13歳。魔力なしの貴族令嬢
午前中の座学は、王子の執着心に捕まっていて、身動きが取れずにいたが、午後の実技は彼らから離れることが出来て、心底ほっとしていた。
今日は男女に分かれての講義だったからだ。
令息たちは剣術の講義ということで、別棟にある武闘館に移動して行った。
「アテーナと離れるくらいなら、私も令嬢たちの刺繍に仲間入りする。」
と、意味不明すぎる駄々を捏ねていた彼だったが、ある上級貴族の令息に
「私に負けるのが怖いからですか?」
と言われて、イライラしながらも武闘館へと向かう彼を見送った。
見送ったは良いものの、私たち令嬢組もサロンへ移動だ。
貴族のマナーにより、男性たちを見送ってから女性は動くルールなのだ。
そんなルールがなかったなら、トイレに行ったついでにとばかりに、私はさっさとサロンへ移動していただろう。
「はあ…」
溜息を吐きつつ廊下を歩く私に、おずおずと声を掛けて来る令嬢がいた。
「あ…あの。アテーナイエー様、ご一緒しても宜しいでしょうか?」
振り返った視線の先にいたのは、可憐な少女だった。
桃色の髪をふわっと結び、質の良い衣服を身につけ、わずかに赤みを帯びた頬と唇が可憐で…女の私でもドキリとするほどの美少女が、私の目を伺うように覗き込んでいる。
「え?ええ。嬉しいわ。こんな可憐な方に声を掛けて頂けるなんて。」
「可憐だなんて!アテーナイエー様の足元にも及びません。噂は元々信じてはおりませんでしたが、まさかこんなにも美しい方だったなんて、私の夢を壊さないでくださって感謝しているくらいなんです。」
噂とは…まあ、あれだろう。
どうせ見た目はいまいちっていうあれだ。
それにしても、夢を壊さないでくれたって…なに?
「夢ですか?」
「ええ。数百年に一度現れる聖女様は、慈悲深くとても美しい方だと聞いて育ってきました。だから、きっとアテーナイエー様も美しい方に違いないと信じていたのですが、まさかこんなに美しいとは…私が殿方でしたら、一目惚れでした。」
「まあ、そんなに褒められても、何もございませんよ。」
さて、ここまで褒められると逆に怪しく思えてしまう私は、心が荒んでいるのだろうか。
ステイの態度に慣れているせいだろうか。
それは定かではないが、さすがに裏があったら嫌だな…程度には警戒をしてしまう自分が悲しい。
この辺で一度牽制だけはしておこうかしら。
「私は、決して慈悲深くはございませんわよ。それに、見た目は本人の努力次第で作れるものです。私もここ数週間、メイドたちの手によって仕立て上げられてきました。…ですから、あまり私に期待はしないでくださいませね。」
意識して淑女らしく微笑む私に、彼女は一瞬目を開いたかと思うと、見る見る顔を赤らめた。
「もう、手遅れです。」
「え?」
「そんな優しいお言葉をくださるなんて、私だけの聖女様になって欲しい気持ちが芽生えてしまいそうですもの。」
・・・。
この子、大丈夫かしら?
まあ、陰でコソコソする令嬢たちよりは、直接接してきてくれるだけいい。
私は深く考えるのをやめて、一緒に歩き出すこととした。
彼女はカリミット王国最北端に位置する『ブルーべラーナ領』の領主家の令嬢だった。
名を『ファシリータ・ブルーべラーナ』と言い、彼女の上に姉君が2人いる三姉妹の末っ子だそう。
「昔から夢ばかりみていると姉様たちに呆れられていたんです。」
苦笑いする彼女は、多分天然の『天然キャラ』なのだろう。
敢えて『天然キャラ』に『天然』のとつけたのは、たまに装う偽物がいるからだ。
私はそれらを『養殖』のと総称をつけている。
前世でもそうだったが、男性から見ると『天然』も『養殖』も見分けがつきにくいらしい。
女性から見ると、あまりに養殖は計算高く強かなため、少し付き合ううちに『ヤバイ奴』と察するものなのだが、男性には『可愛い』で一纏めにされがちなのだ。
女子力の高さもあるので、当たり前ではあるのだが。
そういえば「あざとさは武器になる」と菊池先輩も言っていたっけ。
前世でそういう『養殖』の『天然キャラ』には色々巻き込まれた経験がある。
勝手に手に持っていたお茶を溢して、周囲からなぜか私が責められたり、彼女の仕事なのに大事な書類が出来ていないとかで、仕方なく私が手伝ったり…決まって彼女は私にお礼は言わず、さも助けられて当たり前のように笑うのだ。それを周りは「可愛い可愛い」と褒めていた。
そのせいもあって、正直苦手意識が働いてしまう。
確かに私は女子力低めの、見た目にも地味な女でしたけれどもね。
現実の男性より二次元や空想の中にいる男性に恋をするような女でしたよ。
・・・あれ?ヤバイ奴は私か?
今日は刺繍を楽しみながら、情報交換をしましょう。という趣旨の講義のようだ。
講義が始まるとすぐに、クラス中の視線が私に降り注いだ。
「アテーナイエー様!午前中、スティアーノ王子殿下と話してらしたのは、どういったことだったのですか?」
「視察がどうって声が聞こえてきましたが?」
「そもそも、スティアーノ王子殿下とのご関係は?」
集中業火というにふさわしい質問攻めの中、私は苦笑しつつ、一つ一つ丁寧に答えながら、刺繍針を刺すことにした。
疑問を解消できないままでいては、皆さんのもんもんした気持ちも落ち着きませんものね。
「私とスティアーノ王子殿下との出会いは6歳の時でした。その時、初めて一緒に遊んでから意気投合致しまして…幼馴染というところでしょうか。」
あの時はまさか、ステイが前世のあの人だとは思ってもいなかった。
ただ、可愛い王子様という印象でしかなかったのだ。
「視察については、私がずっと気にしていることを王子殿下がお手伝いくださるという申し出を受けた所でした。…その、私が公務で通う神殿には、親のない子供が神官としておりますので…。」
講義中に騒いでごめんなさい。
そんな言葉を付け足しながら説明すると、一斉にみんなの顔が納得顔に変わっていくのが分かった。
「幼馴染ですか。」
「神官…ああ、そういう。」
「聖女様ですものね…」
よしよし。
とりあえずは、私の平穏が手に入れられそうかしら?とほっとした時
「アテーナイエー様は、スティアーノ王子殿下のことは、どうお思いなのですか?」
そんな質問が飛んできた。
質問の主は、どこかの中級貴族の令嬢だったと記憶している。
「どう?とは。」
私は至って平静を装って首を傾げて問い返す。
「好きか嫌いかってことです。」
イライラしていることを隠そうともしない様子で彼女は食いついて来る。
なかなか好戦的な方ですこと。
この戦い(言い合い)を買うべきか?
…否だな。
「そのようなお話は、ここでするべきなのか…分かりかねます。」
「は?なに、聖女ぶってるの?」
凄い。何が気に障るのか分からないが、やたら食って掛かってくるな…
さて、どうしたものか。
ああ、この子、ステイのこと好きなのかしら?
それなら、私が気に入らない理由にも納得できる…気がする。
数年前のステイのストーカーだったサーリンを思い出し、納得した。
ふむ。
「もし、私が王子に好意があるとしても(ないとしても)。それを話すのはここでは…あなたではございません。違いますか?」
真っ直ぐに目を見て返す私の言葉に答えたのは、彼女ではなかった。
「その通りだ。まず、そういう話は私に一番にしてもらわないと困る。何のために付きまとっていると思っているのかな?」
「あら、ステイ。お早いお戻りでしたね?」
サロンの入り口に立つ、清々しいほどに当然の表情をする彼を見て、周りが騒然とする中、私は溜息を一つ吐いた。
付きまとっている自覚はあったのか…。
「私が教室から出ないと令嬢たちが動けないと言うから、仕方なく武闘館まで行ってきたが。私に生意気を吐いたあいつは大したことがなかった。正直、アテーナの方が強いからな。私の裏をかく作戦を次々と繰り出す君との闘いに慣れてしまっている私には、物足りなくて仕方がない。どう責任を取ってくれるんだい?」
「ステイ。誤解を生む言い方は止めてください。それは魔道具対決の話ではありませんか。私は実際に自分で戦う武闘はできませんよ。」
不満を言いながら、私の隣の席に腰を下ろす彼を、クラスの女子たちは唖然とした表情で見つめている。
「大体、私につきまとっているご自覚があったことに、私は驚いた所です。ステイ。私はあなた以外にも友人を作りたいと申しておりますわよね?」
「ああ、聞いている。だから、作ればいいと思っているよ。私の目の前で勝手にするがいいさ。」
「だから、それがおかしいのです。なぜ、私が友人を作るのにあなたの監視が必要なのですか?」
「心配だからに決まっているだろう?」
「なんの心配ですか?」
突如始まった口喧嘩に、周囲は茫然自失になっていたが、当の本人たちはそれに気づくことはなかった。
そのうちに、私に食いついてきた令嬢が笑い出し、
「アテーナイエー様のお気持ちを、私、今をもって理解致しました。失礼を申し上げたこと、お許しくださいませ。」
と言ってきたことで、私とステイの喧嘩に終止符が打たれたのであった。
「それより、スティアーノ王子殿下、アテーナイエー様との魔道具対決のお話をお聞きしたいですわ。」
「ああ、それはな。」
身を乗り出して話を始めるステイ。
いつの間にやら、私たちの公園での魔道具対決での熱戦を説明するステイを中心とする時間となってしまい、午後の講義は終了となった。
その後、白熱する様子を聞いていたクラスメイトたちから「年に一度公園で魔道具対決の選手権をしたらいいのでは」という意見が出て、ステイが面白がって私に言った。
「いいね、『天下一武闘会』って名前がいいんじゃないか?」
おい!
それ、カ●ハ●波出るやつ!
しかもこの王子なら、オレンジ色のつなぎをわざわざ仕立てさせて、登場しかねない。
頭痛を覚えながらも、ステイとその護衛たちに見送られ、私は帰宅のために転移陣の上に立った。
「おかえりなさいませ。お嬢様。」
目の前に立っていたのは、マーシャとルシードで、私は安堵感から泣きそうになった。
「お嬢様?学校はそんなに恐ろしいとことでしたか?」
おろおろとマーシャが私に近づいて来る。
「ステイの恐ろしさを身に染みて実感してきました。」
私の言葉に吹き出したのはルシード。
彼は、今日一日の私の様子を察したのだろう。
「ステイのお陰でお友達作りが難航しそうです。」
「お察しします。」
ルシードは苦笑を滲ませた表情で頷いた。
マーシャに制服から家着に着替えさせてもらい、自室のソファに座り込んでお茶を飲む。
今日はジャスミンティーか。
私の心を落ち着かせようと、マーシャの心遣いが見えて嬉しい。
ほうっと息を整えた私は、そういえばとルシードに尋ねる。
「以前、魔力がない貴族令嬢がいたじゃない?彼女ってその後どうなの?なにか聞いてる?」
私が神殿で襲われそうだった時、神官と話をしていた令嬢の話題を、隣で聞いていたはずのルシードに尋ねてみる。
うちの領地の小級貴族だったから、父親に聞けば情報は得られるのだが、父親の領主目線と領民の目線では違うことも多いので、とりあえずどちらの意見も聞くのが私のセオリーだ。
突然問われた彼は、最初は何を言っているのか分からないという顔をしていたが、そのうち思い当たることがあったのか「ああ。」と呟くと
「焦っているようです。」
遠い目をして答えた。
我が家の護衛騎士は私の専属であろうと、時間があれば領主の護衛としても活動している。
領主の父親は領内の貴族邸へ赴いては、問題点はないかと確認して回っているのだ。
数年前に離縁騒動が起きたその貴族については、それなりに気を使っていると思われる為、定期的に様子を見に行っていると推察された。
とうやら私の予想は的中だったようだ。
「数週間前に領主様と伺った際、令嬢の姿は見られませんでした。お邸の者の話では、時々外に出るものの、数時間もしないうちに戻ってこられては、部屋に籠られているとのことでした。」
令嬢の状態については想像がつくものだった。
「なぜ、焦っていると?」
「その邸の使用人の話ですが。邸にある魔法書を読み漁っているらしいのです。もしかしたら使える魔法の一つや二つあるのではと思っているのではないかとの事でしたから。」
なるほど。
でも、残念ながら彼女に魔力はないのだろうと思う。
微々たる魔力でもあれば、神殿の魔道具は反応するのだから。
貴族としてのプライドを保つ為には魔法が使えることが必須なのかもしれない。
小級貴族なら尚更、平民に馬鹿にされたくないという感情が働くだろうし。
ただ、一つ懸念されることは、彼女が『女性だ』ということだ。
私が、弟が出来た時嬉しく思ったように…彼女にも選択肢があるはず。
確か…義母弟がいたはずだ。
ああ、嫁ぐ身だからこその焦りなのかもしれないわ。
魔力がない令嬢を娶ってくれる令息が貴族内にいるのか…。
上手く嫁げたとしても、その嫁ぎ先でどういう扱いになるかを考えたら…不安だろう。
「夕食の席でお父様にも話を聞いてみましょう。」
私はゆっくりとジャスミンティーを嚥下した。
鼻から通る爽やかな香りに、気付けば肩の力は抜けていた。
夕食の時間、学校の話題を出され、今日あったことを話す。
両親は終始笑顔で、弟は興味津々な表情を向けてきた。
「この国には沢山の貴族がいたことを目の当たりにし、正直驚きました。」
「アテーナの場合、邸から出ない時期が長かったからねえ。」
しみじみと答える父親に、私は大きく頷いた。
「既に仲良くなっているご令嬢たちを見た時、ちょっと寂しくなりましたわ。」
「アテーナ…」
母親が悲し気な表情を作るのを見て、私は気丈に笑って見せる。
「私も、早く仲の良いお友達が出来ると良いのですけれど。」
「アテーナなら大丈夫だよ。」
「そうよ。貴方は理知的だし活動的でもあるもの。貴方を知れば、みんな仲良くしてくれるわ。」
…王子の監視付きじゃなければね。
「お姉さま!学校ではどんなことを学ぶのですか?」
5歳になる弟ミッシェイルが顔をほころばせて尋ねて来る。
「貴族としての基本的な知識やマナー、男の子は武闘なども実践で習うわよ。ミッシェイルも今のうちから沢山、家庭教師の先生に教えて貰っておくといいわ。」
既に基本を押さえてある時点で、授業自体は楽だから。
私やステイがそうであるように…。
「分かった」と元気に答える弟を、家族皆がほのぼのと見つめる。
全くもって可愛い生き物だ。
子供は無邪気なくらいが可愛い。
あ、そうそう。
「ねえ、お父様。今度、ステイに王都にある孤児院の視察に誘われたのだけど、私、リスクバーグ邸のマロニエ様のことを思い出しまして。彼女は今、どうしているのですか?お元気でいらっしゃるのかしら?」
例の小級貴族令嬢のことである。
夕食前にルシードに名前を確認しておいたので、回りくどい説明をしないで済んだ。
私の疑問に、父親は「ああ、彼女か。」と呟くと。
「他領の小級貴族令息との見合い話があったらしい。」
「お見合いですか。」
貴族の間では見合いというのは珍しくない。
学校卒業を経て、社交界に出るまでにまだ数年ある為、その前に婚約者候補を幾人かに絞っておくことは、邸の存続を考えたら必要なことなんだとか。
のんびりしていたら売れ残ってしまうのは、前世も同じなのかもしれない。
菊池先輩が合コンに命を懸けていた姿を思い出し、今更ながらに納得した。
その頃の私はというと、正直、結婚願望自体が皆無だったのだが。
「その見合いの話が出てから、令嬢の様子が変わったと聞いている。邸を継ぎたいのではないかとのことだ。」
「そうですか。…生まれ慣れ親しんだ家には誰しも執着はありますからね。」
何気なしに言った私の言葉に、父親が勢いよく立ち上がる。
「アテーナ。お前は嫁に行く必要はないんだよ?ここにいたいならずっといればいい。ミッシェイルと二人でこの邸を守っていく道もあるんだからね。」
「お父様。私、まだ将来の事は何も考えておりませんよ。」
私が苦笑しながら答えると、「そうか」と父親が席に座った。
その様子が少しおかしくて、ミッシェイルと2人、顔を見合わせて笑ってしまった。
「アテーナにはスティアーノ王子殿下と結婚する道もありますものね。」
母親がふと思い出したように呟くから、父親ははっとしたように私を見て、何か言葉を飲み込んで俯いたのだった。
だから、私は何も考えていないんだってば。
確かにステイには日々、つきまとわれているけれど。
あの日以来、結婚を迫るような言葉はないのだから…そっとしておいて欲しい。
「私はお父様とお母様に恵まれたのですね。こんなに愛されて、幸せですもの。」
「アテーナ!!」
涙目の父親と、それを優しく見つめる母親。
この両親だから、私は自由に出来ているのだ。
ありがたい。
前世でこんなにも穏やかな気持ちで一家団欒をしたことがあっただろうか…。
こんな日常をくれた創造主には感謝の祈りを捧げておくべきだろう。
「ツバキ、お前に見合いの話が来た。」
その日は余所行きの着物にウール製の中折帽子を被った父が、帰宅早々私に告げた。
この家に帰ってくるなんて何日ぶりだろうか。
今日も外の妾宅から戻らないと思っていたのだが。
突然帰ってきた一家の主に、母親は作り笑いを浮かべている。
きっと今夜もまた、言い争う声が響くのだろうか。
「お見合いですか?お相手はどなたなの?」
大して興味もないだろうに、母親が父親の言葉を繋ぐ。
「最近、外国の服を輸入して売ることに力をつけている着物問屋の息子だ。」
「まあ。それは将来が有望ですね。」
着物問屋はこの町でも数件しかない。
その数件のうちに、私と結婚年齢が合う殿方がいたかしら?
そんな私の疑問が聞こえたのだろうか。
「西町の松屋のせがれだよ。」
父親の言葉に、私は絶句した。
西町の松屋さんの息子さんは、私と年が10近く離れている。
しかも、噂ではかなりの我儘息子だ。
店の売り上げが伸びた背景には、彼の父親と凄腕の従業員のお陰なんだと聞く。
正直、気乗りしない見合いだった。
しかし、そんなことを言っては、きっと私は父親に殴られるのだろうか。
せっかく見つけてきてやった見合いを棒に振る気かと怒り出す父親の顔が想像つく。
「お父様、ありがとうございます。」
粛々と礼を言う。
見た目だけでも従順でおこう。
当日、見合い相手に振られる算段を付ける方が得策だ。
正直、いつ発狂してもおかしくない母親を残して、私は嫁になど行けないと思っていたのだから。
あちらから都合よく振られる方法を…可及的速やかに考えねばなるまい。
父親は見栄っ張りだった。
この家に余分なお金などないにも関わらず、外に女を作り、その女に貢いでいるのだから。
そのお金はどこから出て来るのかと言えば、母親や私の、着物や帯を金に換えて渡していた。
母親も母親で馬鹿な女なのだろう。
こんなろくでなしなど構わずに、自分の力で何とかする方法を模索すれば良いものを。
どこまでも箱入り娘気質が抜けないままに、この年まで生きてきたためか、お金を渡してでも夫を繋ぎとめようと必死なのだから。
そんな着物や帯ももう数は少ない。
底を尽きる前に、私を問屋に嫁がせて、金策を得ようという腹積もりなのだろうか?
両親を見る目がどうにも曇ってしまうのは、私も弱いからかもしれない。
両親には内緒で、隣町の縫製場で私は働いていた。
お給金は大した額ではないが、ぎりぎり私と母親が食べていくくらいは貰えたからだ。
器用は方ではない私だが、新しい手法を真似るのは得意としていたために、縫製場の親方様に気に入られていた。
「ツバキはセンスがいい。それでもって勘も良いから、女にしておくのは勿体ないよ。」
親方様の言葉は、心底嬉しかった。
叶わない夢だと分かっているけれど、親方様のような殿方の元へ嫁ぎたかった。
それが叶わないと分かっているだけに、結婚には消極的になってしまう。
よりによって、松屋の息子だなんて。
溜息を洩らしつつ、仕事から帰る途中。
通りかかった路地裏の方から若い女性の悲鳴が聞こえた。
何気なしにそちらを見れば、酒に酔った男がうら若い女性を壁際に追い詰めているのが見えた。
「俺が松屋の息子だって知ってて、色目を使ってきたのだろう?願い通り可愛がってやると言っているのだ。」
「私は色目など使っておりません。今朝から風邪気味でふらついてしまっただけです。」
涙目で訴える女性は、頬が赤く息が上がっている。
熱があるようなのは一目瞭然だ。
しかし…あれが、松屋の息子だとは。
まだ日も暮れていないこんな時間から酒で我を忘れている様子を見れば、噂通りの我儘息子であることは真実だろう。
ここで私が生意気に出ていけば、見合い当日に間違いなく振られるのではないか?
これは僥倖。
私は軽やかにその場に走り出た。
「旦那さん?その娘さんは熱がある様子ですよ。酔って目が見えなくなってしまったのですか?」
「ああ?誰だお前は。」
突然背後から邪魔をされれば、それは気分も悪いだろう。
「誰だっていいではないですか。それより、その娘さんの手を放してあげてください。風邪がうつりますよ。」
「風邪だって?俺は酒で消毒されてる状態だから、うつりゃしないよ。」
この人、本当に底なしの馬鹿なんじゃないかしら?
酒に酔っても風邪をひくだろうことも知らないなんて。
家庭の金策のせいで、教科書もまともに買えなかった私だって知っている常識が、この人にはないのかしら?
「なんだ?俺を馬鹿にしているのか?あの糞従業員みてえな目をしやがって。」
優秀な従業員がいると聞いたが、もし、その彼のことを言っているのなら…常識のある人なのでしょうね。
「気に食わねえな。」
男がこちらに身体を向けた瞬間、娘の手を離したのが見えたので叫んだ。
「娘さんは逃げなさい!」
「で…でも。」
首を横に振る娘は、熱で身体が震えているようだ。
それなのに助けに入った私を心配してくれているのだろう。
優しい子。
酒に酔って真っすぐ歩けない男をかわしながら、私は震える娘の元へ駆け寄る。
触った手が熱い。
さっきより顔が赤く、息も熱いのが分かる。
「あなた、凄い熱よ。早くお医者に行かなくちゃ。」
「医者にいく途中だったんですけど…」
「ああ、ふらついて変な誤解をされてしまったのね?」
小さく頷く娘の頭を撫でる。
私と大して変わらない年頃の娘が、やけに弱弱しい姿を見せる為、庇護欲が芽吹く。
「ちょっと旦那さん?この子凄い熱よ?早くお医者に行かせましょう。」
「俺に指図するんじゃねえ。」
叫ぶ大の男を目の当たりにし、思わず溜息が出る。
「指図なんてしていません。このままでは人殺しになってしまうと言っているんです。」
「つべこべ言う奴は大嫌いなんだ。人殺し?そんなもん、見つからなければ犯人じゃねえだろ?」
意味不明な解釈に首を傾げざるを得ない。
「何を言っているんですか?目の前で人が死ぬのをただ見ていれば、それは人殺し同然でしょうに。」
常識が通じない人に何を言っても仕方がない。
「娘さん、私の肩に捕まって。私がお医者まで連れていきます。」
「勝手なことをするな!おい!俺を無視するんじゃねえ!」
「人の命の方が大事です。」
熱で力が入らなくなった娘の腕を自分の首に回すと、「よいしょ」と立ち上がらせた瞬間。
後頭部に衝撃が走り、目の前が白くなった。
ふと振り返った先に、大きな石を両手で抱えた男が立っていて、その石は赤く染まっていた。
…殴られたの?
次の瞬間、足の力が抜けた。
ああ、娘さんを助けなきゃ。
必死で熱で意識がなくなっている娘を庇う背後から、「何やってるんだ?!」という声を聞いた。
揉みあう声と空気が伝わり、彼が取り押さえられたことを察した所で、私の意識は消えた。
「お見合いって最悪ね。」
「アテーナ?」
思わず呟いていた私に、不思議そうな顔で父親が尋ねて来る。
私は小さく首を横に振ると、「ちょっと、食べすぎちゃったみたい。お部屋で休みますわ。」と伝え、その場を辞した。




