&95 外伝 王国生誕祭 03
「ほっほーう? これが市場というものか?」
ルーシーは初めて見る路上での自由市場に目をぱちくりさせていた。
基本的に真相直系の吸血鬼で、元魔王の長女とあって箱入り娘なので、人々の営みは文献でしかよく知らない。先日だって第六魔王国に城下街ができて驚いたばかりだ。
そんなルーシーが今、セロや現王シュペル・ヴァンディスに連れられて、王国の中央広場で行われている市場にやって来ていた。
この広場は本来、各領都に向かう乗合馬車の始発駅みたいな役割を果たすので、普段はこうした市場を開いていない。ただ、今回のように王国生誕祭のときには宿から溢れた人々が門外に天幕を作るとあって、乗合馬車の駅舎は王都の各門に一時的に移っている。
おかげで、この時期だけ中央広場は路上販売の市へと変貌し、王都で最も人々がごった返して盛況だ。
そんな人々の強かさなど知らないルーシーからすれば、目を瞬きながら感情を昂らせるのももっともなことだ。
「セロよ。見よ! 妾はあのゴシック人形の出店がとーっても気になるぞ!」
ルーシーはそう言って、ぴゅーん、と。
あっという間に人々を掻き分けて、どこかへと姿を消した。
もちろん、今は認識阻害によってセロとエークは冒険者に、またドゥとディンは人族の子供たちに、そして現王シュペルはちょっとした地方貴族に扮している。
当のルーシーもそんなシュペルの娘といったふうに貴族の子女に化けていた。
要は、シュペルやその子たちを護衛するといった体で、逆にセロとエークが付き従っているといった格好だ。なお、大聖女クリーンとは大神殿の門前でいったん分かれて、さらに護衛の騎士たちも要所に潜んでいる。
そもそも、たとえ襲われてもセロたちに傷を付けられる者などまずいないのだ……
結局のところ、こうして護衛を潜ませているのは王国の体裁でしかない。実際に、現王シュペルだってもとは聖騎士団長なのでそれなりに腕が立つ。
それはさておき、ルーシーを見失ったセロはというと、
「ええと……ゴシック人形の出店ってどこにあるの?」
額に片手をやってきょろきょろと周囲を見回すも、それらしき店が見つからないとあって、そばにいたエークに尋ねたのだが――
「申し訳ありません。狩人のスキルを揃えている私をもってしても、ルーシー様の姿を捉えきれませんでした。今も気配を探っていますが……さすがにこれだけ人がいると……」
「そっかー。まあ、ルーシーなら大丈夫でしょ」
「何なら、今すぐこの場にいる人族や亜人族どもを殲滅して、ルーシー様をお探しいたしましょうか?」
「いやいや、何でそうなるのさ? ほら、シュペルさんが青ざめちゃっているよ?」
セロがやれやれと肩をすくめると、現王シュペルは恐る恐ると尋ねてきた。
「さすがに王都で殲滅は勘弁していただきたいのですが?」
「大丈夫ですよ。そんなことはさせません」
「ありがとうございます、セロ殿。ルーシー殿についてはすぐにでも近衛たちに探させます。この付近のゴシック人形の出店と仰っていましたから、すぐに目処はつくかと」
「はい。お願いします。どのみちはぐれたとしても、最終的には王城に向かってくれるでしょうし、ルーシー自身で認識阻害も、何なら『浮遊』なども使えますから、そこまで心配していませんよ」
セロが全く動揺する様子もなく答えると、シュペルも「ほっ」と息をついた。
「それより、ドゥとディン?」
「何でしょうか、セロ様?」
「……さま?」
「ちゃんとシュペルさんと手を繋いで、ルーシーみたいに勝手にどこかに行っちゃ駄目だからね」
「「はい!」」
こうしてセロたちは市場内で真祖トマトを扱っているハーフリングの商隊の出店に向かったのだったが……
「この店にあるもの全てを寄越せ。妾はすごーく気に入ったぞ!」
そんなことを眼前の貴族子女が両腕を腰に当てながら、「ふんすっ」と鼻息荒く言い出すものだから、さすがに出店の若い女性店員も「え、ええーっ?」と困惑するしかなかった。
もちろん、出店なのでそれほど高価なものは置いていない……
そもそも、ファンシーグッズはかなりニッチな趣味だし、こうして市場に出店を出したのも、王都にある本店の宣伝と、お土産でも買ってもらって新しい顧客を開拓するのが目的なのだ。
それがまさか出店早々、いきなり「全て寄越せ」とくるとは……
たしかに眼前の美少女の格好は貴族に相応しく、その態度もいかにも高慢――もとい高貴な身分を感じさせるのに十分だ。まさに他者を、というか人族をゴミ程度にしかみなしてない。そういう意味では、まさに貴族の中の貴族だろうか。
これはよほどに高い身分の貴族子女だなと踏んだ店員は、手もみしながら恭しく尋ねる。
「ええと……大変失礼を承知で伺わせていただきますが、どちらのご貴族様でしょうか? ご購入いただいた商品をご実家に届けなくてはいけませんので、お教えいただきたく存じます」
「妾か? 真祖カミ――」
ルーシーはそこで「おっと」と口を噤んだ。
つい機嫌が良くて、「カミラの長女ルーシーだ。全て第六魔王国の魔王城に届けよ」と言うところだtった。
もちろん、王国と第六魔王国との関係が改善された今なら、たとえルーシーが正体をバラしても相手もプロなので対応してくれるだろうが……それでも今回はお忍びなので、ルーシーは用意されていた身分を切り出した。
「妾は、ヴァンディス王家の遠縁に当たるソワサンシスというものだ」
ルーシーはそう言って、家紋の描かれた短剣を懐からちらりと取り出した。
これは何かあったときに身分の証明になるものとしてシュペルから事前に渡されていた物だ。当然、現王家というだけでなく、武門貴族筆頭だったヴァンディス家の紋はよく知られている。
「王族の……ソワサンシス様?」
まさかの新王家に連なる子女と知って、店員はさすがに「ギョッ」とした。
ファンシーグッズの店員も貴族子女を多く顧客として抱えているとあって、さすがに貴族の家紋には詳しい。これは新王家に顔を売る良い機会だとみなして、店員はさらにこびへつらった。
「ソワサンシス様。この王都にある弊店にはすでにご足労いただけましたでしょうか?」
「いや。行っておらん。なるほど。本店があるのか」
「はい。もちろんでございます。もしよろしければ、これからご案内いたします。ここにあるものはあくまでもお土産に過ぎません。店舗にはより一層高価な――ではなかった、素晴らしい作品をご用意しております」
興奮してちらっと本音が出たものの、店員はルーシーをちらりと見た。
もちろん、身分の高い貴族子女らしく、ルーシーは価格など気にする素振りもみせずに言った。
「ふおおおお! それは実に素晴らしいな。行くぞ。はよ、案内せよ!」
「はい!」
こうしてルーシーはファンシーグッズを扱う王都の本店に向かったわけだが……
まさかそこでちょっとした誘拐事件に巻き込まれるとは、このとき想像だにしていなかった。