#03 バーバルは決意する(勇者サイド:14)
「目覚めの気分は如何ですか?」
「……最悪だよ」
バーバルは薄暗い一室で意識を取り戻した。
見慣れない天井なので、どうやら手術室でも、蟄居先の塔上でもなさそうだ。おそらく大神殿の研究棟の一室に寝かされているのだろう。
とはいえ、塔上で謹慎していなくても大丈夫なのかと、バーバルは眉をひそめた。
そのことを問い掛けようとして……バーバルは「ふん」と短く息をついて止めた。こんな頭の可笑しな改造手術をやる連中のことだ。どうせ身代わりでも用意しているに違いないと考え直したのだ。
ということは、今、この時点で、バーバルは禁固刑から解放されたわけだ。
そう……
久しぶりの自由だ……
どこかに逃げてしまおうか。少なくとも、こんなところで素直に寝ていていいものか。
と、バーバルはふいに思いついて、改造手術後にはたして体がどれほど自由に動かせるのか、ためしに力を入れてみた。
が。
「う、ぐえええっ!」
直後、全身を針で刺したかのような痛みが走った。
さらに、バーバルは自らの両手が視界に入ったとたん、急に吐き気まで覚えた。
そこに付いていたのが、明らかにまともな手ではなかったせいだ――
右手は義手で、特殊な金属で加工されていた。また、左手は……よく分からなかった。これまでの左腕よりも長くなっていた気がする。しかも、指先には長い爪まで付いていた。おそらく何かの魔獣の腕が移植されたのだ。
すると、すぐ横にいた黒服の神官がまた声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「……構うな」
「何でしたら、落ち着くまで目隠しをするなり、『安静』の法術をかけるなりいたしますが?」
「言っただろ! 俺に構うな!」
そう怒鳴ってからバーバルは「ううっ」と、喉奥から込み上げてくるものを何とか飲み込んだ。
酸っぱさが口内に広がり、鼻をつんとつく臭いでいかにも気分が悪い……
何にしても、バーバルはベッド上でじっとして、天井の染みをしばらく数え続けた。
少しは落ち着く必要があったし、自らの体を視界に入れる気にもなれなかった。幻肢痛というわけではないが、もとあったものがそこにないというだけで、さっきから無性に体が痒かった。
それに両腕だけではなかった。ちらりと見えた胸にはおそらく竜の鱗が張り巡らされていた。両肩には何かの獣人の毛が生えていたようだったし、剥き出しの筋肉に継ぎ接ぎだらけの皮膚、足にはえらのようなものもあった――まさに醜い化け物というに相応しい姿だ。
「今しばらくは横になってお休みください。体調が落ち着きましたら、最後の施術を行います」
「まだ……あるのか?」
「仕上げです。とはいっても、バーバル様には馴染みのあるものですよ」
「どういう意味だ?」
「単刀直入に言えば、呪いを最終段階まで受けて頂きます」
それを聞いて、バーバルの頬は引きつった。
「お嫌ですか?」
「ふん……最早、こんなふうになり果てた身だ。今さら後には戻れん」
「良い心掛けです。もっとも、先程も言った通り、バーバル様の体は呪いに慣れているはずなので、それほど苦労はしないでしょう」
黒服の神官がそう繰り返すと、バーバルは「ん?」とまた眉をひそめた。
「待ってくれ。慣れているとは、いったいどういうことだ?」
「おや、気づきませんでしたか? バーバル様はすでに呪いにかかっているのですよ」
その言葉を聞いて、バーバルはごくりと唾を飲み込んだ。改造手術と同時に呪いも受けたということだろうか?
たしかにさっきから胃がむかむかして気分が悪いが、それはこんな変な体にされたからだと思っていた。そもそも、自身の状態に呪いにかけられたような感覚もなかった――と、そんなふうにいかにも飲み込めない顔つきをバーバルがしていたせいだろうか、黒服の神官はやれやれと肩をすくめてみせる。
「まさかお気づきにならなかったのですか? 呪いを受けたのは、改造手術を受けるよりもずっと以前のことですよ」
「ずっと前だと? ふざけるな。これまで呪いを受けたことなどなかったはずだ」
バーバルは呪いによって追放してしまった幼馴染のことを思い出しつつも、唾棄するかのように否定した。だが、黒服の神官は笑みを浮かべた。
「はは。ご冗談を。受けていたではないですか。聖剣に選ばれたときから、この日までずっと」
バーバルは黒服の神官をまじまじと見つめた。
それから、急にすとん、と。腑に落ちるものがあった。聖剣を手にしたとき、たしかに体内を熱き血潮が巡った。
勇者になった喜び。セロやモタを追い抜けるという高揚。もしくは、高潔の勇者ノーブルの頂きに手をかける奇跡に滾ったのかと思い込んでいたが、あれはもしや――
「ほんの微量の呪いですよ。それこそ祝いに似て願掛け程度のものですが」
「ということは……俺はあのときから……呪人になっていたということか?」
「その通りです。身体の状況を分析しても、『聖剣の加護』としか出ないように工夫させていただきましたが」
「だが、魔族や魔物の攻撃を受けて、状態異常や精神異常にかかったとき、その都度回復してきた。微量の呪いだというのならば、そのたびに一緒に治っていたのではないか?」
「聖剣を持つたびにかかり直すように仕掛けてありました」
「狂っている! 呪いだぞ!」
「たかだか呪いですよ。おかげで多少は強くなれたでしょう?」
「なぜ……そのような馬鹿げたことを?」
「勇者として持つべき魔力経路に当代の若者の中で最も近似していたのがバーバル様でした。だからこそ、聖剣は貴方を選んだ。ただし、似ているとはいえ、さすがに完全に一致はしていません。そんなバーバル様の魔力経路を勇者のものと同一にする為に、微量の呪いをかけることで貴方の体に密かに魔核を生じさせたわけです」
「意味が分からん。それでは聖剣などではなく、呪いの剣ではないか」
「なるほど、言い得て妙ですな。いずれにしても、バーバル様はそのときからずっと呪われていたのです」
黒服の神官はそう言って、微笑を浮かべ続けた。
バーバルは「ちい」と舌打ちした。
聖剣を抜いたときからバーバルの内に巣食ってじわじわと蝕む、この闘争本能――
大切な仲間たちをかばいもせず、自らが主役で勝者だと思い込み、頂きを目指して幼馴染すら振り落とす。この醜いまでに傲った熱き血潮は、まさか呪いによるものだったのだろうか? バーバルは聖剣の加護によって、あるいは勇者の呪縛によって、己の意思まで見失っていたというのか?
「俺はいったい……何者なのだ」
バーバルがそう呟くと、黒服の神官はそっと耳もとで囁いた。
「そういう問いかけは、むしろ何者かになってから抱くべきです」
「何が言いたい?」
「早く力を得るべきです。そして、舞台に上がって、バーバル様の力を解き放つのです。そのとき、貴方は初めて何者かになるでしょう」
バーバルは呆然とせざるを得なかった。
なぜ、黒服の連中はこれほどまでに偽物の勇者にこだわるのか。バーバルには全く理解が覚束なかった。
いや、この頭のおかしい黒服たちだけではないのだろう。聖剣による勇者選定に関わっている大神殿とて同じ穴の貉だ。そもそも、勇者パーティーは現王の管轄だ。となると、大神殿だけでもない。現王も――王国そのものが偽りの上に成立している。
となると、いったい、勇者とは本当に何者なのだ?
「さて、それでは数日ほど、ゆっくりとお休みくださいませ。体調が戻り次第、最後の手術を実施いたします」
そこまで言って、黒服の神官は立ち上がって薄暗い部屋から出て行こうとした。
「待て」
「はて……如何しましたか?」
「もういい。本格的に呪いを……いや、最後の手術をしろ」
「よろしいのですか? 魔族となるのですよ。人族として、少しぐらいは最後の時間を楽し――」
「いらん!」
バーバルは「ふう」と息をついた。
「もういい! 俺が俺でなくなるとしたらむしろ本望だ! こうなったら力を得てやろうではないか。いっそ何もかもを破壊する純粋な力そのものになってやるさ!」
バーバルは右拳を固く握った。
義手が馴染んでいないせいで、ろくに力を入れることさえ出来なかった。
こんな醜い体になってしまっては、セロやモタと共にいることはもう出来ないだろう。こんな狂った連中の計画に乗ってしまったのだ。引き返すことなど許されない……
こうして熱血の勇者と呼ばれた男は――世界を破壊し尽くす悪魔にでもなってやると決意したのだった。