000 第三巻刊行応援SS カウントダウンパーティー
人造人間エメスによってインテリジェンス・アイテムだと看破された錬金釜、もとい聖鐘がその音を世界中に轟かせる――わずか数十分前のことだ。
ダークエルフの付き人ドゥは「むう」と眠い目をぱちくりさせながら、ディンに背中を押されていた。
「ほら、ドゥ。もうちょっとがんばって!」
「……ねむい」
「セロ様とルーシー様の為に、話題の温泉田楽を持っていくんだからね。ドゥだって食べたいでしょ」
「……おいしい」
「夢の中で食べてないで、起きて! ドゥ!」
とはいえ、ディンの健闘むなしく、ドゥはついにこくこくと舟を漕ぎ始めた。
ただ、そんなタイミングでやっと温泉宿泊施設が見えてきた。その門前では屍喰鬼の料理長フィーアが屋台を開いている。どうやら温泉田楽を皆に配っているようだ。
まさに新年のカウントダウンを直前にして、ここはちょっとしたお祭りの様相を呈している。
フィーアはもともと王国出身の人族で、生粋の魔族ではないから、新年を皆と楽しみたいようだ――
「やっぱり、新年は盛大に祝わないとね」
フィーアはにこやかに言って、「はいよ。持っていって」と列の先頭に立った者に温泉田楽の入った容器を手渡していく。
もっとも、温泉田楽は赤湯に食材を浸けているだけで簡単に作れるし、味もよく染み入っているし、何なら『火の国』から新たに取り寄せた柚子岩塩などで味変まで可能とあって、屋台の前には長蛇の列が出来上がっていた。
ヒトウスキー伯爵家時代から同僚の家人たちや温泉宿の吸血鬼たちが手伝って客を捌いてくれているものの、王国から遊びに来たらしき冒険者たちがあまりに多すぎて、列は城下街の方まで伸びている……
そんな光景を見て、ディンは「あちゃー」と、額に片手を当てた。遅きに失したのだ。
もちろん、セロやルーシーの名前を出せば、この人だかりもモーゼの海割りみたいになるかもしれないが――さすがに主人たちはそんな横入りを喜ばないだろう。
「どうしよう、ドゥ?」
「……ぐう」
立ったまま器用に寝ているドゥに、「もう!」とディンは腹を立てた。
だが、ちょうどそんなタイミングで、すやすやのドゥに声をかけてくる者がいた――モンクのパーンチだ。
「おうよ、坊主じゃねえか。お嬢ちゃんも一緒か。こんな時間にいったいどうしたんだ?」
どうしたもなにも、ディンはつい目が点になった。
というのも、パーンチが屋台車を引いていたからだ。しかも、大量の温泉田楽まで一緒だ。どうやら温泉パークの方に持って行こうとしているようだ。
「パーンチさん……これはいったい?」
ディンが尋ねると、パーンチは「やれやれ」と肩をすくめてみせた。
「女房や子蛸たち、それに孤児院の子供たちまで話題の温泉田楽を食いたいといきなり言いだしてな。そうはいってもオレの子たちは数が多すぎるから、ものはためしと宿の大将に相談してみたら、具材はくれてやるから赤湯に浸けて勝手に持っていけ、と言われたんでこうして屋台車まで借りたってわけさ」
「その具材というのはどこに? 私たちも勝手に浸けて、持っていっていいものなのでしょうか?」
「具材は宿の赤湯こってりに大量に置かれていたぞ。勝手に作っていいかどうかは……さすがにアジーンに聞いてくれ」
「そのアジーン様はどちらに?」
ディンの問いかけにパーンチは「うーん」と首を傾げた。
「一時間ほど前までは、フィーアのそばで手伝いをしていたんだがな……」
パーンチはきょろきょろとあたりを見回した。ディンは「ふんす」と鼻息荒く、それならば探してみせましょうとばかりに――ドゥを温泉宿へと引きずっていったのだった。
その頃、人狼の執事アジーンは忍び足で魔王城の地下に向かっていた。
正直なところ、人族の風習であるカウントダウンパーティーにはさして興味を持てなかった。
ただ、屍喰鬼の料理長フィーアの手伝いをしていたら、何だか人族の冒険者たちの新年に向けた活気に当てられてしまったのか、
「ふむん。新年早々に……叩かれるのも新鮮かもしれんな」
そんなことを呟きながら、『俺が拷問だ』で有名なかかしエクシアを求めて、こうしてアジーンは拷問室へと足を向けたわけだ。
そもそも、玉座の間でアジーンの進言通りになっていたら、今頃は尖塔におけつを突っ込んで、敬愛する主人に叩かれていたはずだ。
「我ながら惜しいことをしたものだ。しかし! 来年こそはセロ様に百八回、煩悩の数だけ手前を叩いてもらおうではないか」
アジーンは「うんうん」と肯きながら地下三階の拷問室に着くも、そこにはすでに先客がいた――言うまでもないだろう。ダークエルフの近衛長エークだ。
すでにX字型の磔台に拘束されて、かかしエクシアからの攻撃をじっと待っているではないか。
「貴殿はそこで何をやっているのだ?」
叩かれずにじっとしたままのエークを不審に思ったのか、アジーンは眉をひそめた。
「カウントダウンが始まるのを待っているのだ」
「わざわざカウントダウンを?」
「そうだ。今回、セロ様はカウントダウン後に月の数だけ十二回、聖鐘を叩くという情報を仕入れた。だから、同時に十二回叩いてもらおうといった寸法さ」
アジーンはがびーんと衝撃を受けた。
それではまるでセロ様に叩いてもらうのと同義ではないか、と。
常人には理解出来づらいかもしれないが、アジーンはそんなふうに捉えたらしい……
何にしても、アジーンはエークを尊敬の眼差しで見つめた。あれなる性癖の深みにおいて一歩リードしていると思っていたが、さすがは好敵手――こういう前衛的な考えにアジーンはなかなか至らない。
そんなこんなでアジーンも早速、エークの横のX字型の磔台に縛られた。
「貴様はセロ様のもとに行かなくていいのか? 執事だろう?」
「それを言ったら貴殿もだろう? 近衛の長としてそばにいなくていいのか?」
「…………」
「…………」
二人は無言のまま、これ以上職務について議論をしていても平行線だと気づいたのか――結局のところ、カウントダウンが始まるのを変態的な格好と姿勢でもってじっと待つのだった。
「え? アジーンですか? こちらには戻ってきていませんよ」
人狼のメイド長チェトリエがそう言って、そばにいたドバーやトリーに視線を向けるも、
「来ていない」
「私も見ていませんね。どうせいつものところではないですか?」
二人とも、ディンにそう答えるだけだった。
結局、温泉宿にはいなかったので、ドゥをそこに残して一人で魔王城二階までやって来て、執事のアジーンの所在を尋ねたディンはというと――
ちょこんと首を傾げて、「いつものところ?」と、再度チェトリエに質問した。
もっとも、チェトリエはすぐに渋面を作った……
賢くて博識な、もとい耳年増なディンのことだから、アジーンのあれなる性癖についてはとうに知っていそうではある。だが、さすがに十歳の子供に伝えるものではない上に、階下に行かせて事の最中に出くわせたら目も当てられない……
「ええと……ディンはアジーンにいったいどんな用事があったのですか?」
「セロ様とルーシー様に温泉田楽を持っていきたくて、それで温泉宿にある具材を勝手に赤湯に浸けて作っていいものかと相談しに来たのです」
「あら、何だ、そんなことだったのですか。別に構わないですよ」
チェトリエがそう言うと、ドバーも、トリーも、「うんうん」と肯いてみせた。
「そもそも、温泉田楽の具材は魔王城の調理場から提供したものですし、ダークエルフの皆さんからお裾分けしてもらった物だってたくさんあります。むしろ、食糧庫がぱんぱんになってしまって……少しでも減らすのに手伝ってくれるとうれしいぐらいです」
その返事にディンはやっと喜色を浮かべた。
「チェトリエさん、ドバーさん、トリーさん――ありがとうございます!」
ディンはお礼を言って、天井に張り付いていたコウモリに、「じゃあ、お願い」と、両手を合わせた。
「キイ!」
手の平サイズのモノリスで温泉宿に残っているドゥに伝えればすぐなのだが、あれは大きな作戦中か、何かしらのイベントがないときには使用してはいけない決まりになっている。何にしても、こうしてコウモリはぱたぱたと温泉宿に飛んでいったのだった。
「カウントダウンの鐘の音を聞きながら赤湯を堪能出来るとは……これぞまさに極楽浄土でおじゃる」
ヒトウスキー伯爵は年末年始だというのに、所領に帰らずに赤湯に浸かっていた。
すぐそばにはやはり王国出身の二人が盆に温泉田楽と酒を乗せて、湯の上に浮かべながら寛いでいる――高潔の元勇者ノーブルと巴術士のジージだ。
「いやあ、こんな年末の過ごし方も悪くないものだな」
「うむ。わしもまさか湯と酒を楽しみながら、こんなふうにお主と一緒に過ごすとは思ってもいなんだぞ」
そんなふうに二人が長年のわだかまりを溶かすかのような赤湯と飲み物に「はあ」と感嘆の漏らすと、そのすぐそばでドゥも「ふひー」と息をついた。
ここは温泉宿の男湯だ。
もっとも、赤湯こってりの半分ほどには鉄柵が嵌められて、今は温泉田楽の具材をぐつぐつと温めている最中だ。
もちろん、ドゥは女の子だが、まだ幼いし、見目も男の子っぽいし、何なら本人もさして気にしてないので、今はこうして湯船に浸かって……やはりまた心地良く「ぐう」と眠りかけている。
「こんなところで寝ると危ないぞ、ドゥ殿よ」
都度、ノーブルがドゥの肩を揺すって起こしてあげるわけだが……
そんなタイミングで、ぱたぱた、と。コウモリが一匹だけ、ドゥのもとにやって来た。
「キイ!」
「……む。わかった」
ドゥはついに、がばっと起き上がった。
すでに用意していた二人分の容器に温泉田楽を詰めていくのだが……そこでドゥの手がはたと止まった。果たしてセロやルーシーがこれっぽっちで満足するか、判断しかねたせいだ。
すると、赤湯に浸っていたときからドゥの肩に乗っていたイモリが「キュ」と鳴いた。
「ほんと?」
「キュッキュ!」
イモリはそう応じると、水魔術でもって温泉田楽十人分ぐらいを赤湯ごと器用に宙に浮かべてみせた。
しかも、このままドゥと一緒にセロのもとに行ってくれるようだ。
「ありがと。じゃ、行く」
ドゥは眠気もどこへやら――すぐに着替えて、てくてくと駆け出したのだった。
人造人間エメスは魔王城地下三階の司令室で「ふむん」と息をついた。
すぐ隣にはドルイドのヌフがいて、こちらも年の瀬だというのに珍しくろくに休まずに、幾つかの古文書を読み解いている――
「やはり、インテリジェンス・アイテムの記述はかなり少ないですね。文献によると、そのほとんどは帝国時代に失われたようです」
「小生のデータベースでも大した検索結果は出てきません。終了」
二人はさすがに疲労を隠せずに、椅子の背にどさりともたれた。
そのときだ――
「ん」
地下通路を駆けてきたドゥがそれだけ言って、温泉田楽を容器に入れて、二人にお裾分けをした。
「助かった。ドゥ。ちょうど小腹が空いていたのだ」
「ほう。これはあまり見かけない食べ物ですね。視覚情報で検索をかけてみましたが――温泉田楽ですか。それでは成分分析の為にまずは一口」
そんなふうに二人がもぐもぐと温泉田楽を口に含んだときには、ドゥはすでに地下三階の廊下を駆けていた。
もっとも、そこでキュッと。ドゥは急ブレーキをかけた。
「ん」
ドゥはまたそれだけ言って、拷問室にいた二人に差し入れをした。
「すまないな、ドゥ。い、いや、誤解してくれるな。これでも私は仕事中なんだぞ。一時的に磔になって瞑想をしていただけなのだ」
「うむ。その通りだ。手前もちょっとばかし……新年を前にしてこの身を律したくなっただけだ」
エークとアジーンはそれぞれ自己弁護したものの、ドゥは何ら気にせずにまたてくてくと駆け出していった。
そもそも、ドゥはエメスと仲が良いので、ディンとは違って、この二人が拷問されている姿を見るのは日常茶飯事だ。それこそ毎日のように見かけているほどである。いやはや、育児には最も向いていない魔王国ここに極まれりである。
それはともかく――
「ドゥ? それはいったい何だい?」
くんか、くんか、と。
鼻を鳴らして、魔王城地下二階の恋愛相談室――もとい監禁部屋から声が掛かった。
飛蝗系の虫人アルベだ。どうやら新年は仲間たちと過ごしたいらしく、泥竜ピュトンや弟のサールアーム、それに子犬のみけたまと一緒に部屋内のこたつでぬくぬくしていた。
「ん」
ドゥはそんな三人と一匹にも温泉田楽を分け与えた。
何にせよ、こうしてドゥはついに魔王城一階に新設された尖塔の昇降口に着いた。
今は夢魔のリリンと妖魔のラナンシーが立哨して、セロとルーシーが鐘を叩いて戻って来るのを待っている。さすがに尖塔には幾人も立ち並ぶだけのスペースがないので、ここで仕方なく待機しているといったところだ。
「ん」
ここでもドゥはそれだけ言って、温泉田楽を容器に入れて手渡した。
「ほほう。これが……さっきから近衛たちが噂していた、赤湯で作った温泉田楽かあ」
「ありがとよ、ドゥ。あたいも食べてみたかったんだ。おっ、あつ、あつ……いいねえ。身に沁みるじゃないか。さっさとセロ様と姉御に持っていってやりなよ」
二人は温泉田楽を食べながら、ドゥの為に昇降口を開けてあげた。
「キュイ!」
中にはヤモリたちがいた。
どうやらこの昇降口は突貫工事で新設したばかりとあって、土竜ゴライアス様の血反吐を動力にしているわけではなく、ヤモリたちの土魔術によって動かしているようだ。
「むむ」
そんなヤモリたちとは以心伝心――
ドゥがそれだけ呟くと、浮遊する鉄板はあっという間に尖塔に到着した。
尖塔にはセロ、ルーシーがいて、付き人のディンも控えていた。
「おや、ドゥじゃないか? これまでどこに行ってたんだい?」
「その血反吐に浸かっているもの何だ? 妾の小腹が鳴るほどに良い匂いがしてくるぞ」
「おかえり、ドゥ。待っていたわ」
どうやらディンは温泉田楽のことを二人に話していなかったらしい。サプライズにするつもりなのだなと、ドゥもすぐに気づいた。四人はカウントダウンが始まるまで、温泉田楽をほくほくと食べてまったりと過ごした。
「さて、時間も迫ってきたし――そろそろ鐘を鳴らそうか!」
セロはそう言って、そこかしこから聞こえてくるカウントダウンに合わせて、バチでもって聖鐘を叩いた。
ドオオオオオン、と。
世界中に届けとばかりに、美しく、それでいて厳かで、心の底から温かくなるような音が轟いた。
ドゥはディンと手を繋いで目を閉じた。その音にしばし浸った。もしかしたら赤湯よりも心地良いと感じたのは気のせいではないはずだ。
気がつけば、ぽん、と。
さらにやさしく、愛に溢れた温もりが頭に乗った――セロの手だ。
「あけましておめでとう! 今年もよろしくね」
「はい、セロ様」
こうして第六魔王国の新年は始まったのだった。