050 二束三文の剣
セロはとてつもなく困っていた……
何しろ、すぐ目の前に聖剣があるのだ。これは本来、魔王の天敵こと勇者が持つべき武器だし、そうでなければ大神殿にある聖剣の間の台座にでも突き刺さって、新たな勇者に抜かれる瞬間を待っているべき代物だ。
それがよりにもよって魔王城に入ってすぐの広間で、セロ様像が置かれるはずだった台座にぶすりと見事に鎮座ましましている。
セロは「はあ」とため息をついて、額に片手をやった。このままでは聖剣を抜いて勇者になるという王国の一大イベントがいつまで経っても起きなくなるし、そもそもからして魔王討伐に赴く勇者が誕生しなくなる。
こういう慣習事をおざなりにすると、因果応報というやつで世界のルールそのものが可笑しな感じに捻じ曲がっていくので、元神官のセロとしては全くもって許容出来ないわけだが……
実は、それよりもよっぽど可笑しな報告が人造人間のエメスからもたらされた――
「これは聖剣ではありません。終了」
セロは「マジかー」と、ついに頭を抱えた。
バーバルはいったい何を帯剣していたというのだろうか……
まさかとは思うが、失くしちゃって代わりのなまくら剣を持ってきたとか、もしくは後生大事に家に飾ってあるとかじゃないよな……
あのバーバルのことだから、そんな事態があり得るのがほとほと嫌なんだけど……と、セロは幼馴染の馬鹿さ加減に頭を抱えながらもエメスにさらなる説明を求めた。
「この剣は王都にて二束三文ぐらいで売っている物です。装飾だけはやたらと後付けされていますからもう少し値は張るでしょうが、性能的にはよくある片手剣です」
「でも、勇者にしか台座から抜けないはずだよ?」
「それでは、セロ様。その台座からものはためしに抜いてみてください。終了」
エメスにそう催促されたので、セロは聖剣に右手を掛けた。
セロはやや緊張したが、何の問題もなくすぽーんと抜くことが出来た。このとき、元神官としてのセロの常識はがらがらと音を立てて崩れていった。
「いや、これはきっとこの台座のせいだよ。大神殿のやつはもっと、ばーんとして、どーんとして、がーんって感じで壮大な台座だったよ。本当だよ」
セロの言語が幼児化するぐらい、あたふたしているようだったので、エメスは何とかセロをあやしてから説明を付け加えた。
「そもそも、聖剣は勇者にしか持てないという伝承があります。だから、セロ様が手にした時点で伝承とは食い違うのです。もちろん、小生にも持つことが出来ました」
「じゃあ、この剣はいったい何なのさ?」
「繰り返しますが、装飾過多な普通の片手剣です。ただ、時間が経過したことによって弱くはなってきていますが、ある特定の魔力経路を探知する特殊な魔術が付与されています」
「つまり、それが勇者選定の為に働いていたってこと?」
「あくまでも可能性です」
「それなら魔術師がすぐに気づいたんじゃない?」
「いえ。小生も研究室に持っていって、長時間調べてやっと解明することが出来た事実です。どれだけ優れた人族の魔術師でも、見ただけで感づくことは難しいかと思われます。終了」
セロは「ふうん」と曖昧な相槌を打つしかなかった。
最初はこの聖剣に熨斗でも付けて王都に送り返そうかと思っていた。こんな物騒な剣を所持していたら、間違いなく王国は奪還しにやって来る。そのたびにいちいち戦うのも面倒なので、ためしにルーシーに相談してみたら、
「ならば、セロが言っていた食材あたりと交換すればいいのではないか?」
と、呑気に言ってきた。
いやいや、聖剣をよりにもよって食べ物と交換って……
セロもさすがに首をひねったが、何にしてもこの聖剣が紛い物だと分かった以上、下手に取引などしようものなら「よくも偽物を寄こしてくれたな」と勝手に逆上されそうだ……
というか、王国側はそんな聖剣の事情を知っているのだろうか。少なくとも勇者パーティーにいた司祭のセロが耳にしたこともなかった以上、この事実に気づいている者は限られているはずだ。もしくは、全くいないか。
はてさて、いったいどうしたもんかねと、セロはエメスに助言を請うような視線をやった。
「現状、聖剣について考えられ得ることは三つあります。まず、聖剣など、もともとからなかったケース。次に、聖剣の本物と偽物が入れ替わっていたケース。最後に、これが本物の聖剣だというケースです」
「あれ? 本物じゃないのは確定なんでしょ?」
「とりあえず、確実に言えるのは人族の残してきた伝承とは食い違うということです。伝えられてきた内容は、勇者にしか扱えないこと。かつ、魔王を討ち滅ぼすほどの強さが付与される伝説の武器というものです。その伝承が後世になって捏造されたものだとしたら、実はこの二束三文の剣こそが数々の魔王を討伐してきた聖剣だったとも考えられます」
「でもさ。この片手剣でバーバルは実際に真祖カミラを討ったんだよ。少なくとも、魔王を討つことの出来る強力な剣だというのはたしかなんじゃない?」
「お言葉ですが、セロ様。本当にあの小僧が真祖カミラを討ったのですか? 幾らセロ様の《導き手》があったとしても、先日訪れてきた小僧如きに魔王を討てるほどの実力があるとは、到底見えなかったのですが……終了」
エメスが心底信じられないといった顔つきになったので、セロもしだいに自信がなくなってきた……
いや、大丈夫だ……討ったはずだ。多分……
何だかセロはしゅんとなってしまった。厳格な教師に怒られた生徒みたいだ。
「なるほど。では、そのことを考慮しますと、可能性を二つに絞ってもいいでしょう。一つは聖剣が偽物と交換されたケース。もう一つはこれが本物で、小生がまだ解明出来ていない何かが隠されているケースです。終了」
「結局、どちらにしても何も分からずじまいかあ……」
セロが首を傾げていると、ダークエルフのドルイドことヌフが聖剣をじっと凝視していた。
なぜだか不思議と懐かしそうに見ているのは気のせいだろうか。まあ、長い年月を生きているらしいから、聖剣を見掛けたことぐらいあるのかもしれない……
それはそうと、セロがこの聖剣の扱いに困っていると、エメスが提案してくれた。
「ところで先ほども説明いたしましたが、この剣には勇者と思しき人物のマナ経路を特定する魔術が掛けられています」
「うん。でも、時間が経ったことで、その術式もそろそろ消えそうなんでしょ?」
「その通りです。ですが、この魔術を解明すれば、聖剣がなくとも勇者を探し出すことが出来ます。如何いたしますか?」
「そんなことしてどうするのさ?」
「勇者を根絶やしに出来ます、終了」
セロは目を閉じて天を仰いだ。
たしかに可能かもしれない。これまでは大神殿にて聖剣を抜くことで勇者が選ばれてきたわけだが、これからは新たな探知魔術によって勇者らしき人物に当たりをつけて、こっそりと闇に葬っていけば、王国に勇者が誕生することは一切なくなる。
当然、勇者がいなくなれば、魔王が討伐される可能性もぐんと減る。セロにとっては老後の不安ならぬ、魔王後の不安が断ち切られることにもなる。
「でも、そういうのって結局のところ、この世界のルールが根本的に変わって、最強最悪の勇者誕生のきっかけになったりしそうなんだよなあ……」
セロは嫌な予感がしたので、とりあえず勇者抹殺の案はスルーすることにした。
というか、勇者を根絶やしにするって……エメスは本当に燃やしたりとか、切ったりとかが好きなんだなあと、セロはため息をついた。武闘派路線を絶賛継続中なんじゃないかなと……
何にしても、魔術を研究するぐらいなら構わないかと、その点だけ、セロはエメスに了承した。
根絶やしにするかどうかは別として、魔術の研究はひょんなところから発展していくものだと、かつて仲間だった魔女のモタもよく口を酸っぱくして語っていた。そして、セロはそんな魔術の実験に付き合って何度もお腹を下したわけだが――
「そういや、モタは今頃、何をやっているのかなあ」
先日の勇者パーティーになぜかクリーンはいたが、モタはいなかった。
モタとは長い付き合いだけにそのことだけが気掛かりだった。そんなモタとの思い出を懐かしく振り返りながら、セロは魔王城の正門から王国の方をじっと見つめ続けたのだった。