&97 外伝 王国生誕祭 05
「ふおおお! バフォメットくんにこんな作品があったのか!」
「そうよ。知らなかったの? ここ二、三年でバフォメットくんの人気はうなぎ登り、子供たちにもよく知られて、今では色んな商品に展開されているのよ」
「何ということだ……やはり、城にばかりこもっていないで、本場に来てみるものだな」
ソワサンシス嬢に扮したルーシーはそう呟きつつ、そばにあったポーチを手に取った。
そこには以前、セロの睡眠導入の為に添い寝してくれた羊の悪魔によく似た――いや、そんな羊頭の骨そっくりなデザインが可愛らしく刺繍されている。
下手をしたら悪魔崇拝として大神殿から異端扱いされそうなものだが……そもそもからして王国では王権と神権が長らくせめぎ合い、亜人族の土着信仰だって認めてきた。こうした骸をデフォルメして、キャラクターとして受容する文化はとうに定着していたと言っていい。
さらに拍車をかけたのが、ここ百年ほど、泥竜ピュトンを中心とした第五魔王国の魔族たちによる侵攻だろうか……
結果として、バフォメットくんを始めとした魔族をモチーフとしたファンシーグッズはルーシーの予想を越えて展開されていた。
「ほほう。この文具も良いな。それに何に使うのかさっぱり分からない小物も良い。そういえば、ヴィヴィの着ているドレスも可愛らしいよな」
「あら? やっと気づいてくれたのかしら。この小悪魔を意識したゴシックドレスだって、秋冬の最新トレンドなのよ」
「ふうん。妾はどちらかと言うと、もっとシックな装いの方が好みなのだが――」
「何を言っているの? 先代のプリム様や、貴女の親戚のキャトル・ヴァンディス様を筆頭に、今や女性だって先頭に立って活躍する時代なのよ。もっとがつんと強く自己主張しなくちゃダメでしょ! 貴女の着ているドレスは古風に過ぎるわ!」
そう言われても、第六魔王国は長らく真祖カミラが統治してきたので、ルーシーにとってみれば女性が先頭に立つのは当然のことだった。そもそも、肝心の魔王セロはルーシーの尻に見事に敷かれっぱなしなのだ……
そんなルーシーにヴィヴィアン・ゴスロリスキー伯爵令嬢ことヴィヴィは畳み掛ける。
「現在の最新のモードはアヴァンギャルドなカウンターカルチャーなのよ。これからはそこに『ファンシー』がどしどしと注入されていくはずだわ」
何だか横文字ばかりでいまいち話に掴みどころがなかったものの、ルーシーはとりあえず「ふむん」と肯いた。
その間にも、さっきから付き人みたいに寄り添っている女性店員に「あれとこれとそれが欲しいな」とてきぱき注文をしつつ、ルーシーはヴィヴィと一緒に店内を見回った。
こんなふうに同性と共にショッピングをするのも、また近い趣味を持った者と語り合うのも初めてとあって、ルーシーは充実した一時を過ごせた。棺に引きこもっていないで、王都に出てきて本当に良かったと実感していた。
すると、女性店員からお店の中央付近にあるロングテーブルまで案内されて、ルーシーはいったんヴィヴィと並んでソファに座った。
その女性店員は二人に紅茶を出すのと同時に、ヴィヴィにふと目配せをする。
「では、ヴィヴィアン様。本当によろしいのですね?」
「ええ。もちろんよ。ソワサンシス様の知見の深さは十分に理解できましたわ」
「急に、いったいどうしたというのだ?」
ルーシーがきょとんと小首を傾げると、テーブル上には一枚の小さなカードが提示された。
そのカードの表面にはどこかで見たような女性が可愛らしくデフォルメされて描かれていて、裏面には四桁の会員番号とソワサンシスの名前が記されている――
「ヴィヴィ? こ、こ、これは……もしや?」
「そうよ、ソワサンシス様。これで貴女も立派なファンシーグッズ愛好会の新規会員。でも、その前に愛好会会長の前でしっかりと誓ってもらうわ」
「ふむん。その会長とはいったいどこに……?」
「デフォルメされているけど、カードの表面にしっかりと描かれているでしょ?」
「う、うむ。何だかどこかで見たことがあるような……ないような……やけに親近感を覚えるような……覚えたくないような……」
「急にどうしたのよ。煮え切らないわね。新王族に連なる貴女が愛好会会長をお見かけしたことがあったら、それこそ大問題よ。だって、その御方は――」
ヴィヴィはそう言って、唇に「しーっ」といったふうに人差し指を当ててみせる。
「その御方は、今を時めく第六魔王国にお住いの吸血鬼、第二真祖モルモ様なのだから!」
……
…………
……………………
「な、な、な、な、な、何だとおおおおおおおおおお!」
当然のことながら、ルーシーは飛び上がらんばかりに驚いた。テーブル上の紅茶が波立ったほどだ。
「あら? もしかして、ソワサンシス様ってば、魔族嫌いだったのかしら?」
「い、い、いや、好きも……嫌いも……何も……」
「じゃあ、大丈夫ね。この秘密だけはしっかりと守ってもらわないとダメよ。そうでないならば、今からそこの女性店員が貴女に闇魔術の『忘却』をかけて、このお店で起こった出来事をきれいさっぱり全て忘れる羽目になるわ」
そう言われても、ルーシーに女性店員が扱う程度の精神異常が通じるはずもないのだが……それはともかくとして、当のルーシーはというと、それこそ『混乱』でもかけられたかのようだった。
「ちょ、ちょっと待て。モルモが――」
「モルモ様」
「うっ! え、ええと……そ、そのモルモ様が会長とはいったいどういうことなんだ? 魔族だぞ?」
「あら、嫌だ。魔族だからどうだっていうの? 人族でファンシーグッズを分かり合えない連中たちより、私たちはたとえ魔族でも同好の士をよっぽど信頼するわ」
ヴィヴィはきっぱりとそう言い切った。
ここらへんはさすがにヒトウスキー伯爵同様、趣味人もとい変人ばかりの旧門七大貴族といったところか……
もちろん、ヴィヴィの言葉についてはルーシーも多いに共感出来るところではあったものの、そうはいってもまさかこんなところで本当の遠戚のモルモの名前が出てくるとは夢にも思っていなかったので、ルーシーとしては動揺しっぱなしだ。
とはいえ、思い返してみれば――たしかにファンシーグッズの薫陶を受けたのはモルモからだった。
小さな頃に北海近くの古塔に遊びに行って以来、お土産をたくさんくれるものだから、いつの間にか見事に同好の士に育てあげられていた。
「ん……ちょっと待てよ」
ルーシーはそこでいったん努めて冷静に店内を見回した。
どうやらここには店員などに扮した吸血鬼はいなそうだ。そもそも、モルモはほとんど眷族を持たない。
ということは、ここはモルモの所有する店ではないということだ。おそらくモルモから商品を仕入れたハーフリングの商隊が王都で売ったことで、人族が興味を持ち、それがいつしか貴族子女にも伝わって、こうしてフラッグショップまで立ち上がったのだろう。
何にしても、ルーシーは「ふう」と一つだけ息をついて、テーブル上の紅茶に手を伸ばした。
すると、そんなタイミングで店舗の外が少しだけ騒がしくなった……
「あら? もしかして、第六魔王国からのお客様が王都にご到着なさったのかしら?」
ヴィヴィはそう言って、王国生誕祭では初めてとなる魔族の訪問――そんな貴賓による中央通りのパレードの話を始めた。
もちろん、当のルーシーはすでに着いていて、今ではこんなふうにお店に入り浸っているわけだが……そろそろセロたちに扮した高潔の元勇者ノーブルと夢魔のリリンが到着しても良い頃合いではあるなと、ルーシーも「ずずず」と紅茶を飲みつつヴィヴィに視線を戻した。
「ねえ。ソワサンシス様は知っていたかしら?」
すると、隣にいたヴィヴィはルーシーに秘密でも共有するかのように耳打ちした。
「今度は何の話だ?」
ルーシーは一応は身構えたが、さすがにモルモ以上の話は出てこないだろうと高を括った。
「今日、王都にご訪問なさる予定の第六魔王こと愚者セロ様のお妃、ルーシー様は――ファンシーグッズ愛好会のナンバーツーなのよ」
「ぶぐほおおおおおおっ!」
ルーシーは思わず紅茶をヴィヴィの顔面に吹きかけた。
当然のことながら、そんなのは初耳だった。「す、すまん」と謝りながら生活魔術でヴィヴィの顔や衣服をきれいにしてあげてから詳しく聞き出すに、どうやらモルモとルーシーは名誉会員扱いで別格らしい……
今日はほとほと驚かされてばかりだなと、さすがにルーシーもそろそろげんなりしてきたわけだが――
そんなタイミングでもって、またもや驚愕の声が上がった。
ただ、今度はルーシーがたまげたわけではない。店舗の入り口付近で「きゃあ!」と、女性客の悲鳴が上がったのだ。
「いいか! 女どもおおお! この女の命が惜しかったら、俺たちの言うことを聞けえええ!」
どうやら店に闖入者が来たらしい……
先ほどの騒ぎもパレードが始まったわけではなく、もしかしたらこの者たちが起こした騒動だったのかもしれない……
何にしても、こうしてルーシーの楽しいひと時に水が差されたのだった。