&94 外伝 王国生誕祭 02
王国の大神殿は本来、魔族――特にそのうちの亡者とは絶対に相容れないという立場なので、長らく秘匿されてきた暗部、もとい地下部分はともかくとして、地上には魔族を弾く為の術式が張り巡らされている……
……
…………
……………………
――はずだったのだが、
「るんるんるー♪」
と、今、ルーシーは大神殿の大回廊をスキップしていた。
もちろん、セロも一緒だ。仲良く腕を組んでいるものだから、ルーシーに付いていく為に一緒になってスキップさせられている。
こうなると、お付きのドゥもディンも真似してスキップだ。さらに、子供たち二人には現王シュペル・ヴァンディスが両手を繋いであげていたものだから、こちらも一緒になってはしゃいでいる始末だ。
となると、王国の近衛騎士たちもスキップせざるをえないわけで、あとは同調圧力が見事に働いて、大聖女クリーンも、神殿の騎士たちも、皆して一斉にスキップしている――といった明らかに異常な陽キャ集団、ここに極まれりといったふうになっていた。
ともあれ、セロは元聖職者で大神殿の神学校で学んできたので守護の術式については詳しく知っていて、背後でスキップしていた大聖女クリーンに首を傾げてみせた。
「どうかなさったのですか、セロ様?」
「いえ、そのう……僕たちは魔族なのですが……こんなふうに能天気にスキップしていても大丈夫なのでしょうか?」
セロからすればそのうち魔核にダメージでも受けるのではないかと心配したわけだが、クリーンは「んー」と眉間に皺を寄せて、「ああ、そういうことですか」と言葉を続けた。
「ご安心ください、セロ様。現在、大神殿内は外の広場も含めて人払いを徹底しております」
「え? 人払い?」
「はい。ここにセロ様、ルーシー様やお付きの皆様だけでなく、現王がいらっしゃることも含めて、王国の一部上層部以外には知らされておりません」
「へえ……そうだったんですか」
と、セロは肯いたものの、聞きたいことはそこではなかった。
「いや、そうじゃなくてですね……この神殿内には護国の結界が張り巡らされていて、亡者だったら一瞬で、そうでない魔族でも相当なダメージを負うはずでは?」
セロが改めて尋ねると、クリーンは「あ、はは」と小さく笑みを浮かべて頬をぽりぽりと掻いた。
「お恥ずかしい話なのですが……実は、かつて泥竜ピュトンが当国で暗躍していた頃に、そのほとんどが解除されてしまいました」
「なるほど……しかし、当時も天使のモノゲネースや他にも受肉した天使たちはいたわけでしょう? よくもまあ、そんな暴挙を許したものですね?」
「もちろん、『深淵』と通信出来るモノリスが置かれた最奥の間だけ、『教会』の概念を司る天使エクレーシアが強力な結界を張っておりました。逆に言えば、それ以外の箇所には無頓着だったとも言えます」
クリーンが「はあ」とため息をつくと、セロも「ふむん」と呻るしなかった。
つまり、天族にとっては人族の大神殿なぞ伽藍堂でしかなかったわけだ。本質は『深淵』と関わる箇所だけで、それ以外の場所はただの虚飾……心底からどうでもよかったに違いない……
「そういえば、僕が神学生だった当時もそこには教皇か、主教しか入れなかったんですよね」
「はい。今も、私と新たな主教たちしか立ち入れない間になっています。とはいえ、これからセロ様たちをご案内する場所は人払いも術式解除も徹底しておりますのでご安心くださいませ」
「僕たちがここから出た後に張り直しますか?」
「その予定はございません」
クリーンはそう断言して「お、ほほ」と笑った。
そこまで簡単に魔族を信用できるものなのかと、元人族で聖職者だったセロでさえ訝しく思ったものだが――そんなタイミングでルーシーがはたと足を止めて、「おお!」と声を上げた。
「これはもしや……セロではないか?」
ルーシーが指摘した通り、大回廊のレリーフにはセロが描かれていた。
当然、セロは「ん?」と眉をひそめるも、クリーンは「お、ほほ」とまた笑みを浮かべながら説明、もとい釈明を始める。
「セロ様は神学生だった当時、この回廊をよく往復なさったとか?」
「ええ。たしかに……僕は冒険者でもあったので、神殿内の修道院ではなく、外から神学校に通いましたから、ここを毎日のように通っていました。ただ、この回廊にレリーフなんてありましたっけ?」
「これらはそんな神学生だったときのセロ様を称えて描かれたものになります」
「はあ」
「もちろん、後世まで永遠と残すつもりでおります」
「…………」
セロはやや遠い目になった。
たまたまセロたちが通るから、急拵えしたのかと思ったら……
ずっと残すときたものだ。ちなみに、レリーフには顎に片手をやって考えに耽りながら歩くセロだったり、なぜか小鳥たちと語らうセロだったり、あるいは後光が差して人々を導くセロだったりが描かれていた。
というか、最後のはもしや『光の司祭』を表現したものだろうか……何にしても、演出過剰にも程があるし、セロはこんなレリーフにされるべき偉人でもない。いや、今となっては大陸を統べる魔王だから偉人には違いないかもしれないが、少なくとも王国の大神殿がこんなふうに称えてはいけないはずだ……
すると、クリーンはどこか言いにくそうにもじもじとし始めた。セロは眉をひそめたが――今度はそんなタイミングでエークがこそりと耳打ちした。
「よろしいですか、セロ様?」
「何だい?」
「天使による王族支配から脱却した王国は現在、その信仰の拠り所を模索している最中になります」
「ふむ」
「そこでヒュスタトン会戦以降、かつては犬猿の仲だった魔術師協会が大神殿に歩み寄りました」
「ふむふむ」
「つまり、巴術士ジージ殿が究極至高完全合一聖魔絶対超越現人神教を受け入れることを条件として、大神殿のスポンサーになろうと提案したわけです」
「え? ス、スポンサー?」
「はい。実は、ヒュスタトン会戦でモンクのパーンチと巨大蛸クラーケンが結婚して以降、王国ではその話でもちきりでして、ウェディング・ビジネスが隆盛となっております」
「ほう」
「しかしながら、主教イービル側についた聖職者たちが粛清されたとあって、今の大神殿には光の魔術で結婚式を演出できる者がほとんどおりません」
「…………」
クリーンがやたらともじもじしていたのはそのせいかと、セロはやっと悟った。
このレリーフも魔術師協会から人材を派遣する為に受け入れた広告みたいなものなのだろう。となると、セロはさらに嫌な予感しかしなかった。
「まさかと思うけど……大神殿の他の場所にも?」
セロがぼそりと尋ねると、エークは涼やかな声音で答えた。
「もちろんです。大広場には超巨大セロ様像が建立中ですし、これから向かう神学校の大教室の机上にもセロ様のお顔が幾つも彫られています。最近は、究極至高完全合一聖魔絶対超越現人神教の聖典とかいう辞書十冊分の厚さの本が王国内でもベストセラーになっているそうです」
「…………」
セロは「あちゃー」と額に片手をやった。止めるのに、遅きに失した格好だ。
とはいっても、セロとエークがそうこう話し込んでいる間に、レリーフをじっくりと眺めていたルーシーが開口一番――
「ふむん。学生時代のセロもやはり真面目だったのだな。妾はこのレリーフを気に入ったぞ」
そんなふうに両目を輝かせながら言うものだから、セロは「う、うん」と肯くしかなかった。ルーシーの尻に敷かれることに定評のあるセロとしては、これにて最早、流れを止められなくなった。いやはや、本当にちょろい魔王である。
何はともあれ、こうしてその日、ルーシーと一緒にスキップしながら神学校を見て回ったセロはというと――あまりに広告ばかりの大神殿に白目を剥くしかなかったのだった。