061 新しい弟子(魔女サイド:06)
モタと夢魔のリリンはいったん高潔の元勇者ノーブルと別れて、砦内にあるというリリンの家に立ち寄ることにした。
これから第六魔王国に出発するにしても、途中の迷いの森ではダークエルフの同行が必須で、彼らも行商があるので出立は夕方ぐらいになるとのこと――つまり、それまでぽっかりと時間が空いたわけだ。
人族の街においそれとは行けない魔族とは違って、王都に慣れ親しんだモタからすれば、この砦はたしかに栄えてはいるものの、それでも子爵の治める地方都市ぐらいの規模しかなく、一通り見て回ったらもう飽きてしまった。
「こっちだよ、モタ」
「ねえねえ、ちょいと遠くないー?」
そんなわけでモタはリリンにお呼ばれされたわけだが、肝心の家は迷いの森側の丘陵にあった。
ずいぶんと砦内でも奥の方だ。そのせいか、住居よりもほとんどが畑になっている。しかも、リリンによると、この畑の一角を借りて、真祖トマトの亜種も栽培しているらしい。
「ほいで、リリンの家ってどーれ?」
モタはつい首を傾げた。
畑のそばには茅葺屋根の高床倉庫と、あとはせいぜい畜舎と水飲み場ぐらいしかなかったからだ。
少なくとも、先ほどまでの中央通りには、煉瓦で作った長屋が幾つも並んでいた。また、飯屋や酒屋に紛れて宿屋もあった。だが、ここにはそれらしきものが一つもない……
もしかして、リリンは貧乏魔族で、畜舎の隅で藁でも被って寝ているのかと、モタが心配していたら、
「何を言っているのだ? すぐ目の前にあるだろう?」
「ええと……まさかとは思うけど……」
モタは厩舎の隣にぽつんと置いてある大きな棺に目をやった。
そういえば、師匠のジージの持っていた文献に、吸血鬼は棺で寝るものだと書いてあった気がする。
てっきり質の悪い冗談か何かだと思っていたが、どうやら事実のようだ。もっとも、眼前の棺は果たして本当に棺なのかとモタも疑う代物ではあった。
というのも、その棺は外装に色々な料理が丁寧に彫ってあったのだ。
しかも、棺自体には何らかの生活魔術が無駄にかけられていた。おそらく寝る前に匂いが発する類のものだ。アロマか何かリラックス出来るものかなと、モタが術式を読み取ってみると……
どうやら、その日に食べた物の匂いを再現する生活魔術のようだった。
「ねえねえ、リリンさんや?」
「どうしたのだ、モタよ」
「もしもだよ。わたしがこの砦に遊びに来てさ。泊りになるようなことがあったら?」
「当然、ここで一緒に寝るに決まっているだろう。モタに独りで寂しい思いなどさせんぞ」
リリンは清々しいほどの笑みを浮かべた。モタが同性でなければ、きっと一発で惚れてしまったに違いない。
もっとも、モタは白々とした目つきになるしかなかった。たしかに棺というよりはかなり大きな箪笥ぐらいのサイズはあった。二人が入っても、まだ十分な余裕があるだろう。しかも、どうやら棺の中にはなぜか宝物も幾つか入っているようだ。
金銀財宝に囲まれて眠れるのだから、悪くはない気もする。いわば、お札風呂みたいな感覚だ。
だが、モタの感覚からすると、何にしたってこれは家では決してない。あと、生きている者が寝るべき場所でもない。
そんなふうにモタが価値観の違いをどう説明しようか、「うーん」と考え込んでいると、リリンはこの棺の良さを滔々と語ってくれた――
曰く、この料理の彫り物は貴族ご用達の彫り師の手によるもので、ずいぶんと宝物を売り払って仕上げてもらったとか……匂いの再生の為に棺を抱えてわざわざダークエルフのドルイドにお願いをしに行ったとか……
そんなふうに魔改造された棺ではあったが、当然のことながらモタにはさっぱり理解も共感も出来なかった。
ちなみに、これだけ改造した棺でも、まだ最新の流行は取り入れていないらしい。棺に流行なんてあるのかと、モタはまたもや遠い目になりかけたが、
「最近は、羊の悪魔を召喚して、隣で羊の数をかぞえてくれる機能が流行っているのだ。『ヴァンパイアズ・ノンノ』に特集されていた」
「その『ヴァンパイアズ・ノンノ』って何ぞ?」
「おや、知らないのか。吸血鬼の最新の流行が載っている瓦版だよ。この砦でも手に入れられるぞ」
「へ、へえ」
一生読まないだろうなとモタは思いつつも、とりあえずリリンに提案してあげた。
「バフォメット召喚ぐらいなら、わたしが魔術付与してあげよっか?」
「出来るのか!」
「へへん。わたしを誰だと心得る?」
「ま、まさか! 勇者パーティーから勝手に抜け出してきたと評判の魔女モタ様!」
リリンが乗ってくれたので、モタは「えへん」と鼻の下をこすってから手っ取り早く棺に召喚術式を付与した。
師匠のジージが巴術士なので、モタも召喚術は一通り習っている。下位悪魔召喚ぐらいならお茶の子さいさいだ。まあ、つい手が滑って、バフォメットがお腹を下して悶えながら羊の数をぶりぶりかぞえる特殊な仕様になってしまったが、あまり気にしないでおこう……
「ありがとう、モタ!」
モタに飛びついてきてリリンが無邪気に喜ぶものだから、モタもつい嬉しくなった。
「にへへ。苦しゅうないぞ。もっとほめよー」
「モタ様。魔女様。いつかバフォメットを囲んで三人でぐっすりお休みいたしましょうぞ」
それはちょっと嫌だなとモタは思ったが、おくびにも出さなかった。
「では、モタにはとっておきの場所も教えないとダメだな」
リリンはモタの手を引いて、今度は畑の奥の方にある茅葺屋根の高床倉庫に入った。そこは野菜や果実が幾つも乾燥して吊るされてあったが、倉庫というよりはむしろ調理場のように見えた。
「聞いて驚け。私の専用台所だぞ」
そう言って、リリンは両腕を広げてみせた。モタは「おおー」とぱちぱち拍手する。というか、ここを家にすればいいんじゃないかなと提案したかったが、とりあえず今は黙っておいた。
「そいや、リリンは何か料理を作れるの?」
「…………」
「もしもし、リリンさんや。なぜ、急に黙ったのだい?」
「作れるならば……わざわざ認識阻害してまで王都になぞ出向かない!」
「そかー」
まあ、小さな頃からトマト丸かじりで育てられたら、料理の腕なんて早々には上がらないものかもねと、モタはちょっとばかし同情した。
すると、リリンがさりげなく尋ねてくる。
「モタって料理を作れるのか?」
「料理ってほどじゃないけど出来るよー。冒険者をやってた頃は、キャンプ時にセロと交代で色々と作ってたからねー」
その瞬間、モタは鮮やかな土下座を見た。
何と、リリンが三つ指をついて、丁寧に頭を下げていたのだ。
「今日から私の師匠となってください!」
「ええー?」
そんなこんなで急遽モタに弟子が出来た。まずは師匠のジージに紹介しないといけないが、魔族が弟子になったと聞いたら卒倒してあの世に行っちゃうじゃないかなと、モタは心配せざるを得なかった……
「リリン。モタよ。いるか?」
そのタイミングで調理場の外からちょうど声が聞こえてきた。ノーブルだ。
「そろそろ、ダークエルフの行商人も出立するそうだ。砦の裏手から丘陵に出るそうだから、そちらの裏門に集合してほしい」
こうして、モタとリリンの魔王城への旅路は束の間の休息を挟んで、ついに最後の旅程を迎えるのだった。