「はい?!」
この国の殿様は幼女趣味だったのか…意外だ。
何がなんだか理解が追い付かないままに、あれよあれよと私は次期将軍妃として召し上げられた。
立派な屋敷に住む将軍ではあったが、使用人の人数は最低限にも満たず、食事も質素なものだった。
「平民が飢えて苦しむくらいなら、私たちも出来る限りの我慢をしなければ罰が当たるだろう?」
そう言って笑う未来の夫に、私は誇らしい気持ちが芽生えた。
「私は幸せ者です。」
そう呟くと、唇が温かく包まれ、心がふわりと熱を持つ。
「私もだ。国一番の器量の良い娘と、知識量の豊富な使用人を手に入れた。」
元々博識だった父親は、将軍お抱えの相談役になっていた。
頭が切れるから、あの頭が悪い領主からも逃れられていたのだと、後になって知った。
私はこの幸せをずっと守りたかった。
私がそんな願いを持ってはいけなかったのだろうか。
『お前の幸せは長くは続かない』
ふと頭に響く、薄気味悪い声に震える。
ある夜、敵襲を告げる鐘の音と共に、「夜襲だ!」と告げる叫び声を聞いた。
隣に寝ていた夫が勢いよく出ていく。
私は従者に先導され、最奥の間へと誘導された。
「父君もお連れします。奥方様は先に行って下さい。」
「殿は?殿は無事でしょうか?」
「将軍ですよ。無事に決まっています。」
従者の苦笑に、肩の荷が下りる。
途中まで先導され従者を帰すと、私は目的地の襖を開けた。
誰もいないはずのその部屋には先客がいた。
見たこともない、知らない女性だった。
片膝をついた状態で、手には猟銃を構えている。
彼女の口元がニヤリとした瞬間、本能が「まずい」と察した。
私は気味の悪い、赤い口紅の女に射殺された。
逃げようとした私の背中を鉛の粒が突き抜けたのだ。
『私の呪いは永遠だと言ったでしょう?』
そんな言葉を吐いた赤い口が、ゆっくりと孤を描くのを瞼に焼き付けた。
「殿…」
目を覚まし、しばらくの間、記憶の底にあった愛しい人の笑顔に涙した。
まだ、外は暗いようだ。
あの時撃たれた胸に手を当てる。
傷一つないことを知っているのに、重くて熱くて…苦しい。
赤い口紅の女・・・か。
あの時の私は知らない女だった。
でも、知っている女でもあった。
なんだこれ。
そっとベッドを降り、肩にストールを羽織ると、壁沿いの小さなテーブルに用意されている水差しからグラスに水を注ぎ、一口飲んだ。
冷たい水が身体の中を駆け巡るようで、ぼうっとした頭も冷えた。
「3回目の人生の記憶ね。」
この記憶を最後に、私はこの後の人生から恋愛感情とは無縁になった。
婚約できたのもこの人生だけ。
全て結婚する前には死んでいる。
『幸せは長くは続かない』のですものね。
そういう呪いだったわね…と何とはなしに、納得する。
そう考えると、不思議なくらい今の人生は幸せの連続だと思う。
何度も運命に裏切られる覚悟をしていても、そうはならなかった。
『ちょっとしたトラブルがあって上手く対処できたと思ったのだが、取りこぼした。』
創造主の言葉を思い出す。
どんなトラブルだったのだろうか。
神の取りこぼしで死に続けた私は、神の心をも傷つけたようだし。
その罪滅ぼしだというこの人生を、謳歌しないわけにもいかない。
「嫌な記憶は気にしない、気にしない。」
私は自分の頬を両手で叩いて、鼓舞すると、そっと窓を開けた。
途端、冷気が部屋に流れ込む。
子供たちは寒くないかしら?
ふと孤児院の子供たちが心配になる。
早急に毛布くらいは大量に届けなければ。
あと、暖かい服ね。
そんなことを思いながらも眺める景色はどんどん白じみ、夜明けとなった。




