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036 新月の代償




 モンクのパーンチと人狼の執事ことアジーンは魔王城の正面にある坂の手前までやって来た。


 その坂を見て、パーンチはすぐに眉をひそめた。


 以前にもここには来たことがあった。たしかそのときは何ともない普通の坂だったはずだ。それが今ではなぜか溶岩マグマと化して通行不能になっている……


 もっとも、パーンチは細かいことを気にする性質でもなかったので、「まあ、どうでもいいか」と呟いた。そして、アジーンに視線をやった。人狼らしく獣耳をピンと立たせている。いかにもパーンチの微かな動きも聞き逃さないといったふうだ……


 すると、アジーンは何かに対して微かに肯いてから、襤褸々々ボロボロになった執事服のポケットからブレスレットを取り出すと、それを左腕にしっかりと嵌めてみせた。


 だが、パーンチはそんな不可解な行動を全く気にせずにアジーンに告げた。


「人狼と戦うのは初めてだぜ」

「ほう。それは光栄だな」

「ところで、巨狼にはならんのか?」


 パーンチが顎を上げて挑発してみせると、


「ふん。貴殿ならこの姿で十分だ」


 アジーンもそう返して、にやりと笑った。


 二人の視線がばちばちと宙でぶつかって火花が散った。


 もっとも、パーンチは意外なことに、腰に付けていたアイテム袋をごそごそと片手で探って、回復薬を取り出すと、それをアジーンに投げつけた。


「ほら、回復しろよ。戦う前から血塗れじゃねえか」

「ふむ。先のドゥ殿に対する振舞いといい、この薬といい、意外と礼儀正しいのだな」

「ドゥ? ああ、子供ガキのことか。オレは孤児院の出身だから小さい子の扱いに慣れているってだけだ。それにテメエはせっかくの獲物だ。弱っている奴をいたぶってもつまらねえからな」

「結局、単なる戦闘狂というわけか」

「ああ、そうさ! せっかく楽しそうな戦いになりそうなんだ。さっさと飲めよ。待っていてやるからよ」


 アジーンはしばらく掌上でその回復薬を弄ぶと、パーンチに投げ返した。


「言ったはずだぞ。貴殿ならこのさまでも十分だと」

「はん! 傷も治さず、巨狼にもならなかったこと、すぐに後悔させてやるぜ」


 直後、パーンチは雄叫びを上げた。


 スキルの《ウォークライ》だ。攻撃力上昇の効果バフを自身に掛けたのだ。


 一方で、アジーンはややよろめいていた。さすがに人造人間フランケンシュタインエメスによる非道な実験を受けたばかりなので、もうろくに体力も残っていない……


 そんなふうによろめいている間に――


 パーンチは一気に距離を縮めて来た。


 アジーンは驚いた。この男は口先だけではない。意外な強者だ。


「おら、喰らえよ!」


 パーンチは右拳でボディブローを放った。


 アジーンは左足を上げ、かつ左肘を下げてガードするも、やはり疲労のせいで揺らめいてしまう。


 パーンチはその隙を見逃さなかった。左腕をしならせて、アジーンの空いた顎にジャブを入れると、それをまとも受けてわずかに意識が飛んだアジーンに対して容赦なくラッシュを仕掛けた。


 アジーンはというと、防戦一方だった。


 両腕でガードするも、がら空きになったボディを叩かれる。それで呻いてガードが緩むと、今度は顔面にラッシュがやってくる。さらに蓄積したダメージで少しでも重心がぶれようものなら、パーンチはすかさず足払いしてきて、体勢を崩しにかかってくる。


 パーンチの戦い方は型に嵌まった正当なものではなく、いかにも足癖の悪い我流――いわゆる喧嘩拳法だった。それだけにアジーンにとっては対処が難しかった。


 もちろん、アジーンとて、パーンチをなめていたわけではない……


 だが、実のところ、パーンチは勇者パーティーの中でも戦闘に関しては勇者バーバルよりもよほど強かった。特に、バーバルがパーティー戦闘に長けているとしたら、パーンチは個人戦を得意としている。つまり、タイマンはパーンチの十八番おはこなのだ。


 これにはさすがにアジーンも舌打ちするしかなかった。


 最早、殴られるのが心地良いといった特殊なご褒美せいへきを楽しむ余裕もなくなっていた。


 しかも、パーンチは戦っているうちに、しだいにその強さもスピードも増してきた。これは単純にアジーンがやられっぱなしで弱ってきていたせいもあるが、モンクの自動パッシブスキルの《戦闘狂ウォーモンガー》によるところが大きい――戦闘の経過時間で徐々にステータスがアップするものだ。


 おかげでパーンチは終始優勢でアジーンを押し切っていた。


 このままではものの数分もせずにアジーンは殴り殺されてしまうだろう……


「おらあああ!」


 すると、パーンチは渾身のストレートをアジーンのガードに叩きつけた。


 直後、アジーンは十メートルほど後退させられる。


「はん! 何だそりゃあ。拍子抜けじゃねえかよ!」


 パーンチは心底つまらなそうに言った。


 そして、眉間に皺を寄せてからやや首を傾げてみせる。いかにも見立てが狂ったといわんばかりの態度だ。最初に対峙したときに感じたプレッシャーは何だったのかと、アジーンをきつく睨みつける。


「おい! いいから、やせ我慢してないで巨狼になれ。待っていてやるよ」


 パーンチはそう言ったものの、アジーンはよろめきながら苦笑を浮かべた。


「何度も言わせるな。貴殿ならこれで十分だ」

「ふん。そうかい。じゃあ、ここで――くたばりな!」


 パーンチは右拳をギュっと強く握りしめて、そこに息を吹きかけた。そして、執事服と同様に襤褸々々となったアジーンにしっかりと的を定めた――


 その瞬間だ。


 アジーンの耳がまたピンと立った。


 そのとたん、「はああ」とアジーンは大きくため息をついた。


 これでアジーンが不可解な態度を取るのは二度目だ。パーンチはそんな様子に「ん?」と顔をしかめた。同時に、何か異様な気配を感じて、坂の上にちらりと視線をやった。


「実験終了です。ご苦労様でした。終了オーバー


 もちろん、パーンチには人造人間エメスの言葉は聞こえていなかった。それが聞けるのはせいぜいピンと張った獣の耳ぐらいだ。


「お、おい……あの化け物は、いったい、な、何だ?」


 パーンチが頬を引きつらせながら尋ねると、


「化け物ではない。人造人間のエメス様だ。先々代の第六魔王だが、もしや知らなったか?」

「……知るわけねえよ」

「何にせよ、これにて実験は終了だ。いやあ、本当に危うかった。さすがにいたぶられるのが趣味だとはいっても、殺されては元も子もないからな」


 そう言って、まずアジーンは左腕のブレスレットを外した。


 そのとたん、アジーンから放たれるプレッシャーがピリピリと空気を大きく震わせた。パーンチは驚きで目を丸くする。


「テメエ……今、実験って……言ったな?」

「ああ、言ったな」

「ど、どういう……意味だ?」

「一つは《照明弾》だ。あそこにまだ新月が見える・・・だろう?」


 そうはいっても、今は昼過ぎだ。それに新月とは本来、月と太陽とが同じ場所に出て月明りが見えなくなることだから、「見えるだろう?」と聞かれること自体がおかしい。「月が見えないだろう?」ということならパーンチのおつむでも分かる……


 だが、アジーンが指差した先には、たしかに新月らしきモノがあった。


 そのことにパーンチは驚いた。そんな新月らしきモノも次第に存在感がなくなって、今は完全に消え失せていた。


「エメス様が月の満ち欠けで人狼の動きがどれだけ鈍るのか実態調査したいというから、《照明弾》で新月を作成していたのだ。貴殿からは幾度か巨狼になれと言われたが、実験中は無理だった。人狼は新月時には巨狼になれないばかりか、力が半減するからな」

「何だと? 力が、は、半減……?」

「それと、このブレスレットも実験のうちだ。何でも、エメス様が所有されていた聖遺物で、味方の支援を一切受け付けることが出来なくなるらしい。いわば、呪いのアイテムというやつだな」

「…………」


 パーンチは心の底から問い掛けたかった。


 ということは、血塗れで襤褸々々になった上に、新月のせいで力も何も半減して、さらにはセロの自動パッシブスキルの効果も一切受け付けない――


 そんな最低最悪な状態で戦っていたのか、と。


「ふ、ざああ、けるなああああ!」


 パーンチは絶叫した。


 渾身のストレートを放つも、アジーンはわざと左頬に受けた。


 もっとも、パーンチの拳程度では、アジーンの頭をやや傾げさせることぐらいしか出来なかった。


「幾度も言ってきただろう? 貴殿が相手ならば、この姿でも十分なのだと」


 そう言って、アジーンはモンクのパーンチにボディブローを返した。


「ぶんごごぼれぞんんん!」


 そんな奇怪な叫びと同時に、パーンチは後方百メートルほどにぶっ飛ばされていた。


 呼吸がしばらく止まった。筋肉がショックで収縮したのか動かすことも出来なかった。脳味噌が立ち上がることを完全に拒絶していた。


 戦闘狂のパーンチでさえ、そんなたった一発で戦意を砕かれてしまった。


「ぢぐじょう……」


 涙と、脂汗と、胃液と、血反吐もその場に垂れ流しながらも……


 パーンチは何とか腰のアイテム袋から聖鶏グリンカムビの翼を取り出すと、血に塗れた口に羽を付けて、それを上に放り投げた。


 その瞬間、パーンチの姿は消えていた。


 アジーンは「何だと?」と、ほんの一瞬だけ驚いたものの、エメスの次の実験という名のご褒美へと頭を切り替えて、「ウォーン」と低い鳴き声を上げた。


 こうして殴り合いが好きな者同士の肉弾戦は幕を閉じたのだった。


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